文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

反逆のテクノロジー(その12) 経済原則に依存した現代のシステム

ミシェル・フーコーは、人間が自ら生きているその時代のエピステーメーを認識することは不可能だと考えていた。そうかも知れない。何しろ、思考の前提から情報から、全て、その時代のエピステーメーに依存しているのだから、それを第三者的に、若しくは客観的に認識することは不可能、又は極めて困難だと言わざるを得ない。しかしフーコーは、「現在」について思考せよ、とも言っている。もちろん、私たちが最も知るべきエピステーメー、それは現在のそれであるのだから。

 

ところで、このブログでは過去の歴史を4つの時代に区分して、それぞれの認識方法や社会制度について検討してきた経緯がある。今思えば、これはフーコーが提唱したエピステーメーという考え方に似ている。では、現代をどう表現するか。それは「経済的認識」と「グローバリズム」と表現するのが分かりやすいのではないか。以前提示したもの(2020.02.18 文化認識論 その23)を若干バージョンアップしたものを以下に示す。

 

古代・・・芸術的認識・・・シャーマニズム

中世・・・宗教的認識・・・君主制

近代・・・科学的認識・・・国家主義(民主主義 & ファシズム

現代・・・経済的認識・・・グローバリズム

 

自然科学が目覚ましい発展を遂げた近代においては、人間や人間社会を対象とする学問もそれにならって科学的であろうとした。そして、社会科学、人文科学という分野が登場する。近代思想を象徴する一つの言説として、日本国憲法がある。私はそこに記載された理念を支持している。しかし、日本国憲法が地域に根差した村落共同体や、職業単位で構成される同業者組合のような中間集団を解体してきた、との指摘もある。いずれも憲法22条によって、居住及び移転の自由が保障され、職業選択の自由が認められたからに他ならない。つまり、近代思想はそれらの中間集団に依拠する社会像を捨てて、国家という単位で秩序化を図ろうとするものだったのだ。

 

そして、グローバリズムが登場する。グローバリズムは、国家という単位を否定し、世界標準で人間の社会を運営していこうとする思想に他ならない。但し、グローバリズムが破壊したのは、国家だけではない。本来、国家だけが持ち得た基本的人権の尊重や、法治主義という理念さえも破壊してきたのだ。例えば、日本国内で殺人事件が起きたとする。すると、日本には警察機構があって、それが国家権力を背景として、犯人を逮捕し、刑事裁判に付すことができる。一方、例えば中国がウイグル自治区などで少数民族の人権を蹂躙しているということは、ほぼ確実な事実だと思えるし、最近の香港における人権弾圧には目を覆いたくなる。しかし、日本はこれらの問題に介入することができない。日本のみならず、国際社会全体が問題を解決できずにいる訳だ。すなわち、国家の内部であれば、警察力によって秩序を維持することが可能だが、国際社会においては、この強制力が働かない。もちろん、条約や国際的な協定は存在する。しかし、これらは強制力を持たないため、実効性が担保されていない。最終的な強制力ということで言えば、それは軍事力を用いた戦争ということになるが、核兵器が拡散してしまった今日において、戦争は現実的な解決手段たり得ない。

 

加えてグローバリズムは、文化をも破壊してきたのだ。文化はそもそも、制限された時間や空間の中においてしか、成立しない。相撲には土俵があり、野球は野球場で、コンサートはコンサートホールで行われる。そのような制限(リミット・セッティング)があるからこそ、人間は認識することが容易となり、文化の内実を楽しむことが可能となるのだ。日本各地には、それぞれの民謡や民話、そして祭りがあった。それらは衰退する一方で、代わって出てきたのがサッカーなどのグローバルで行われているスポーツや、ハロウィンなどのイベントである。こうして、エンターテインメントの世界まで、規格化、画一化が進んでいる。

 

もっと深刻なのは、現在、日本語が危機的状況にあることだろう。かつて、日本語には美があった。「円かな月に、夢を結ぶ」。かつて私たちの日本語には、このような美しさがあったが、失われてしまった。いくつか理由があるのだろうと思う。1つには、現代の日本から美しい自然が失われてしまったということがある。美しい自然を描写するから、美しい言葉が生まれる。もう1つには、日本語の世界にアルファベットや数字が頻繁に登場するようになったこと。もしあなたの身近にペットボトルや缶飲料があれば、手に取って眺めて欲しい。そこにはアルファベットが記載されているはずだ。これら商品の世界に加え、エンターテインメントの世界にもアルファベットや数字が浸透しつつある。AKB48の例を出すまでもないだろう。またインターネットの世界には、アルファベットが溢れている。YahooとかGoogleなど。例えばフランスでは、無闇に外国の文字を使用することは、法律で禁止されているらしい。中国も同じではないか。かつて中国を訪れたとき、街の看板に「電脳」という文字を見たことがある。なんとなく、電子を使った頭脳、すなわちコンピューターのことではないかと思ったので、記憶に残っている。

 

日本語から美が消えてしまった今日、果たして日本文学は成立するのだろうか? 私は、懐疑的にならざるを得ない。

 

グローバリズムが何をもたらしたかと言うと、それは経済原則に基づく権力のシステムだろう。拝金主義、弱肉強食の新自由主義と言ってもいい。これらは地球環境をひたすら破壊し、人々の経済格差を拡大した。

 

このシステムを運営している連中が、権力者ということになる。それはアメリカかも知れない。国際金融資本と呼ぶべきかも知れない。あるいは、陰謀論の文脈で語られるロスチャイルドやロックフェラーなのかも知れない。私は一次情報を持っていないので、確定的なことは言えないが、そういうこともあり得るような気がする。しかし、権力者が誰なのかということが最も重要な問題なのかと言うと、そうではない。見えにくい権力者を探し出すことよりも、私たちがこのシステムから抜け出すことの方が、余程、重要だと思う。

 

では、このシステムがどのような手口で大衆を管理しているのか、考えてみる。列挙してみよう。

 

・情報を与えない。

・不安を与える。

・気晴らし(エンタメ)を与える。

・考える時間を与えない。

・金を与えない。

 

一般に愚民政策として語られる内容と重複していると思う。2番目の「不安を与える」というのは、仮想敵国を作って、その脅威を喧伝するという方法だ。日本で言えば、北朝鮮からミサイルが飛んで来るとか、中国に尖閣を奪われるとか、そういう情報がこれに当たる。しかし、ミサイルは一向に飛んで来ないし、尖閣よりもむしろ中国に北海道の土地を爆買いされていることの方が、余程脅威ではないのか。4番目の「考える時間を与えない」というのは、特に、学校の教員にその傾向が強いように思う。子供というのは権力者にとって他者であり、教育を司る教員たちが本気で考え始めては、子供たちに影響が及ぶ。それをシステム側の人間は恐れているに違いない。だから教員は皆、忙しいのだろう。そして最後の「金を与えない」ということだが、ここらがポイントだと思う。大衆が経済的に裕福になれば、彼らは勤勉に働かなくなる可能性がある。そして、価値観が多様化する。システムを運営する側にとってみれば、これこそが最大の脅威なのではないだろうか。大衆を貧しくさせておく。そして、コロナ禍の真っ最中であるにも関わらずGo Toトラベルなどというキャンペーンを打つと、中高年の支持率が一気に上がる。携帯電話の料金を下げると言えば、貧しい若者たちがこぞって政府を支持する。

