文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

人口爆発と生存競争

 

- 上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が楽になっていなければならないはずであります。(中略)けれども実際は何(ど)うか。打明けて申せばお互いの生活ははなはだ苦しい。(中略)否開花が進めば進むほど競争がますます劇(はげ)しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。(中略)生存競争から生ずる不安や努力に至っては決して昔より楽になっていない。否昔よりかえって苦しくなっているかも知れない。-

 

上の引用は、夏目漱石の「現代日本の開花」という講演録からの抜粋である。概ね、今から100年ほど前に漱石はそう述べている。大昔の時代から、人間は工夫を重ねて生きてきた。そして日本は、文明開化の時代を迎えたのである。だから、人々の生活は昔よりも楽になっていてしかるべきだが、実際には、より苦しくなっているような気がしてならない。昔よりも生存競争が厳しくなっているのではないか。何故だろう。漱石はそう嘆いている。

 

漱石の時代と比べて、現代に生きる私たちの暮らしはどうだろう。各段に便利になったし、住環境も快適になったと思う。他方、うつ病に罹患する人や自殺してしまう人の数は、増加しているに違いない。子供食堂の数も増え続けている。

 

文明化が進むと、生存競争が厳しくなる。何故か。この問いは、ある簡単な仮説によって、説明できる。

 

前提条件として、地球が人類に対して提供できる食料の総量には限界がある。海産物については、養殖技術によってそれを増加させることができるかも知れないが、その量は0.1%にも満たないだろう。また、陸地が算出する農産物についても、限界があるに違いない。米国の研究所が、人工的に食肉を製造することに成功したらしいが、これはとても高価なもので、ステーキ1枚で数百万円とか、そのような価格帯だったように記憶している。

 

一方、地球上に暮らす人間の総数は、増加の一途を辿っている。いや、そんなに生易しいものではない。産業革命以降、爆発的に増加しているのだ。

 

人口が増加すれば、結果として、生存競争が厳しくなるのである。世界人口は、大体60億人程度だと思っていたが、それがいつの間にか70億人になり、直近で国連が発表したところによると80億人を超えたという。

 

TV番組のリンクを貼っておこう。

https://www.youtube.com/watch?v=gKqWiTQQu2s

 

一定限度の食料をより多くの人間が奪い合うのだから、その競争が激化するのは当然の帰結である。食料ばかりではない。水やエネルギー資源についても、同じことが言える。

 

生存競争は、あらゆる位相における分断を生む。先進国と途上国の戦い。先進国は途上国に対して、人口を抑制しろと言う。他方、途上国は先進国に対し、環境汚染を止めろと主張する。どちらの主張も正しいと思うが、それを実現するには痛みが伴う。

 

アフリカの途上国における出生率は、もともと子供たちが多く死ぬので、そのことを前提として多産になるのだと言う。この多産を抑制するためには、結局、子供たちの死亡率を下げるしかない。

 

生存競争の激化は、階級間の対立をも促進する。人々は不安になるので、貯蓄を増やそうとする。一部の金持ちはより多くの資産を保有し、結果として貧困層が増加する。新自由主義は、この原則を肯定している。

 

更に、生存競争の激化は、移民を生む。途上国で生きていくことが困難になった人々が、大量に先進国を目指しているのだ。米国では、メキシコとの国境を越えて、大量に移民が流入し続けている。その数は、年間100万人に達する。移民の多くは、低賃金労働に従事する。すると、元々、低賃金労働に従事していた人々の職を奪うことになり、そこでも対立が生ずるのだ。かつて、トランプが国境に壁を作ると言っていて、当時、私は笑ったものだが、背景には深刻な事情があるのだ。

 

欧州の事情は、もっと深刻だ。シリアなどから、陸地を伝って流入する難民がいる。加えて、アフリカの途上国から、小さなボートに乗った難民が大量に押し寄せているのだ。欧州の諸国は人道的な見地から、難民を受け入れようと努めてきた。何しろ、ボートが沈めば彼らを待つのは死しかない。実際、途中で沈没するボートは後を絶たない。しかし、難民の受け入れにも限度がある。例えばスウェーデンは治安の良い国だったが、今では警察でさえも立ち入ることをためらうような移民街があると言う。移民を受け入れた国は、彼らを保護するためのコストを負担せざるを得ず、他方、受け入れを拒否した場合には、眼の前でボートが沈んでいくのだ。

 

移民の多くは、移住先国家の母語を理解しない。言葉が通じなければ、法治主義自体が揺らぐ。いや、影響はもっと深刻で、大量の移民は近代が生んだ民主主義を旨とする国家の存在自体を危うくするのだ。大量の移民を前にして、国家の存在自体が問われているのかも知れない。

 

現代文明が抱える諸課題の根源には、この問題があるのではないか。