文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

救済としての芸術(その6) 芸術の力

 

人は、その人生を文化領域の中から始める。家族がいて、生活がある。そこに留まる人生もある。専業主婦や、1次産業従事者、職人の方々は、文化領域の中で暮らしている。例えば、私の知っているある寿司屋の大将は、小さな漁師町で生まれた。高校を卒業すると同時に東京の寿司屋に修行に出た。3年程、修行を積んだ後、暖簾を分けてもらった大将は、故郷の漁師町へ戻り、そこで寿司屋を始める。布団屋の娘と見合い結婚をし、子供も作り、幸せな家庭を築いた。大将はその店で今も寿司を握っており、今年で74才になる。客は顔なじみの常連さんばかりだ。店は正午から開けているが、午後2時から5時の間に客が来ることは稀で、その間大将は、テレビを見て暇を潰している。他人には分からない苦労もあったのだろうとは思うが、私が現役サラリーマンだった頃に日々感じていた強烈なストレスを、大将が感じているようには見えない。私よりは幸福な人生を送って来たのだろうと思ったりもする。

 

一方、文化領域からすぐに秩序領域へと進む人々もいる。子供の頃から塾へ通い、勉学に務めるエリートたちだ。若しくは、資産家の子供たちで、彼らは子供の頃から秩序の中で生きていくことを前提とした人生を送る。医者や弁護士、高級官僚に大学教授。親の代からの地盤を引き継ぎ、政治家になる者もいる。彼らの多くは、秩序の中から地位と名声と金を得て、人生を終わる。彼らにとって、秩序とは都合の良いものであり、彼らは決して秩序を変えようと思ったりはしない。先の原稿に記した通り、秩序は「知」から始まり、やがてその「知」は陳腐化し消えていく訳だが、エリートたちの権力だけは残るのである。陳腐化した「知」を決して捨て去ることなく、後生大事に守り続けようとするのが、アカデミズムである。

 

こうして、現代文明は硬直し、「知」を伴わない権力が横行することになった。

 

しかし、そんな現代においても、秩序をその外側から眺め、批判しようとしている人々も少なくはない。そのような人々は、自分の頭で考える能力を有している。つまり、これらの人々は、「私」を持っている。主体を保持しているとも言える。では、彼らがどのようにして主体を獲得したかと考える訳だが、1つには秩序の中で痛手を負った、挫折した、というケースもあるだろう。しかし、それだけではない。彼らが、自我に目覚め、「私」と向き合うようになったその原動力は、芸術にあるのだ。

 

芸術は常に、私たちが日々、直面している秩序の世界とは、異なる世界を見せてくれるのである。芸術の世界において、当たり前ということは存在しない。現実には起こり得ないこと、現実には存在しない事物、そんなものが無数に提示されるのである。そこから、人々は想像力を掻き立てられ、新しい可能性を見出そうとする努力に着手するのである。優れた芸術作品に接する経験は、時として、人生における実体験を凌駕すると言っていい。例えば、ある絵画が描き出した情景、ある小説が描写したある場面は、私たちの深層心理にまでその影響を及ぼすに違いない。芸術は、人間の人格を形成する上で、最も重要な経験なのである。

 

芸術の分類方法はいくつかあるだろうが、簡単な分類方法としては、大衆芸術と純粋芸術とに区分するのが良いのではないか。大衆芸術は文化領域に属するもので、人々の共感を呼び起こそうとするもの。そして純粋芸術とは、秩序に対する抵抗を目的としているように思える。秩序に飲み込まれない、秩序の外側から何かを認識しようとする提案。それが純粋芸術であって、それは時に抽象性を帯びる。

 

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見る角度によって、姿を変えるオブジェ

 

自然科学は、物資を対象とするのであって、主体を形成することはない。

 

社会科学は、人間を集団として見るもので、人格形成に役立つことはない。

 

宗教は、考えるな、信じろ、と主張するものであって、そこに「私」は存在しない。

 

そして、主体について考察する思想が何かと考えると、1つには「自己の魂に配慮せよ」と主張したソクラテスの哲学を挙げることができる。2つ目としては、自らの精神疾患と向き合ったフロイトユングの心理学を挙げることができる。それ以外で考えると、芸術しかないのだ。そして、現代文明に与える影響の大きさを考えると、やはり芸術の力が圧倒的に大きい。

 

行き詰った現代の文明、それを切り開く力は、秩序の外側から秩序を批判する芸術の中に潜んでいるに違いない。

 