 

日本の状況を見ると総理大臣などの権力者とそれに隷従する大衆というのは、基本的に同じタイプの人間ではないかと思える。そこら辺の仕組みについては、既にオルテガの「大衆の反逆」にて検討したので、繰り返さない。なお、権力者や大衆の愚かさについては、エティエンヌ・ド・ボエシという人が書いた「自発的隷従論」という本がちくま学芸文庫から出版されていて、こちらも参考になる。

 

但し、この権力側が運営するシステムも疲弊している。あちこちに亀裂が入り、軋み音を立てている。こんなシステムをいつまでも続けられるはずがない。別の言い方をすれば、彼らはシステムを維持するために必死になっているに違いないのだ。私には、彼らの断末魔の叫びが聞こえる。

 

グローバルで見た場合、やはりインターネットの影響は大きいに違いない。政治的な情報は、ツイッターで瞬時にして拡散する。ここまで来ると、誰もネットの勢いを止めることはできない。消費税の欺瞞は暴かれ、MMT(Modern Monetary Theory)も拡散しつつある。従来シンギュラリティとの関連で語られていたBasic Income(“BI”)の論議が、コロナ禍を契機として急速に高まりつつある。コロナだから、大衆は働けないのだ。働けないから、政府が金を刷って配れ、という論議が高まっている。ちなみに、BIには2種類あるので、ご参考まで。

 

“天使のBI”・・・現在の年金制度や生活保護制度を維持しつつ、インフレターゲットが達成されるまで、BIとして国民に金銭を給付するというもの。山本太郎氏、池戸万作氏などが主張している。

 

“悪魔のBI”・・・年金制度や生活保護制度を廃止し、一律、7万円をBIとして給付するというもの。悪名高き竹中平蔵が主張している。(月7万円で暮らせるはずがない!)

 

地球環境は急速に悪化しており、現在のシステムを継続する訳にはいかない。私が子供だった頃、夏でも30度を超えると大騒ぎだった。今の日本の夏は異常だ。北極の氷が解けると、北欧の国々が沈み、国土が縮小する可能性がある。

 

コロナ禍がどうなるか、それは誰にも分からないが、この冬にパンデミック(第3派)が発生する可能性がある。アジア諸国においては、未だ謎の理由(ファクターX)によって、死亡率は高くない。しかし、欧米諸国での死亡者数には愕然とさせられる。

 

コロナなので、在宅勤務、リモートワークを推進しろという説もあるが、これには限界がある。そもそも会社においては、仕事を通じて、上司が部下を手取り足取り教育する必要がある。これをOJTと言うが、リモートワークではこのOJTが機能しない。ある程度自律的に仕事をこなせるのは、一部のマネージャークラス以上の従業員に限定される。すると、そもそも会社という組織自体、そのあり方が問われるかも知れない。アウトソーシングが加速し、会社はどんどん空洞化する。働ける個人は会社と雇用契約を結ばず、出来高払いの請負方式に変わっていくかも知れない。

 

いずれにせよ永遠に続くエピステーメーなど、存在しない。今のシステムが、永遠に続くなんてことは、あり得ない。世界のどこかの国で、何かが起こり、新しいエピステーメーが世界を席巻する。そういう日が来るに違いないのだ。

 

但し、その起爆剤となる国は、日本ではないだろう。日本では、既にほとんどの機構が、システムに飲み込まれてしまった。新しい時代と文化、その芽が出てくるのは、ヨーロッパのどこかの国ではないだろうか。

 

ひとまとまりの原稿としては、以上で終わりだが、どうしても書いておきたいことがもう1つある。やはり、人類の歴史というのは、秩序化、システム化のプロセスだと思う。そして、各時代のシステムが対象としてきた人数というのは、着実に増加してきたのだ。大雑把に記してみよう。

 

古代・・・シャーマニズム・・・70人

中世・・・君主制・・・・・・・7千人

近代・・・国家主義・・・・・・7千万人

現代・・・グローバリズム・・・70億人

 

このように並べてみると、各時代のシステムが対象とする人間の数が、指数関数的に増加してきたことが分かる。そして、グローバリズムまで行き着いてしまうと、これが天井で、これ以上増やすことはできない。だから、現代という時代は「どん詰まり」の時代なのだ。この状況を打破するためには、時代を遡って対象人数を減少させるという方法が考えられる。国家主義まで戻るのか、もっと少ない人数の集団を措定するか。しかし、時代を遡るという発想には疑問がある。何故なら、時代の流れが逆行したことは、未だかつて一度もないのだ。そうではなくて、全く新しい発想で、人間集団というものを考え直す必要があるような気がする。仮に、そのアイディアが出て来ないというのであれば、とりあえず、国家主義にまで戻すべきではないか。

 

反逆のテクノロジー(その11) 直線の発見

古の哲学者たちは、三角形について考えるのが好きだった。最小限の直線によって、面を構成するのが三角形で、そこから幾何学が始まる。例えば、三角形の内角の和は180度であるとか、そういうことを考えた人がいる。三角形の2辺の長さの和は、残る一辺よりも長い。それは経験によらずして知ることができる。カントはそのような経験に基づかない知識を尊重した。

 

いいだろう。三角形は重要だ。そのことに、私も異存はない。ピラミッドの壁面だって、三角形で出来ている。しかし、三角形を構成しているのは3本の直線であって、私はその直線そのものについて考えることの方が、余程、本質的ではないかと考えている。何しろ、直線がなければ、三角形だって成立しないのだから。

 

そもそも、自然界にはほとんど直線は存在しない。地平線や水平線だって、よく見れば湾曲している。では、物を落とした場合は、どうだろう。確かに、手に持った石をそっと離すと、それは直線の軌道を描いて落下する。しかし、その軌道を肉眼で見ることはできない。杉の木は、確かに直線に近い。しかし、それは多くの枝で遮られている。滝はどうだろう。水が落下するのだから、その軌跡は直線であるに違いない。しかし、多くの場合、風の影響を受けるので、水が垂直方向に落下することはない。

 

では、人類はどのようにして、直線なるものを発見したのだろう?

