文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

領域論(その2) 原始領域 / 祭祀

 

現代社会について考えてみても、人類の歴史に思いを巡らせてみても、その基底部にはとても固く、不可思議な層のあることに気づく。今日においても人々は歌ったり、踊ったりすることを決して止めはしないし、宗教や芸術が何故存在しているのか、それを説明する合理的な理論というものにお目に掛かることは、ほぼ、ない。

 

おそらくは古代にその起源を持つであろうこの神秘に満ちた領域について、私は、2つに分割して考えることにした。1つには、人間社会が何らかの困難や危機に瀕したときに生まれる領域であり、他方は人間社会が平穏に暮らしていた時期に生まれた領域である。前者、すなわち危機に瀕していた際に生まれた領域は、原始宗教と呼ぶことのできる一連の文化形態であって、それをここでは「原始領域」と呼ぶ。そして、後者、すなわち平穏な暮らしの中から育まれてきた領域を「生存領域」と呼ぶことにした。原始領域で育まれた文化は、緩やかに生存領域へと移行する傾向があるので、まずは原始領域から述べることにしたい。

 

原始宗教に関しては、今日まで様々な研究がなされてきたようだが、未だ、統一的、体系的な説は出て来ていないのではないか。例えば、シャーマニズムについては、最初にシベリア地方で観察され、それは東アジアに固有な現象だと思われていた。しかし、その後の研究で、同様の営みが世界的な広がりを持つことが分かっている。シャーマニズムはシャーマンがトランス状態(極度な興奮状態)に陥るところにその特徴があり、その説明としては脱魂型と憑依型があり、双方を主張する学説上の対立があった。しかし、そこに本質がある訳ではない。極度な興奮状態になると、ある種の脳内物質が分泌されるのだ。それはドーパミンだという説がある。従って、シャーマニズムにおいては、人間にとって普遍的な思考方法の起源、そのメカニズムが働いているはずだ。それは、ある地方で生まれてそれが伝播するというものではなく、どこの地方においても、どの時代においても、人間が必然的に向かう普遍的な認識方法なのではないか。

 

この混沌とした摩訶不思議な領域を、私は、次の3つの型に分類して考えてみようと思う。

 

祭祀型

呪術型

修行型

 

初期の祭祀型においては、参加メンバー全員がトランスを経験することを目指していた可能性がある。それはとても昔のことで、まだ地上の人口密度は低く、集団も小さかったに違いない。例えば、激しいリズムがあり、それに乗せて三日三晩、踊り続ける。そして、全員がトランス状態を経験するというものだ。ちなみに、日本の伝統的なリズムはとても控えめだが、かつては激しいリズムを刻んでいたに違いない。それが何故、かくも静的なものに変化したかと言うと、仏教の影響だという説がある。

 

しかしながら、全員でトランス状態に入るというのは、かなりハードルが高い。トランスに入れるか否か、そこには個人的な能力差がある。そこで、能力の高い者がリーダーとなり、集団を代表して、トランス状態に入るようになる。そのリーダーこそが、シャーマンだ。シャーマンの能力には、例えば、オレナ・ウータイのように動物の真似をする能力なども含まれていただろう。

 

Blessing of Nature

https://www.youtube.com/watch?v=oecQDr9B6KU

 

この動画を見ると一目瞭然だが、シャーマンの力は圧倒的なのだ。

 

祭祀は、部族集団が何らかの危機に瀕したときに開催されたのだろう。それは自然災害や疫病だったり、あるいは誰かの死だったに違いない。

 

祭祀は、次第に様式化されていく。そして誕生するのが、アイヌ文化の研究家である知里真志保氏が指摘した「呪術的仮装舞踊劇」なるものだ。私たちが遡ることのできる最古の文化形態が、ここにあるのではないか。私が何故そう考えるかと言うと、そこには様々な文化の要素が、混然一体となって含まれているからだ。時間を経て、それらは次第に分化を遂げる。例えば、音楽、演劇、宗教といった具合に。すなわち、古いもの程、総合的で、新しいもの程、分化されているという仮説が成り立つ。この混然一体となった文化形態をここでは単に「祭祀」と呼ぶことにするが、これも普遍性を持っている。