救済としての芸術(その5) 消え去る「知」

 

秩序の構造について、もう一度、整理してみよう。

 

まず、文字が生まれた。文字が「知」を作り出す。「知」とは、文明に影響を及ぼす何らかの思想や理念、若しくは知恵のことだ。「知」は、それを知っている者と知らない者との間に差異を作り出す。知っている者は知らない者に優越し、知らない者は劣後する。この関係が、組織的な人間集団を作り出し、その集団を統率するために、権力が生まれる。「知」を持たない者は、自発的にその権力に隷従する。隷従する者は、権力を持つ者と同様に、その集団から利益を得る。

 

では、秩序を構成する要素を箇条書きにしてみよう。

 

・文字

・「知」

・差異

・集団

・権力

・隷従

・利益

 

では、このような構造を持つ秩序が永久に続くかと言えば、そんなことはない。何故なら、「知」は不完全であって、様々な要因によって否定されるからである。その最大の要因は、自然科学の進歩だろう。自然科学は今日においても、その進歩の速度を緩めることはない。かつて自然科学は、天動説を否定し、地動説を生み出した。今日においても、進歩し続ける自然科学は、人間の戦争という概念をくつがえしつつある。かつての戦争は、人が人を殺すという前提を持っていた。しかし、既にロボット兵器やドローン、サイバー攻撃などを可能とする技術は存在する。従って、それらの先端技術が、人を殺すのが戦争だと言えなくもない。

 

その他にも自然災害や環境問題、人々の主張などによって、「知」は否定され続けているに違いない。例えば、日本国憲法が制定された75年前、同性婚という発想を持っていた人は、ほとんど皆無であったに違いないのだ。

 

現代の日本を含めた西側先進諸国においては、「知」が消失しつつあるのだ。つまり、秩序の中から、「知」が消えたのである。それにも関わらず、利益を求め続ける人々は確実に存在するのであって、権力を維持しようとする。

 

パソコンのOSのように、「知」をバージョンアップさせれば問題は解決するはずだが、「知」を更新させた場合、権力構造そのものが変化する。それまでの権力者は、既得権を失うことになる。従って、権力者は必然的に「知」の更新を拒絶するのである。権力が必ず腐敗する理由、組織的な集団が経路依存性を持つ理由が、ここにある。

 

秩序を構築しよう、秩序化を進めようとする1点において、宗教にその源流を持つ右翼も、社会科学を源流に持つ左翼も、そして自然科学も、同じなのだ。

 

私は、アナーキストではない。すなわち、全ての秩序を否定する訳ではない。しかし、秩序化を強引に推し進めることには、反対なのである。それはもっと緩やかなものであり、合理性を追求し過ぎないものであり、一見無駄と思われる事柄を許容するものであるべきだと思っているのだ。そのためには、秩序を緩和し、我々の文明を文化や主体の側へ押し戻すべきだと思う。豊かな想像力を持ち、他人の痛みを我がことのように嘆く。そのような人が増えれば、それは決して不可能ではない。

 

主体 - 文化 - 秩序

 

もし、あなたに秩序に反抗する力があれば、そうして欲しい。それが無理ならば、秩序に対抗しようとしている人を応援して欲しい。それも無理ならば、秩序とは異なるあなた自身の姿を守り続けて欲しいと思う。

 

私の居住する埼玉県の某所に、「ステラタウン」という名の先進都市がある。その一角に、このようなオブジェが立っている。それは秩序に抗っている人間の姿に、とてもよく似ている。

 

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秩序に抗うオブジェ

 

救済としての芸術(その4) エクリチュールを巡る闘争

 

最も古い文学は、無文字社会において口頭で伝承された民話や童話だろう。そこには動物たちに対する愛情や、素朴な人々の暮らしが描かれている。そこに権力の匂いは存在しない。何故かと思う訳だが、無文字社会においては、権力そのものが存在していなかったのだと思う。

 

およそ6千400年前のメソポタミア文明エジプト文明において、文字が発明されたと言われている。また、大陸から日本に文字が伝わったのは1世紀頃だそうで、その後、日本は遣隋使や遣唐使を派遣し、貢物と交換に多くの巻物などを大陸から持ち帰った。聖徳太子が17条憲法を制定した頃(7世紀)には、日本人もかなり自由に文字を扱っていたのだと思う。

 