 

私はとても長い間、この問題について考えてきた。そして、アイヌ文化と出会う。すると、こんなことが分かる。アイヌの人々は、特定の木の樹皮を剥いで、持ち帰る。それを煮ると、樹皮は分解される。そこから、繊維を取り出すことができるのだ。この繊維を手作業で結っていくと、糸ができる。その糸を織ると布ができて、布から着物を作ることができる。

 

そう、糸なのだ。糸の両端を引っ張ると、直線ができる。こうして、人類は直線を発見したに違いない。直線とは「2つの点を最短距離で結んだ線」と定義されている。もちろん、糸の両端を引っ張ることによって、最短距離を実現することができる。

 

直線は、人類の生活に多大な影響を及ぼした。それは幾何学のみならず、建築物や生活空間を一変させた。そして直線は、記号の世界にも入り込む。アルファベットのEやF、漢字の一二三などは、どれも直線によって描かれている。

 

直線や、三角形から作り出される平面が、人類の秩序化の歴史の発端だったのではないか。フーコーも人類の秩序化に向けて、「マテシス」なるものが一役買ったと述べている。

 

注)マテシス・・・数学の明証性と演繹性をモデルとした諸学の統一化、普遍化のくわだて。

 

いずれにせよ、人類が直線や平面を作り出すために岩を削り出し、樹木を伐採してきたことは明らかだ。例えば、直線の道を作ろうとする。そこに障害物があれば、人類はそれを取り除いてきたのだ。邪魔な物を取り除いて、秩序を作り出す。そして、この秩序を生み出そうとする力が人間に向いた場合、それが原始的な権力となったのではないか。

 

そもそも、人間の認識というのは言語に基づいている訳だが、この言語そのものが秩序の形成作用であると言える。例えば、虹の色は微妙に変化していて、私たちはそれが7種類だと認識している。しかし、それは連続的に変化している色彩を7つに切り取っているに過ぎない。実際、虹の色を5色だと認識している民族も存在する。連続している自然を切り取って、言葉による名称を付け、人間は自然を認識しているに過ぎない。

 

このように考えると、かつて人類が狩猟・採集を生業としていた時代は、現代人の目からすれば、カオスに近い状態だったのかも知れない。やがて、人口が増え、狩猟・採集では食料を賄うことができなくなる。そして、人類は定住を始め、農耕・牧畜を始める。ここら辺のタイミングで、秩序化は急速に進展したに違いない。そして、文字によって記載された経典を持つ宗教が生まれる。宗教も、人類の秩序化というプロセスの中にあるのだろう。

 

時代を経るにつれ、この秩序化は加速し、それはやがて複雑な構造を持つようになる。これを「システム」と呼んで差し支えないように思う。人類による自然破壊や、権力もシステム化される。貨幣経済もシステム化される。反射的な作用として、システムにとって邪魔になるもの、認識できない他者などが、排除されるようになる。そして、その排除すべき対象者を見つけるための監視システムが出来上がる。

 

西洋において、この秩序化、システム化に一役買ったのが、プロテスタンティズムではないか。プロテスタンティズムは、ルターが「万人祭司」と主張した所に起源がある。ルターは、人間である牧師などが、勝手に聖書を理解したり説教したりすることに異を唱えた。そうではなくて、真理は聖書そのものの中になるのであって、神の下に人間は平等である、という主張につながる。これが発展すると民主主義となる訳だが、プロテスタンティズムの中には、秩序化、システム化を促進するという危険が潜んでいる。神の下に平等だという考え方はいいが、あくまでも聖書を尊重するという立場から、人間の価値観を固定化し、人間を規格化し、秩序の維持、権力の維持を支持しようとする立場につながる。現代においても、福音派と呼ばれるプロテスタントは、アメリカで人口中絶や同性愛に強く反対している。

 

プロテスタンティズムは勤労を強く推奨していて、これが資本主義経済の発展に貢献したというマックス・ヴェーバーの説もある。

 

そうしてみると、「直線の発見」から、「宗教の出現」につながり、そこから「資本主義社会」へとつながっているように思える。

 

いずれにせよ、「直線の発見」というのは、人類史上特筆すべき出来事であって、それは2足歩行の開始、火の使用などと同列で語られるべき事柄ではないか。よく人類と他の動物との違いは何かという論議があるが、「直線を発見したのが人類」であって、他の動物との違いはそこにある、とさえ言いたくなる。

反逆のテクノロジー(その10) 3つの絶望

フランスの哲学者であるミシェル・フーコーは、その生涯を通じて、少なくとも3つの絶望に直面したのだと思います。本稿では、そのことについて書いてみたいと思います。

 

1.「人間の終焉」という絶望

 

最初に挙げたいのは、「言葉と物」のラストを飾る「人間の終焉」という予言です。近い将来、人間という存在が終焉を迎えるというのですから、これは絶望だと言っていい。では、フーコーは何故、そう言ったのか。文献2は、次のように解説しています。

 

- (前略) 現代文学が投げかける作品空間は、明らかに言語が人間の手の内から逃れ去り、逆に人間を規定する方向性を持つ。そこでは、言語自体の存在がますますあらわになり、人々は人間に関する根拠づけを放棄し始めているのではないだろうか。(中略)フーコーによるなら、西欧文明において、かつて人間の実存と言語の存在は、一度たりとも両立したことはないという。それゆえ、言語の存在がせり出しつつある今日、新たな思考の地殻変動が生じているのではなかろうか。もし、そうであるとするならば、と慎重な姿勢を取りながらも、フーコーは新たなるエピステーメーの到来を予感する。そのエピステーメーとは、言語の存在の前で人間の能動性が奪われ、口をつぐみ、消えてゆく時代である。フーコーにおける「人間の終焉」という表現は、この新たなエピステーメーの到来を表わしている。-

 

現代文学だとか「言葉」と言われても、ちょっとピンと来ないのではないでしょうか。但し、ここは思い出して欲しいのです。フーコーは人間存在よりも上位にあり、人間を規定するような事柄をシステム、権力、エピステーメー、言葉などの用語によって表現しています。これらは、構造主義者たちが主張する「構造」という用語と、ほぼ同じ意味ではないでしょうか。すると、ここで言われている「言葉」という用語を、例えば「システム」という用語に置き換えてみてはどうでしょうか。

 

- システムの前で人間の能動性が奪われ、口をつぐみ、消えてゆく時代である。-

 

こう読み替えてみると、意味が見えてくるのではないでしょうか。そして、21世紀の日本の状況を考えますと、それはフーコーが50年以上も前に予言した通り、人間存在が消えかけている。私には、そう思えてなりません。

 

2.「侵害としての認識」という絶望

 

哲学の本流が認識論にあるとして、フーコーの「言葉と物」の本質もそこにある。このブログで先に述べました「連続性原理」、「非連続性」、「他者」、「エピステーメー」などの概念も、認識論の範囲内にあるのだろうと思います。そして、フーコーは人間の認識能力に絶望していると思うのです。文献5から引用させていただきます。「真理と裁判形態」に関する1973年の講演録から。

 

- 認識と認識が対象とすべきものの間には、自然的連続性といった関係はなにもありえない。そこには暴力、支配、権力と力、侵害といった関係しかありえない。認識は、認識すべきものに対する侵害(violation)でしかありえないのだ。それは知覚でも再認でもないし、またあれらこれらといったものの同一化でもない。-

 

1970年以降、フーコーは権力やシステムについての検討を重ねており、上記の引用箇所は、その流れに沿ったものです。例えば、裁判においては、冤罪という問題が生じる。このような場合には、上記の指摘がそのまま当てはまります。しかしフーコーは、そのように限定された場合を指して言っているのではない。人間の認識そのものの暴力性について述べているのです。これは人間存在に対する率直な否定だと思われます。

 

3.「哲学の終焉」という絶望

 

フーコーの有名な言葉の1つとして、次のものがあります。性の歴史II-快楽の活用の序文から。(文献5)

