文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

領域論(その10) 認識領域 / 「知」を開示せよ

 

先の原稿で述べた通り、大和銀行ニューヨーク支店事件に関する判決で、最高裁は「リスク管理の大綱は、これを取締役会において決することを要す」と述べた訳だが、その際、最高裁の判事がどの程度、リスク管理について理解していたのか、私は、はなはだ疑問に思っている。

 

いずれにせよ、日本の企業にも欧米型の統治機構を持たせようということで、商法の一部を独立させて、会社法(2006年施行)を制定することになる。その際、法務省リスク管理とは何か、ということについて思案したに違いない。そこで彼らが参考にしたのが、全米公認会計士協会が策定したEnterprise Risk Management(“ERM”)というモデルだった。

 

ERMはとても複雑で論点も多岐に渡るが、そのポイントは、リスクを「目標達成の阻害要因」として定義するところにある。まず、目標を設定して、その阻害要因を特定し、特定された個々の阻害要因に対して、対策を講じろというのだ。これは、とても合理的な考え方であろう。

 

例えば、東京五輪組織委員会は、「達成すべき目標」を考えているだろうか。仮に、「五輪を成功させること」という目標を設定した場合、これを中止するという選択肢は排除される。また、「関係者の幸福度を向上させる」という目標を設定した場合、検討すべき範囲は広がるだろう。関係者と言えば、選手がいて、ボランティアがいて、日本国民がいて、協賛企業がある。それら関係者間の利害を調整した上で、幸福度を向上させなければならない。このように目標を設定した場合、当然、コロナの影響を勘案し、中止するという選択肢が出てくるだろう。仮に五輪を開催することによって、世界中から最新で、最強の変異株が日本に集まることとなれば、関係者の幸福度は地に落ちるに決まっているのだ。

 

少し、ERMの範囲を超えるかも知れないが、福島第一原発の汚染水処理の問題について、考えてみよう。膨大な汚染水を海に放出するか否か、という問題だ。この場合の「達成すべき目標」は何だろう。「東電の救済」だろうか。そうであれば、海に放出するという選択肢が採用されるかも知れない。しかし、もっと大きなフレームの中で考えるべきではないか。例えば、「日本国民の健康を維持し、経済的な損失を最小化すること」とした場合はどうだろう。この場合、当然、検討の前提条件を明確にする必要がある。つまり、東電やメディアは「処理水」と呼んでいるが、本当にその液体からは汚染物質が除去されているのか。海洋放出を行って被害が発生した場合、日本が外国から訴えられるリスクはないのか。この問題を放置した場合、いつごろ陸上保管が不可能となるのか。

 

これら検討の前提条件を全て明確にした上で、世界中から最新の知見を集めた上で、あらゆる選択肢を抽出すべきなのだ。そして、個々の選択肢について、評価を行う。そのようなステップが必要になると思うが、それらの情報が開示されたという話は、一向に聞かない。利権が絡んでいるのだろうか?

 

いずれにせよ、リスクマネジメントや意思決定に関する情報は開示されるべきだし、そのプロセスおいては、透明性を確保すべきだと思う。

 

このような話を何故するかと言えば、それは「認識領域」なるものが、確実に存在することをご理解いただきたいからだ。それは、日常生活の中では見えてこない。テレビを見ても、そんな話は一向に語られることがない。最近、哲学は停滞しているように思える。しかし実際には、現在も多くの学者や法律家、そして公認会計士などが、より良いリスクマネジメントや意思決定に関する体系的なモデルを考案すべく、日々、努めているに違いないのだ。

 

それでは、この「認識領域」についてまとめてみよう。この領域の本質は、反権力にある。「知」や情報を覆い隠そうとする権力に対し、その開示を求めるのがこの領域の真骨頂なのである。また、この領域で注目される記号、それはエクリチュール(書き言葉)なのであって、生存領域におけるパロール話し言葉)とは対立する。そして、この認識領域においてこそ、人々は思考し、論理を構築しようと試みているのである。

 

 

領域論/主体が巡る7つの領域

原始領域・・・祭祀、呪術、神話、個人崇拝、動物

生存領域・・・自然、生活、伝統、娯楽、共同体、パロール

認識領域・・・哲学、憲法、論理、説明責任、エクリチュール

記号領域・・・

秩序領域・・・

喪失領域・・・

自己領域・・・