文字によらない「知」もあるが、それらは住居の建築方法や農作物の育成方法など、具体的なものであった。ソクラテスの弁明、聖書、種の起源憲法。正しいかどうかは別として、それらが現代文明に多大な影響を与え続けていることは、間違いないだろう。そして、そこに見られる共通点は、どれもが文字(エクリチュール)によって、書かれているということだ。やはり、人間を対象とする「知」は、文字によって構成され、蓄積されてきたのだ。

 

では、無文字社会にもたらされた文字。それがどのようにして今日的な状況に至ったのか、そのプロセスを考えてみたい。

 

初期段階において、識字能力を有していたのは、一部の知的エリートや貴族のみだった。この段階で人間社会に階級なり、不平等が生まれたのだろう。人間不平等起源論を書いたルソーがどう考えたのかは知らないが、私は、不平等の起源は文字にあると思う。

 

初期段階の知的エリートは、宗教関係者だった。そして彼らは、文字によって記された宗教的な「知」を大衆に開示しようとはしなかったはずだ。宗教上の「知」は、神秘的だからこそ、その価値を高める。大体、お坊さんが詠むお経というのは、意味が分からないからこそ、有難いのである。仮にお経が平仮名で書いてあって、その意味を全て理解できたとすれば、何も葬式や法事のときにお坊さんを呼ぶ必要はないのである。つまり、宗教関係者は、文字と文字によって構成される「知」を秘匿しようとしたに違いなのだ。

 

しかし、反対に文字を開示させようとする勢力も存在したに違いない。それは、官僚であり、政治的な権力者のことである。識字能力を持たない千人の大衆と、識字能力を持つ千人の大衆がいたとして、どちらの方が統率し易いだろう。結論は、明白である。このように、文字と文字によって形作られる「知」を開示すべきだとする勢力と、それに反対する勢力が生まれ、長い闘争の歴史が始まったのだ。気の遠くなるような長い年月と、心ある人々の多大な努力があって、教育という概念が生まれたのだろう。

 

そこで、人間社会は次の段階に突入する。すなわち、文字を書くのは知的エリートや権力者であって、大衆がそれを読むという構図だ。すなわち、文字情報は上から下へと一方向のみに伝達されるのだ。権力者は、お達しとか、命令とか、様々なルールについて文字を使い、大衆の側へと伝達し、大衆はそれを読む。この段階で、大衆が文字を書く機会は、極めて少なかったに違いない。仮に文字を書いたとしても、そこに自己の経験や主張が表現されることはなかったはずだ。

 

次に、文字情報を伝える媒介、すなわちメディアが登場する。当初のメディアは、立て看板や張り紙だったのではないだろうか。その後、印刷技術が生まれ、本や新聞が生まれた。今でも本を書くのは学者で、新聞記事を書くのは新聞記者である。彼らがエリート意識を捨て切れないでいるのは、このような歴史的経緯に基づくのだろう。

 

やがて、近代文学が登場する。当初のそれは、知的エリートや貴族から始まったのである。森鴎外は医者だったし、夏目漱石はイギリスに留学している。マルキ・ド・サドも貴族だった。しかし、程なく貴族でも知的エリートでもない人々の中から、小説を書く者が現われたのである。論理的な論文形式のものであれば、学者にかなわない。事実に関する情報であれば、メディアに対抗できない。そこで彼らは、小説という形式を利用して、自らの経験を綴り始めたのである。世間がどうであろうと、私は、このような経験をした、その時、私はこう感じた、私はこう思った、ということを表現したのである。この段階に至って、文字情報は上から下だけではなく、下から上へも流れ始めたに違いない。これは、近代的自我の誕生とも言えるもので、文明の中に主体が登場した瞬間でもあるのだ。

 

少し、整理をしてみよう。

 

まず、文化があった。文化の中で、人々はパロールによってコミュニケーションを取っていた。やがて文字、すなわちエクリチュールが発明される。エクリチュールは「知」をもたらした。「知」は人間集団を強化すると共に、階級や差異をもたらしたのである。当初、エクリチュールや「知」は秘匿されていたが、長い闘争を経て、それは徐々に開かれていった。そして、エクリチュールを手にした普通の人々が小説を書くようになり、近代的な自我が生まれた。

 

主体 - 文化 - 秩序

 

上の図に照らして言えば、まず、文化から出発し、エクリチュールの力によって、それは大きく秩序の側に動いたのである。そして、エクリチュールの力を逆手に取った普通の人々の力によって、それは主体の側へと大きく揺り戻しを始めたのである。現代という時代は、その途上にあるに違いない。

 

救済としての芸術(その3) 哲学はいつから科学になったのか

 