 

- 今日、哲学とは -私が言いたいのは哲学の活動ということであるが- いったい何だろうか? 哲学が思考の思考自身に対する批判的な作業ではないのだとしたら。そしてまた、人がすでに知っていることを正当化するのではなく、別なように考えることがどのように、そしてどこまで可能であるのか、このことを知ろうと企てることに、哲学が存するのでないのだとしたら。-

 

フーコーは、哲学の衰退について嘆いていた。(文献8)既に哲学には、ほとんど誰も関心を示さず、それは大学の中でしか、語られることがなくなっていた。そして哲学を教える教授たちでさえ、哲学の歴史や過去の哲学者の思想については教えるものの、自分たちの頭では哲学を考えなくなっている。そのことを踏まえて、もう一度、上記の引用箇所を読んでいただけないだろうか。そこには、フーコーの深い悲しみが読み取れる。

 

1984年6月25日、フーコーはパリのサルペトリエール病院で息を引き取った。(文献2)訃報を知った人々が集まり、病院の中庭で、儀式が執り行われた。その際、かつての盟友ドゥルーズが、上記の文章を読み上げたそうです。

 

(参考文献)

文献1: FOR BEGINNERS フーコー/Cホロックス/白仁高志訳/現代書館/1998

文献2: フーコー今村仁司・栗原仁/清水書院/1999

文献3: 言葉と物/ミシェル・フーコー渡辺一民佐々木明訳/新潮社/1974

文献4: ミシェル・フーコー、経験としての哲学/阿部崇/法政大学出版局/2017

文献5: ミシェル・フーコーの思想的軌跡/中川久嗣/東海大学出版会/2013

文献6: 図説・標準 哲学史/貫 成人/新書館/2008

文献7: 哲学中辞典/尾崎周二 他/知泉書館/2016

文献8: フーコー・コレクション1 狂気・理性/ミシェル・フーコーちくま学芸文庫/2006

反逆のテクノロジー(その9)私たちを支配するシステム

私たちが生きている世界は、時間と空間によって成り立っていますが、どちらも連続しています。

 

静岡県って、どこだっけ?」

「神奈川県の向こうだろう」

 

私たちは、大体、こんな風に考える訳です。空間は連続している。その連続性の中で、位置を認識するのです。

 

「昭和って、いつだっけ」

「平成の前だよ」

 

時間も同じですね。地球という惑星が生まれて以来、いや、そのもっと前から時間の流れが途切れたことはありません。

 

ミシェル・フーコーは、動物の種別についても連続していると述べています。原始的な生物と人間の間には、サルがいる。鳥と哺乳類の間には、ムササビがいる。私たちを取り巻く自然というのは、この「連続性」によって構成されている訳です。そして、この「連続性」という原理が、人間の認識方法に強い影響を与えてきた、と主張するのです。

 

フーコーは、各時代を支えるエピステーメーという概念を提唱した訳で、エピステーメーは変化する訳ですが、にも関わらずこの「連続性」に支えられた認識方法は、変化していないと考えたようです。文献5から、引用させていただきます。

 

- エピステーメーの変化の間に存在する深い非連続性にも関わらず、実は「同一者」による連続性の原理・思考が、人間の知を常に秩序づけ、規定し続けてきたという事実なのである。(P.43)-

 

民俗学折口信夫やその他の文化人類学者たちは、「古代人は類似性に着目していたが、現代人は差異に注目している」と永年考えていたようですが、それは間違いであって、人間はこの「連続性」を基礎として認識しているとするフーコーのこの説が正しいように思います。これで一つ、疑問が解消されました。

 

確かに私たちが生きている時間と空間によって成り立つこの世界や、自然界におきましては、この「連続性原理」が生きている。では、人間の社会に目を転じた場合は、どうでしょうか。こんな例を考えてみました。

 

あなた自身 → 面白い人 → 少し変わった人 → かなり変わった人 → 狂人

 

人間にも色々いる訳ですが、そこにも「連続性」がある。では、あなたは上記の区分で、どこら辺の人までであれば、付き合ってもいい、話が通じる、と思うでしょうか。仮にあなたは結構、寛容な人だったとして「かなり変わった人」までは、話ができると考えたとしましょう。すると、「かなり変わった人」と「狂人」との間で、断絶、非連続性が生ずることになります。

 

あなた自身 → 面白い人 → 少し変わった人 → かなり変わった人 /(断絶!)/ 狂人

 

こうして、私たちが認識する世界から、「狂人」は除外されることになります。そして、私たちにとって認識することができない「狂人」は、私たちにとって「他者」となるのです。西洋の歴史は、この「他者」を徹底的に排除する歴史でもあった訳です。カトリック教徒は、他者であるプロテスタントと戦い(宗教戦争)、ドイツの人口は3分の1まで減少した。フランス人は、パリの居住者の4人に1人を収容所に監禁した。ナチスドイツは、他者であるユダヤ人を虐殺した。

 

そしてフーコーは、それらの原因の一つにカント哲学を挙げたのでした。そもそもカントは、自律的な思考を推奨したのです。これは一見正しいようにも思えますが、裏を返せば、それは他者を排除することを意味している。文献6から引用させていただきます。

 

- 換言すれば、人間の意志からは「他者」との関わりの一切が理性の道徳的判定に悪しき影響を与えるものとして、すなわち「他律性」として取り除かれ、ただすべてはア・プリオリに規定された定言的命法の命ずるところによって行為されなければならない。カントが思い描くのは、こうした「他者」抜きの、ただ普遍的道徳法則にのみ依拠した実践の可能となるような、いわば絶対零度の真空空間である。(P.50)-

 

上記引用文に記されたようなカント的な考え方をフーコーは「人間学」と呼び、「言葉と物」の中で批判したのです。ただ、1960年代の西洋においては、カント的な「理性」を批判するのは、時代の趨勢になっていたのだろうと思います。そして、その中心的な役割を果たしたのは、構造主義者だった。

 

「言葉と物」は、第10章の第6パラグラフで終わります。このパラグラフには題名がありませんが、「人間の終焉」が描かれているのです。そして、その直前の第5パラグラフのタイトルは「精神分析文化人類学」となっているのです。ここで、フーコーが2つの学問を取り上げているのには、理由があるように思うのです。ここからは、私の想像だと思って読んでください。

 

西洋哲学が生んだ「理性」は、他者を排除してきた訳ですが、それではいけない、というのがフーコーの立場です。それは、フーコーの「狂気の歴史」を読めば明らかでしょう。そして、当時の西洋において、理性が理解できないもの、すなわち他者に光を当ててみようとする学問が登場していたのです。その一つが、フロイトの提唱した精神分析ということになります。これは、構造主義者であるラカンによって、継承されます。フーコーフロイトラカンのことも高く評価していました。そして、かつては精神病理学の資格を持ち、大学で心理学の講義を受け持っていたフーコーにしてみれば、フロイトラカンの仕事というのは、とても身近な分野であったに違いないのです。彼らは「無意識」という暗闇の中に潜む「他者」に光を当てたのです。それは、とてもりっぱな仕事だった訳ですが、どうもフーコーにはしっくりと来なかったに違いない。精神病理学精神分析の仕事というのは、患者を治療することを目的としています。すなわち、狂人をこちら側の世界、理性の世界に連れ戻そうという企てに他なりません。それは、フーコーが望んだことではなかった。かつてパリの精神病棟で感じたあの違和感、フーコーは忘れていなかったに違いない。

