文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 1 文化とは何か

考え方を論理的に組み立てるためにも、また、誤解を避けるためにも、最初に主要な言葉を定義しておくことは重要です。

“文化”という言葉の定義を巡って、過去にいくつかの論議があったようです。

1871年にイギリスの文化人類学者であるE.タイラーは、文化を次のように定義したそうです。(文献1)
「人間が一つの社会の成員として獲得する、知識、信仰、芸術・技術、法律、道徳、その他あらゆる能力や習慣を含む複合的総体である。」

ちょっと難しいですね。次に、1920年代になるとアメリカの文化人類学者であるF.ボアズは、次のように定義しました。
「文化とは物質や具体的な行為の総合体ではなく、それらを理解可能なものとする枠組みやルール、記号の体系である。」

更に難しくなってしまいました。学術的には、そうなるのかも知れませんが、私はもっと簡単に考えたいと思っています。

どこか高いところから、人間の行動を観察することができたとします。まあ、客観的に見てみるということです。さあ、人間たちは何をしているでしょう。一番多いのは、働いて、寝て、食べている人たちではないでしょうか。これらの行動は、自分とその家族が生きていくことを目的としています。この類型をここでは“身体保存行為”と呼ぶことにします。次に、人間ですから年頃になれば恋もします。そして、結婚、出産、育児へとつながる一連の行動があります。この類型は、“種族保存行為”と呼ぶことにします。もちろんそれ以外の行動も見受けられます。映画を見たり、絵を描いたり、歌っている人たちも沢山います。これらの行動類型や、その成果物などを総称して“文化”であると、私は定義したいのです。

つまり、人間の行動パターンから、“身体保存行為”と“種族保存行為”を除外したもので、その成果物(歌や、描かれた絵など)を含めたものが“文化”であると思うのです。例としては、宗教、芸術、衣食住に関するもの、娯楽などを挙げることができます。もちろん、線引きの難しい場合もありますが、それは後で考えることにして、ここでは先に進みましょう。

こうしてみると、身体保存行為や種族保存行為は、本能的な行動であり、具体的な目的があるのに対して、文化に関わる人間の行為は、その目的が必ずしも明確ではないように思えます。しかし、だからこそ“文化”は人間的なものであって、文化によってこそ、私たちの人生は豊かになるのではないでしょうか。

(参考文献)
文献1: 文化人類学/内堀基光 奥野克己/NHK出版/2014