 哲学と科学との間には、その起源から緊張関係が存在していた。最初の哲学者と言っても良いであろうソクラテスは、当時の自然学と決別し、独自の思想を構築したのである。しかし、多くの哲学者は、目覚ましい発展を遂げる数学や自然科学を横眼に見ながら、どうにか哲学もそのように構築できないだろうかと思案してきたのである。1+1=2 これならば、万人が納得する。しかし、誰もが納得するような哲学は、一向に成立しないのである。(但しソクラテスは、1+1=2 という数式にも疑問を持っていた。この足すということはどういうことなのか、疑っていたのだ。)

 

時は流れて、西洋では大航海時代を迎える。これはヨーロッパ人がアフリカやアジア、アメリカを発見したり、探検したりしていた時代のことである。当時のヨーロッパ人は、世界に多くの人種や民族が存在することに驚嘆したに違いない。但し、彼らはあることに気付く。どの民族も、どの部族も、大なり小なり宗教的な文化を保持していたのである。すると彼らは、これを人間の本質だと考えた。人間は神が作ったものであって、民族や部族が違っていても、そのことは予め人間の中にインプットされているに違いない。そう考えるのも無理はなかった。文化人類学が誕生する以前の話なのだ。

 

上記の考え方に、異論を唱えたのが、ジョン・ロックである。ロックは、生まれて来る時点での人間は、白紙であると考えた。生まれて来る時点では白紙であって、その後の経験が人間の考え方を形成すると考えたのである。これが、イギリス経験論と呼ばれる思想である。

 

敬虔なキリスト者だったロックの思想は、神学と哲学の境界線にあったに違いない。例えばロックは、旧約聖書を詳細に検討したのである。するとそこには、イブはアダムの肋骨から作られたと書いてある。当時は、アダムの方がイブよりも先に生まれたのだから、男の方が偉いという考え方があったが、ロックはそれを否定し、男も女も平等であると説いた。男の方が偉いとは、旧約聖書のどこにも書かれていなかったのである。このようなロックの思想を差して、科学であるとは言い難いだろう。

 

イギリス経験論に続いて登場したのが、ドイツ観念論である。そして、カントが登場する。

 

そもそも哲学の歴史は、1世代前のビッグネームを批判することによって、進展してきたのである。そして、カントはロックを標的にし、ロックの思想を批判することによって、自らの思想を確立したに違いない。カントはロックの経験論に代わって、純粋理性ということを持ち出した。人間は経験によって学ぶのではなく、経験によらずして認識することが可能だとカントは考え、主張した。その人間の能力をカントは純粋理性と呼んだのである。例えば、三角形の2辺の長さの合計は、残る1辺よりも長い。こういうことは、経験に基づくことなく、理解できる。人間の認識方法にはいろいろあるが、このように純粋な理性の力を正確に把握し、その限界を見定めた上で、これを活用すべきである、というのがカントの主張だった。

 

今でこそ純粋理性批判は、哲学の世界における古典的な名著であると言われているが、執筆当時においては、とても実験的で、最新鋭の思想だったのである。カントは同著の中で、自然科学と哲学を対比して、嘆いている。自然科学は学問として確立され、様々な発見がなされているのに、哲学の方は一向に学問的な体系さえ持ち得ていない。言わば科学コンプレックスを持っていたのである。

 

やがて、カントの念願がかなって、哲学はれっきとした学問としての地位を得たのだろうと思う。つまり、カント以降、哲学は科学となったのである。但し、それは自然科学とは区別され、人文科学と呼ばれた。

 

カントのマインドや思想は、ヘーゲルを経て、マルクスへと継承される。そもそも、マルクス主義唯物史観を基礎としており、これは「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する」と考えるものだ。そして、マルクスは経済学を確立し、それは社会科学と呼ばれたのである。

 

唯物史観は、物質と精神の対立関係を措定し、物質や生産様式が精神を上回ると考えたのだろう。これは、本質的に私の文化論とは、相容れない。人間の歴史において重要な役割を果たしてきたのは文化であって、文化の中で人間は時に物質に願いを込め、物質との融和を図ってきたのである。そう考えるのが、私の立場である。

 

マルクスは宗教について「民衆のアヘンである」と述べている。その解釈については、諸説ある。1つには、宗教に対する反対の意思表示であるというもの。もう1つは、アヘンを鎮痛剤のようなものであると解釈し、必ずしも宗教を批判したものではないとする説。しかし、どう解釈しようと、マルクスが宗教を肯定的に捉えていたとは考えにくい。