 

次に、共時態で見るという構造主義的な方法を提案した記号論ソシュールがいて、ソシュールの方法論を用いて文化人類学構造主義を立ち上げたレヴィ=ストロースがいる訳です。フーコーは、彼らの仕事も評価していたようです。確かに、言語や無文字社会も構造を持っている。そして、彼らの仕事によって、アフリカや南米に暮らす無数の民族が救済されたのです。素晴らしい。しかし、文化人類学は、現代の自由主義諸国に暮らす我々自身を救済することはできない。構造、それは確かに存在する。しかし、フーコーは、他の構造主義者たちが措定したよりも、更に大きな、更に深い、そして「現在」に関わる構造を解き明かそうとしたのではないでしょうか。

 

そして1970年代、フーコーは権力について考え始める。何故なら、権力にも構造があるからです。ただ、フーコーはあえて「構造」という言葉は使わなかった。それは、自分が構造主義者であるというレッテルを貼られることを嫌ったからでしょう。フーコーは、「構造」と言う代わりに、例えば、「システム」という言葉を使った。再び、文献5から引用させていただきます。

 

- それは主体や実存への情熱ではなく、「システム」への情熱であった。人間の主体の手前に既に存在し、主体を深層において支え、そして統御する「システム」に、この時期のフーコーは明らかに魅了されていたのだ。(中略)人間というものが、実存主義現象学の考えるような主体のイニシアティヴを発揮しうるものではなく、主体以外のものによって動かされるものなのだという思想は、フーコーにあっては、その時々に応じて、その主体以外のものが「システム」、「言語」、「エピステーメー」、「言説の規則」、(中略/以下の注を参照)「権力」といった様々な形をとりながら、晩年のいわゆる自己の倫理の問題系に至るまで変わることなく展開していく。-

 

注)2つ目の「中略」とした箇所には、「外部」、「他者」と記されています。ただ、この文脈において、これらを「システム」と同列に記すのは分かりづらいと思い、この箇所は引用文から省略させていただきました。

 

結局、人類の歴史とは、世界の秩序化に向かうプロセスだったのです。まだ、人類が原始的な動物だった頃、人類は自然やカオスと共に生きていた。やがて、人類は言語を獲得する。言語は、人間のあり様を一変させた。人間の認識能力は、飛躍的に高まった。そして、人間の認識能力を支えてきたのは「連続性原理」だったに違いない。しかし、人間の認識能力には限界があって、それを超える何かを人間は、理解しえないもの、他者として、排除するようになる。この他者を排除するシステムは、幾多の悲劇を生んだ。しかし、このシステムは少数者の努力にも関わらず、ひたすら膨張を続けている。それは貨幣経済や権力構造を伴い、今も、世界を支配している。

 

こんなことなら、私は、もっと早くにフーコーを学ぶべきだった。そういう後悔の気持ちがあります。しかし、考えようによっては、随分と回り道はしたけれども、まだ、このブログをやっている時点で、フーコーに出会えたことは、とてもラッキーだったと言えるかも知れません。

 

(参考文献)

文献1: FOR BEGINNERS フーコー/Cホロックス/白仁高志訳/現代書館/1998

文献2: フーコー今村仁司・栗原仁/清水書院/1999

文献3: 言葉と物/ミシェル・フーコー渡辺一民佐々木明訳/新潮社/1974

文献4: ミシェル・フーコー、経験としての哲学/阿部崇/法政大学出版局/2017

文献5: ミシェル・フーコーの思想的軌跡/中川久嗣/東海大学出版会/2013

文献6: 図説・標準 哲学史/貫 成人/新書館/2008

文献7: 哲学中辞典/尾崎周二 他/知泉書館/2016

文献8: フーコー・コレクション1 狂気・理性/ミシェル・フーコーちくま学芸文庫/2006

反逆のテクノロジー(その8) フーコーの地図(思想経歴概略)

初めての街を歩くときは、どんなに粗雑な地図であっても、ないよりはあった方が良い。それと同じで、フーコーの思想を学ぼうとしている今、私は、極めて単純な地図のようなものを提供したいと思ったのです。遂に、フーコーの思想が夢に出てきてうなされるようになった私には、そうする資格があるように感じています。

 

では、駆け足で行きます。(末尾に「フーコー年表」を再掲しておきますので、必要に応じて、ご参照ください。)

 

16才で哲学の勉強を始めたフーコーは、超エリートが集まる高等師範学校に入学するが、22才、24才のときに、それぞれ自殺を企てる。2回とも未遂に終わった訳だが、その理由はエリート学校の校風が合わなかったことと、フーコー自身がゲイだったことに理由があると言われている。当時のフランスでは、日本で言うところの軽犯罪法のような法律によって、同性愛は禁止されていた。ゲイであることがバレると、出世にも影響する。フーコーは自身がゲイであることを隠し続け、生涯を通じてカミングアウトすることはなかった。

 

フーコーが最初に向かったのは精神病理学だった。フーコーは精神病院に通い、そこで医師と患者の実態を観察すると共に、大学で心理学の講義を行った。フーコーの授業は面白いと評判になった。受講生の中には、後年、哲学の世界で名をはせるジャック・デリダもいた。

 

フーコーは、1954年に「精神疾患とパーソナリティ」を出版するが、この頃、自らアルコール依存症になり掛ける。心配した父親の勧めもあって、フーコーは自ら心理療法を受ける。

 

1961年、博士論文として執筆した「狂気の歴史」を出版する。当時、大学のシステム上、博士論文は公に出版されていることが必須条件だった。「狂気の歴史」は狂気を歴史学的に考察するというユニークなものだった。これは膨大な論文だが、高い評価を得たと言われている。以後、歴史学的に考察するというフーコーの方法論は、終生続くことになる。

 

1966年、40才になったフーコーは「言葉と物」を出版する。人々は菓子パンを買うようにこの難解な哲学書を買った。実際、週刊誌のベストセラーランキングで第5位に入った。エピステモロジーの影響を受けたフーコーは、この「言葉と物」においてエピステーメーについて論じる。フーコーは、本文献の中で、次のように時代を区分し、それぞれのエピステーメーについて論述している。

 

ルネッサンス・・・16世紀まで。

古典主義時代・・・17世紀~18世紀

近代・・・・・・・19世紀

 

3つの時代があるということは、その間、2回の歴史的断絶があったことになる。しかしながら厳密に言うと、フーコーは4つ目の時代区分として、近未来を措定している。そして、この大著の最後において、フーコーは近未来における「人間の終焉」を予言する。文章の末尾のみ、引用しよう。

 

- (前略)そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。-

 