 

日本には、神楽が存在する。神楽は平安時代に生まれたものだが、その以前にも、神楽の前身となる文化が存在したに違いない。ちなみに、歌舞伎は江戸時代に生まれたそうで、神楽の歴史はそれよりも遥かに長い。

 

広島神楽定期公演

広島神楽定期公演 第37回 琴庄神楽団 「土蜘蛛」最高の特別バージョン! 2018.12.19 - YouTube

 

上記の画像においては、蜘蛛が題材とされているが、他にも大蛇を題材とするものなどがある。

 

祭祀と呼んで良いと思われるものは、アフリカにもある。

 

Dances Africa

Festival de danses et masques gouro - YouTube

 

このZaouliに関する画像は、YouTubeに無数にアップされている。その歴史はそう古くないようだが、Zaouliが誕生する前にも、その前身となる文化があっただろうし、それを支えるアフリカのリズムには、想像を絶する程、長い歴史があるに違いない。Zaouliは葬式などの儀式の際に催されるらしい。

 

北米大陸先住民族、インディアンにも祭祀は存在する。

 

Apache Indian Pow Wow

Apache Indian Powwow - YouTube

 

もちろん南米には有名なリオのカーニバルがある。ちなみに、現代の日本においても、例えば若い人に人気の「和楽器バンド」というのがある。

 

和楽器バンド

https://www.youtube.com/watch?v=NtGCDkW6UvE

 

和楽器バンド」は半分、冗談だとして、祭祀をその構成要素に分解してみよう。

 

・リズムがある。(歌は、ある場合とそうでない場合がある。)

・登場人物が踊る。

・動物(人間以外の生物で、昆虫などを含む)をモチーフとした衣装などが登場する。

・宗教的な意味がある。

 

注目すべき点は、この祭祀が「動物信仰」と深い関係にあるということだ。原始の人々は、身近に見られる動物たちを仔細に観察していたに違いない。自分たちは空を飛べないが、鳥は飛ぶことができる。狼は、自分たちよりも早く走ることができる。そして、動物たちがそれぞれ、彼らの世界を持っていることに気づく。人間の世界と動物たちの世界。異なる2つの世界を結ぶ儀式、それが祭祀だったのではないだろうか。

 

少し、記号論的な見方をしてみよう。

 

彼らが見ていた、認識しようとしていたのは動物だ。そして、動物の動作や鳴き声を彼らは記号として認知していた。しかし彼らは、その記号を生物学的に解釈する能力を有していなかった。そこで彼らが用いた能力は、トランス状態に陥る、麻薬によって幻覚を引き起こす、夢に依存する、などの方法だったに違いない。現代人の私たちからすれば、それらの認識方法を「狂気」と呼んでも差し支えないのではないか。

 

前回の原稿に記したが、記号に関する原理はこうだ。

 

記号 → 解釈能力 → 意味

 

これに祭祀を当てはめてみる。

 

動物 → 狂気 → 意味

 

狂気によって解釈されるので、そこから引き出される意味も、千差万別だったはずだ。例えば、狼の遠吠えを聞く。ある人はそれを祖先の声だと解釈する。しかし、他の人は狼の神様が怒っていると解釈するかも知れない。従って、この時代には因果関係という解釈が成り立たないのであって、その状況をカオスと呼んでいいと思う。

 

(ちなみにレヴィ=ストロースは「交差いとこ婚」という現象を無文字社会の中に発見した。これは現代における高等数学に匹敵するもので、無文字社会の人々も先進諸国と同じレベルの思考能力を持っている、と主張した。残念ながら、私には現代における高等数学を理解する能力がないし、そもそも、レヴィ=ストロースの意見には賛成していない。)

 

では、チェックポイントに従って、まとめてみよう。

 

記号・・・動物

知・・・・狂気

権力・・・存在しない。

秩序・・・カオスを基盤とした部族内の団結

 

秩序の項目は、曰く言い難い気がするが、上のように表現する他はないように思う。そこは、カオスだった訳だが、それでも彼らは祭祀に参加するメンバーの結束を企図していたように思う。

 

初期の原始領域において、人間は狂気から出発し、その時、まだ権力は存在していなかった。そう言えると思う。