文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

救済としての芸術(その1) はじめに

 

今日の日本の状況について、皆様はどうお感じになっているだろうか。上級国民と呼ばれる一部の政治家は、法を犯しても罰せられない。新自由主義とか緊縮財政と呼ばれる勢力が政治や経済を牛耳っており、日本の国民は酷く貧しくなった。それでも半分近くの国民は選挙にすら行かず、環境破壊も進む一方だ。

 

但し、ソクラテス古代ギリシャの政治家や知識人に失望していたし、オルテガはスペインの大衆に嫌気が差していたのだ。あのカントだって、ドイツ国民の無関心について、ボヤいている。どうやらいつの時代でも、どこの国でも、ろくなことはなかったに違いない。

 

それにしても、この馬鹿馬鹿しい世の中を、他の人々はどのように生き延びてきたのだろう? 例えば、アフリカ大陸から奴隷として連れて来られた黒人たち。(正しくは、アフリカン・アメリカンと呼ぶべきかも知れないが、日本においてこの呼称はまだ一般的ではないし、そもそも日本人には黒人を差別しようという意識が希薄なので、簡略に「黒人」という呼称を使用させていただく。)

 

黒人に対する人種差別は、概ね400年も続いている。まず、アフリカ大陸で捕獲された彼らは、長い距離を港町まで歩かされ、そして奴隷船に積み込まれる。劣悪な環境なので、航海中に死者が出る。奴隷商人たちは、容赦なく黒人の遺体を海中に投げ捨てる。それを食べようとする魚たちが、いつも奴隷船の後をついて泳いでいたという話もある。アメリカ大陸に到着すると、彼らは商品として売買された。当初はサトウキビの栽培に関わる重労働を課せられ、それはやがて綿の生産へと移行する。男は肉体労働に拘束され、女は家事を命ぜられる。そして若い女性たちは、夜になると性を搾取されるのだ。

 

ある時、奴隷船による奴隷貿易が法律で禁じられた。すると白人農場主たちがどうしたかと言うと、黒人女性に自分の子供を産ませ、産まれて来た赤ん坊を奴隷として売り払ったという。

 

黒人に対する差別は今日も続いていて、昨年の5月にミネアポリスで白人警官に殺されたジョージ・フロイドさんの事件は、未だ、記憶に新しい。白人警官に殺された黒人は、他にも沢山いるらしい。本来、市民の暮らしを守るはずの警察官が、市民である黒人を殺害するのだ。Black Lives Matter(黒人の命も大切だ)というスローガンを掲げ、全米各地でデモが行われた。

 

それでも、奴隷制が生きていた時代に比べれば、黒人の人権は遥かに尊重されるようになったに違いない。そして何よりも、彼らは生き延びてきたのだ。

 

黒人解放運動は、主に政治の舞台で展開されてきたのだろう。例えば、マーチン・ルーサー・キング牧師が、「I have a dream」から始まる有名な演説を行ったのは、1964年のことだ。しかし、そのような絶望的な状況下にあって、黒人を励まし、白人に譲歩を求めて来たその原動力は、芸術にあったのではないか。

 

例えば、綿花畑の重労働によって疲弊した黒人の心を慰めたのは、労働歌としてのブルースだったのではないか。そして、黒人が生み出したジャズは、白人をも魅了したのである。そこで、白人の黒人に対する尊敬にも似たような感情が、生まれたに違いない。ジャズは、やがて黒人のスターを生み出す。その1人であるビリー・ホリデイは、白人によるリンチによって殺され、木から吊るされた黒人の遺体を「奇妙な果実」(Strange Fruits)という歌で表現した。

 

当初、白人は黒人に文字を教えることを嫌った。聖書を読ませたくない、というのがその理由だった。しかし、長い年月を経て、一部の黒人は読み書きの術を手に入れた。そして、ある黒人奴隷が小説を書いたのである。それを読んだ白人は、驚愕したらしい。「黒人も俺たち白人と同じようなことを考えているじゃないか!」

 

時は流れて、アメリカはベトナム戦争に突入する。アメリカの徴兵制について、私は然したる知識を持っていない。(今は、廃止されている。)しかし、当時、多くの黒人が戦場に駆り出されたであろうことは、想像に難くない。戦地においても、白人よりも厳しい任務を与えられたのだろうと思う。そして、アメリカ本土に帰還した黒人兵は、ベトナム戦争に反対する意思を表明する。そして、戦争反対というムーブメントと、黒人解放という主張が、一体となっていくのだ。

 

そこで、サッチモの愛称で呼ばれるジャズのルイ・アームストロングが、「この素晴らしき世界」を歌うのである。これは反戦歌である。その歌詞は「この世界は、素晴らしいと私は思う」というものだ。私は、そう思う。あなたはどうだろうか。もしそう思うのなら、戦争は止めよう、差別も止めよう、という意味が秘められているに違いない。対立を拡大させるのではなく、融和を求めているのである。なんという懐の深さだろう!

 

この曲を歌う時、サッチモは一瞬、とても悲しそうな表情を浮かべるという説がある。その真偽は、あなたの目で確かめていただけないだろうか。

 

ルイ・アームストロング この素晴らしき世界

Louis Armstrong - What a wonderful world ( 1967 ) - YouTube

 

この素晴らしき世界 歌詞和訳付き

https://www.youtube.com/watch?v=czI0VtKsvFM

 

ある時期、「黒人の女性も美しい」という主張がなされた。当時、アメリカのファッション雑誌を飾っていたのは、白人の女性ばかりだったのではないか。そこで、黒人の女性だって綺麗だぜ、という主張が出てきたのである。この主張は、Black Beautyというスローガンによって表現された。ちなみに、マイルス・デイビスも同名のアルバムをリリースしている。

 

黒人にとって困難な状況は、未だに続いている。しかし、それは明らかに良い方向へと向かっている。そして、その原動力となったのは、言葉の力であり、芸術の力ではないだろうか。私たち日本人にも、同じような力があるのではないか。芸術の力。それを読み解こうとするのが、これから始めようとするシリーズ原稿の趣旨である。

 

ちなみに、上に記したBlack Lives Matterのデモ行進には、多くの白人が参加したとのことである。