人間が消滅すると言うのだから、物議を醸したのは当然のことだった。サルトルをはじめ、当時のビッグネームはこぞってフーコーを批判した。それまでは一介の大学教員だったフーコーだが、この「言葉と物」の出版によって、一躍、ベストセラー作家となると同時に世間から批判を浴びる身に転じたのだった。2つの週刊誌がフーコーに質問状を送付したらしいが、その結果、フーコーがどこまで答えたのかは定かでない。

 

ところで、フーコーの著作は、難解だ。ちなみに私は、ねじり鉢巻きを締めて、右手に黄色のマーカーを握り締め「言葉と物」を通読したが、20時間、いや、それ以上の時間を費やした。但し、翻訳に際しては、プロの翻訳家が2人がかりで7年を費やしたとのこと。ご苦労様と申し上げたい。

 

ここで、何故そんなに難解なのか、という話をしておきたい。

 

1.そもそも、ポストモダンの作家は難しいという話がある。フーコーの他にも、デリダラカンは難解だと言われている。ドゥルーズも同じ。

 

2.若手書きだから難しい。若いうちは肩に力が入って、難しい文章になる。フーコーの場合、「狂気の歴史」「言葉と物」「知の考古学」の3作が、特に難解だと言われている。

 

3.言葉の定義が曖昧。「言葉と物」における主要概念は「エピステーメー」にある訳だが、フーコーはこのような言葉に対する定義づけを行っていない。従って、本が出版された後で、「そもそもエピステーメーとは何か」という論議が起こる。

 

4.レトリックが頻繁に用いられる。すなわち、華美な形容だとか、比喩が多くて、文章が長くなる。だから分かり難いのだ。この点、純粋なロジックを表現する文体というのは、法律の条文だと私は思っている。そこには、無駄がない。あるのはロジックだけ。法律の条文には「賭けてもいい」というような表現は出てこない。反対に、レトリックに終始する文体は、文学の世界で使用される。そしてフーコーの文体は、その中間に位置すると言える。このレトリックの部分が、分かりづらいのだ。と言うよりも、フーコーの文体というのは、100%理解されることは、拒絶している。

 

5.最後に、これが一番重要なのだが、そもそもフーコーには、分かりやすく書こうという気持ちがない。自ら「普遍的な真理というものに、私は懐疑的だ」と語っているように、物事を断定的に述べたくないと思っているのである。この点、後程、補足します。

 

話を戻そう。フーコーが「言葉と物」において主張したエピステーメーという概念は、ある時代を区切って、その時代に共通する認識や価値観を表わすものだった。これはソシュールが言った「共時態」で考えていることになる。そこで、「フーコー構造主義者だ」という論議が巻き起こった。この点、確かに単独のエピステーメーを考えた場合、それは「共時態」で見ていることになるが、フーコーは少なくとも3時代のエピステーメーとのその間に存在する2つの断絶、非連続性を見ているのであって、つまり「共時態」と「通時態」の双方の見方を採っていることを意味している。従って、フーコーは明らかに、ソシュールとは違う。フーコー自身は次のように述べている。「私は、構造主義的な方法を採用したことはあるが、構造主義者ではない」。

 

長くなるので、「言葉と物」の話は別の原稿を準備することにして、先に進もう。

 

1969年、フーコーは「知の考古学」を出版する。ここでフーコーが注目したのは、ディスクールである。日本語で言えば「言説」ということになる。フーコーにはそれなりの思いがあってこの言葉を使っているので、ここではディスクールという表現をそのまま用いることにしよう。これが何かと言うと、記号の集合体のことである。そう言ってしまえば、身もふたもない訳だが、実際問題、どういうものを指すのかと言うと、これが判然としない。具体例を挙げて説明してくれれば分かりやすいと思うのだが、私が読んだ本の範囲では、その説明がない。そこで、想像する訳だが、例えば、監獄における業務日誌というのはどうだろう。精神病院におけるカルテなども考えられる。これらは記号の集合体であって、加えてポイントとなるのはそこに権力の関与があるということだ。フーコーディスクール自体が何を語っているのかということは無視して、そのディスクールがどのような経緯で、どのような「由来」で、存在するのか、という点に注目した。すると、そこには何らかの形で、権力の影響があると考えたのだ。そして、フーコーは「ディスクールの由来」を考えるという学問形式を「系譜学」と名付けた。系譜学は、反権力の学問ということになる。また、この時期のフーコーは、主体ということを中心には考えていなかったのが特徴である。ディスクールを誰が書いたか、どのような気持ちで書いたか、そのようなことは一切排除して、ひたすらその由来を考えるのが系譜学だった。

 

そして、フーコーの70年代が始まる。

 

1970年、フーコーコレージュ・ド・フランスの教授に就任し、アカデミズムの頂点に立つ。思えば、このコレージュというのは英語のcollege に相当するフランス語なのではないか。ドというのは定冠詞に違いない。するとこれは、「ザ・フランス大学」という意味で、随分大仰な名前なのである。ただ、面白いのはこの大学、誰でも参加できる言わばオープンセミナーのようなものを開催していたらしい。フーコーの講義もこの形式で行われた。多分、大学で一番大きな教室が使われたのだろうが、フーコーが教壇に立つときは、立見席まで含めて何百人もの聴講生で満員になったそうだ。

 

講義の内容はありきたりな「哲学の歴史」というようなものではなく、その都度、フーコーは自らの研究成果を発表していたのである。つまり、聴講生としては、世界で最高峰の、そして最新の知性を表象するフーコーその人の言葉を、生で聴いていたのである。

 

70年代のフーコーは、大学で講義を行う傍ら、デモや抗議運動などに参加していた。従って、70年代、フーコーのまとまった著作は少ない。但し、講義録の一部などは、多分、ちくま学芸文庫の「フーコー・コレクション」(全7巻)に収められている。また、フーコーの権力論は1976年に出版された「性の歴史I-知への意思」に記述されている。

 

ところで、フーコーは権力について、どのように考えていたのか。君主制や戦時中の権力というのは、暴力によって大衆の命を奪うものだった。他方、戦後の自由主義社会における権力は、大衆の命は奪わない。あくまでも生かしておく。しかし、巧妙に「知」を支配し、経済的に収奪する。そのように変化したとフーコーは考えていた。

 

前述の通り、「性の歴史」の第1巻が出版されたのは1976年のことだが、その第2巻「性の歴史II-快楽の活用」が出版されるのは、それから8年後、1984年のことである。この間に、フーコーの内部において、何らかの転換があったのではないだろうか。そしてフーコーは、主体の問題に回帰していくのである。また、カントの啓蒙主義を再評価するのである。

 

この時期のフーコーは、性道徳がどのように作られてきたのか、という点に関心を持っていた。それは例えば、キリスト教における「懺悔」「告白」の問題などと結び付けられる。そこでフーコーは、キリスト教の影響が生じる前、すなわち古代ギリシャまで視野を伸ばして、研究を続けたのである。

 

晩年のフーコーは、講義の中で「パレーシア」ということを述べたそうだ。これは師匠と弟子の関係になぞらえることができる。師匠が弟子に具体的ことを教える。しかし、それだけでは、弟子は1人立ちすることができない。そうではなくて、師匠は弟子に対して、その背後にある事柄や考える姿勢、そのようなことを教えるべきなのだ。すると弟子は、やがて師匠の力を借りることなく、自ら思考できるようになる。フーコーは、最初から、そう考えていたのである。

 

真理とは、個別的なものである。そして、ある人が自らの真理に辿り着くためには、権力と戦うことによって人格を磨き、自己変容を続けるしかない。フーコーの思想に結論があるとすれば、そういうことなのかも知れない。

 

 

フーコー年表

 

1926年(0才)                    10月15日。フーコー生まれる。

 

1942年(16才)                  哲学の勉強を始める。

 

1945年(19才)                  高等師範学校不合格。第二次世界大戦終結

 

1946年(20才)                  高等師範学校合格。

 

1948年(22才)                  自殺未遂。

 

1950年(24才)                  自殺未遂。大学教員資格試験に失敗。

 

1951年(25才)                  大学教員資格試験に合格。

 

1952年(26才)                  精神病理学高等教育終了証書を取得。

                                                リール大学文学部哲学科の心理学助手に就任。

 

1954年(28才)                  「精神疾患とパーソナリティ」を出版。

                                                  アルコール依存症になりかけ、心理療法を受ける。

 

1961年(35才)                  博士論文として書かれた「狂気の歴史」が出版される。

(狂気と非理性―古典主義時代における狂気の歴史)

 

1963年(37才)                  「臨床医学の誕生」出版。デリダが「狂気の歴史」を批判。

 

1966年(40才)                  「言葉と物」出版。

 

1969年(43才)                  「知の考古学」出版。

 

1970年(44才)                  コレージュ・ド・フランス教授に就任。初来日。

 

1975年(49才)                  「監視と処罰-監獄の誕生」出版。

 

1976年(50才)                  「性の歴史I-知への意思」出版。

 

1978年(52才)                  2度目の来日。

 

1984年(58才)                  「性の歴史II-快楽の活用」出版。

                                                  「性の歴史III-自己への配慮」出版。

6月25日、フーコー死去。(誕生日前なので、享年は57才。)

 

反逆のテクノロジー(その7) 文体について

こんなブログではありますが、4年もやっておりますと、私なりに「もっと自由に書ける文体はないか」、「もっと深く分かりやすく表現できる文体はないか」などということを考えます。小学校の頃、「だである調」と「ですます調」というのを習いました。原則として、これらをミックスするのは禁じ手なのです。しかし、このブログにおいて読者の皆様に語りかける部分は、「ですます調」にならざるを得ません。一方、こればかりだと文章にスピード感が出て来ない。そこで、このブログでは両者をミックスして使い分けるというスタイルを採ってきたのですが、果たしてそれが良いのか?

 

ところで、良い文章、優れた文体とは何かと言いますと、1つの見方としては、生き生きと情景を描写できているか、ということがあります。

 

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 

川端康成の「雪国」の冒頭部分ですが、これなど名文だなあと思う訳です。前にも少し書きましたが、私たちは時間と空間の中に生きております。上に引用した文章で考えますと空間についての記述が「国境の長いトンネル」と「雪国であった」という部分ですね。そして、この2つの空間に関する記述を「抜ける」という動詞で接続している。このたった一つの動詞によって、ある瞬間が表現されている訳です。暗いトンネルの中から抜け出した瞬間にまぶしいばかりの光景が目に飛び込んでくるあの瞬間のことです。こちらが、時間を説明している。この瞬間、時間を描写することによって、文章は輝いてくるのだろうと思います。

 

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

 

この芭蕉の句にも同じことが言えます。「飛び込む」という動詞があることで、読者はある情景をリアルにイメージすることが可能となっています。

 

ちなみに芭蕉の句には「蛙」という主語が含まれていますが、「雪国」の方では「抜ける」という動詞に対応する主語が省略されていますね。ここら辺が「日本語は述語の言語である」と言われるゆえんだと思います。

 

いずれにせよ、空間を表現する名詞と、その名詞を修飾する形容詞というのは豊富にある訳ですが、そればかりでは面白くない。そこに動詞を加えることによって、優れた情景描写が可能になる。私たちの言語に「動詞」というものがあって、本当に良かったと思います。

 

ところで、あなたは「植物図鑑」と「動物図鑑」は、どちらが先に生まれたか知っていますか? ミシェル・フーコーが調査した結果によると、「植物図鑑」の方が先だったようです。

これの作り方というのは、意外と簡単なのです。まず、チェックポイントを決める。当時の人々が決めたのは、根、茎、葉、花、果実の5項目だったそうです。当時、西洋の人々はよく移動していた。アフリカへ行く、中東へ行く。アメリカ大陸を発見する。すると、各地域に珍しい植物を発見する。そして彼らは、その植物にまず名前を付けたのでした。次に、前記のチェックポイント毎に植物の様子を記述していく。そうやって、植物図鑑はできあがった。これ、とてもシンプルですね。しかし、同じことが社会的にも行われていたのです。個々の人間についてもカテゴライズして、名前を付ける。狂人、売春婦、怠け者、身体障碍者など。そして、これらの者を片っ端から収容所に収監したのです。これは、植物図鑑を作る手法に似ていないこともありません。

 

やがて西洋人は、動物にも興味を抱くようになる。植物図鑑ができたのだから、今度は動物図鑑を作ろう。そう考えたのでしょう。しかし、動物は動くので、植物のように簡単に記述することができない。例えば、魚は何故、水の中で生きていられるのだろう? そこで人々は、魚のエラに注目する。魚はエラを使って呼吸しているのだ。そういうことに気づく訳です。そこで人々は、機能に注目することになります。フムフム、動物の体というのは、それぞれ機能を持っている。そして、機能を表現するためには動詞が必要だった、ということになるのです。肺は呼吸機能を、心臓は循環機能をつかさどっている。そこで、人間の認識方法というのは、飛躍的に進歩する。

 

また、人間は頭が痛いとか、腹が痛いと言って死んでいく訳ですが、そのような人々の死体を解剖してみよう、とメスを持った医者が考えたらしい。そして、医学が進歩する。この医学の進歩は、人間の体を総体として見るのではなく、例えば、肺の専門家、心臓の専門家、胃の専門家といった具合に細分化されていくのです。

 

更に時代が進みますと、肉眼では見ない物事の本質について考えるようになります。例えば、狂人がいる。では、この人は何故、狂人になったのか。その理由なりメカニズムが分かれば、治療することが可能になるはずだ。人々は、より深く考えるようになった訳です。そこで、2つの注目すべき学問が登場する。1つは、文化人類学です。人間の起源に物事の理由があるとすれば、重要なのは古代ということになる。古代や、未だに古代人と変わらない生活を送っている無文字社会を研究すれば、人間の本質が見えてくるに違いない。そういうバックグラウンドが文化人類学にはある。2つ目は心理学です。心理学には長い歴史がありますが、無意識というものの存在を証明し、精神分析という学問を提唱したのはフロイトでした。すなわち、より古いものを研究しようとした文化人類学と、より深く考えようとしたフロイトの心理学は、その根底において、つながっていると言えるのです。そして、より古いもの、より深いものを見ていくと、そこに「構造」というものがあることが分かってくる。これが「構造主義」ということになります。

 

多くの構造主義者たちは、人間の社会や個人の心にも構造というものがあって、それを前提に人間は成り立っているので、構造の方が人間よりも上位に位置すると考えた。すると、デカルトが言った「我思う、故に我あり」とか、そういう人間中心の考え方が崩壊することになります。何かを考えようが、怠惰に過ごそうが、所詮人間は構造の中に存在しているのだから、特段の違いはない。そういうことになってしまう。

 

では、構造というものの存在を是認した上で、私たちはどう生きるべきなのか。そこで、「主体」という問題が浮上する。ここが重要で、フーコーがどう考えたのか、私も知りたいと切望している訳ですが、私の勉強はまだ、そこに辿り着いていないのです。しかし、ここまで勉強した結果を総合しますと、その答えはフーコーの遺作「性の歴史」に書いてあるはずなのです。

 

少し、整理してみましょう。まず、「名詞の時代」があった。そして、「動詞の時代」がやってくる。更に奥深くを探る「構造主義」の時代となり、最後に「主体」の問題に行き着く。フーコーの思想について、私は概ね、そんな風に考えているのです。

 

反逆のテクノロジー(その6) 他者の力

「君、今日は寒いだろ。だから、これが欲しくなるんだよ」

文芸評論家の秋山駿さんは、ホワイトホースの水割りの入ったグラスを揺らしながら、そう言って笑った。早稲田の文学部近くにある喫茶店でのことだった。寒いのに、何故、氷の入ったものを飲むのだろう。そう思ったものだが、もちろんそんなことは言えない。

 

私の隣にはもう一人、見知らぬ男子学生がいて、向かいに秋山さんが座っていた。もう、44年も前のことだが、どういう訳かその時のことは、鮮明に覚えている。私は、何とか大学祭で秋山さんの講演会を主宰しようと思っていて、その承諾をもらおうと必死だったのだ。私は法学部の学生だったが、文学部で行われている秋山さんの講義に忍び込み、教室の最後部で講義を拝聴していた。講義が終わると、いつも秋山さんは喫茶店で水割りを飲む習慣があったようで、そこに同席させてもらっていた。

 

「ところで君、他者って何だい? 他人のことかい?」

 

秋山さんは、下から睨みつけるような形相で、私にそう尋ねた。当時の文芸雑誌は「他者とは何か」という問題を頻繁に取り上げていた。まだ二十歳だった私に、そんな難しい問題が分かるはずもなかった。ソシュール記号論も、結構、話題になっていたように覚えている。今からしてみると、当時の日本の文壇は、西洋の哲学の影響を強く受けていたのだろうと思う。そして、もう1つ。秋山さんは、「他者」の問題を頻繁に取り上げる文壇に嫌気が差していたのではないか。秋山さんがいつも言っていたのは、「私とは何か」という問題だった。この問題を哲学の用語で言いかえると「主体」ということになるのではないか。奇しくもミシェル・フーコーの遺稿は「性の歴史III-自己への配慮」であり、フーコーも最後には「主体」の問題に行き着いたのかも知れない。

 

話を戻そう。「他者って、何だい?」という秋山さんの問いに、現在の私なら、次のように答えることができる。

 

「他者というのは、自己が認識することが極めて困難か、もしくは認識することが不可能な誰か、ということではないでしょうか。例えば、西洋にとって東洋は他者である。理性にとって狂気は他者である、という具合に」

 

フーコーが「狂気」に向き合った理由も、そこにあるのだろうと思う。つまり、西洋においては17世紀から、「理性」の側に立つ人間が、自らは理解できない狂気を排除してきた。そこに問題がある。しかし、19世紀の文学において、理性に対する反逆が勃発する。それは文学の世界で起こった。そのことに気づいたフーコーは、文学論に傾倒していく。フーコーは、狂気が最も見えやすい形で姿を現すのは文学だと考えていた。しかし、いつからか文学は、権力に敗北する。

 

フーコーは、次のように述べている。(文献8)

 

- 文学は、十七世紀には規範的なものとして、社会的機能に属していた。十九世紀になると、文学は反対側に移ってしまったわけですが。しかし、現在では、文学自体の一種の摩滅によって、あるいはブルジョワジーの備えている強大な同化力のために、文学というものが通常の社会的機能に復帰しつつあるのではないかと思えるのです。(中略)ブルジョワジーは、強大な適応能力をもつ体制であるということです。ブルジョワジーが文学に打ち勝つところまできているのではないかということなのです。(P.388)-

 

- 文学がこれほどまで体制内に組み込まれてしまったために、文学そのものによる体制破壊はすべて幻影と化してしまったのではないでしょうか。(P.386)-

 

結局、人間集団というのは百人いようが百万人いようが、その全員が同じように認識し、行動していたのでは、新しい文化を創造することができない。他の者とは異なる発想なり認識を持つ者が、何かを表現する。若しくは、何らかの行動を取る。他の人間がその表現なり行動に触発され、文化は前進する。この「他の者とは異なる発想なり認識を持つ者」こそが「他者」なのだ。

 

しかしながら、現代社会においては、高度な管理システムが存在する。フーコーはその管理システムを「ブルジョワジー」とか「体制」という言葉で表現した。何と言えば良いのだろう。「権力構造」とか「経済原理」と呼ぶこともできる。

 

フーコーは、他者の一類型として、道化師、ピエロ、狂人という例を提示した。ちなみにこの類型は、分析心理学のユングが元型の一類型として提示した「トリックスター」に通底している。(ついでに言えば、「寅さん」も同じだと思います。)

 

ただ、文化論の立場から言えば、他にも他者の例を挙げることができる。その1つは子供だ。子供は、未だ体制側の認識に染まっていない。例えば「王様は裸だ」と叫ぶことができる。もう1つは、野生動物である。野生動物は、人間とは別の原理で認識し、生きているのであって、今日においても彼らが何を考えているのか、それを知ることは困難だ。

 

現代社会において、他者は「権力システム」に巧妙に絡め取られてしまう。子供は学校に縛り付けられ、野生動物は動物園に監禁される。餌を求めて街中に現れたイノシシは射殺されるし、日本では毎年、何十万匹ものイヌやネコが殺されている。若い女性がいくら「瑞々しい感性で赤裸々に性の世界」を描いたとしても、その小説が賞を取って、出版社によって宣伝された時点で、作品に秘められた狂気は「経済原理」の中に沈められる。(それは狂気ではなく、正常な経済活動だとみなされる。)かつては反体制の旗手として崇められたローリング・ストーンズの楽曲も、今ではトランプの選挙活動に利用されている。(この点、ミック・ジャガーはトランプ陣営に抗議した。)

 

こうして現代文明は、他者を殺し続けたことによって、他者の力を失ったと言う他はない。何と言う皮肉だろう。本稿のしめくくりとして、フーコーの言葉をもう一度引用させていただこう。(文献8)

 

- 文学において新しい境地をひらくためには、狂気を模倣するか、またはじっさいに狂気になる必要があると言えそうです。(P.417)-

 

(参考文献)

文献8: フーコー・コレクション1 狂気・理性/ミシェル・フーコーちくま学芸文庫/2006