 

私の文明観は、次のようなものである。

 

主体 ― 文化 - 秩序

 

この構図において、結局、資本主義もマルクス主義も、ある秩序を構築しようとするという点においては、一致している。構築しようとしている秩序の仕組みは異なるものの、秩序であることに変わりはない。それは宗教も同じで、そこに主体は存在しないのである。

 

例えば、日本では毎年、2万人もの人々が自殺している。科学的に、統計的に、そう述べることはできる。しかし、別の見方をすれば、そこには2万通りもの悲劇がある訳だ。その悲劇がどういうものなのか、科学はそれを説明することができない。1つひとつの悲劇を描写することができるとすれば、それは文学の仕事である。

 

また、人文科学という用語をネットで調べると、最初に哲学、次に文学がそれに該当すると書いてある。そんな馬鹿なことがあるはずはない。文学が科学だと言うのなら、谷崎潤一郎の「痴人の愛」や川端康成の「眠れる美女」を科学的に説明してみろ、と言いたい。このように理不尽な分類をして、あたかも科学や学問が万能であるかのような嘘をつくのが、アカデミズムである。私は科学やアカデミズムを全面的に否定する訳ではない。ただ、それらが万能であるという幻想は、捨てるべきだと思うのだ。

 

救済としての芸術(その2) 文化、秩序、そして主体

 

現代文明を根底から支えているのは、文化である。それはとても永い歴史を持っていて、私たちの暮らしと密接な関係を持っている。文化は、融和的であり、女性的で、そこにおけるコミュニケーションは、パロール(音声言語)に依拠している。

 

文化は、主に小集団において育まれる。この小集団は、特段の目的を持ちはしない。社会科学の用語で言えば、ゲマインシャフトということになる。文化は、主に次の要素によって構成されている。

 

生活技術・・・食生活に代表されるような、生活を営む上での技術。

 

身体技術・・・身体の健康を維持する技術、育児や介護、性の取り扱いに関する技術。

 

自然技術・・・自然との関係の持ち方。例えば、生け花など。

 

祭祀技術・・・祭りや冠婚葬祭などの儀式。古くは雨乞いの儀式など。シャーマニズムや呪術、歌や踊りなど。

 

芸 術 ・・・祭祀などに至る以前の不定形な遊びや神話、民話、童話などの文学、動物の声や動作を真似る行為など。

 

上記の5項目以外にも記述すべきものがあるかも知れない。しかし、本ブログにおいては、文化について既に多くを語ってきたので、重複は避ける。上記のものを文化、若しくは文化領域と呼ぶことにする。文化領域においては、原則として、権力は存在しない。

 

もう少し時代が流れると、一定の制度や目的、権力構造を持った集団が登場する。社会科学の用語で言えば、ゲゼルシャフト。個人や家族、小集団より規模は大きく、国家よりは小さいこの集団は、一般に中間集団と呼ばれる。宗教団体、会社、業界団体などがその例である。これらの集団が持っている制度や権力構造を差して、ここでは秩序、若しくは秩序領域と呼ぶことにする。

 

中間集団が生まれるメカニズムについて、私は、次のように考える。

 

最初に必要となる要素は、「知」である。これは宗教的な世界観やイデオロギー、新たな技術に至るまで、多くのバリエーションを持っている。例えば、本田宗一郎は自転車での買い出しに苦労している妻を見て「自転車にエンジンを付ける」という着想を得た。これが「知」であり、そこから本田技研は出発したのである。この「知」は、創始者、団体名、ロゴマークなどによって象徴される。

 

「知」が生まれると、そこに人々が参集する。その「知」に興味を持ったり、賛同したり、そこから何らかの利益が得られるだろうと期待する人々が集まるのだ。そこで、集団が組成される。

 

集団が生まれると、その内部的な統制規則が定められる。古くは、聖徳太子が定めた「冠位十二階」というものがある。こうして、集団内の序列が決定され、上位者は下位者に対して権力を持つ。権力は、集団の内部においてしか、効力を有さない。例えば、社長は会社の外に出ればただの人となる。

 

権力が生まれると、それに対し自発的に隷従しようとする者が現われる。そうすることによって、会社であれば給料がもらえるし、出世だってできるかも知れないのだ。隷従することによって、利益が得られるのである。

 

「知」 → 集団 → 権力 → 隷従 → 利益

 

驚いたことに、今日の会社から、中世に生まれた宗教団体まで、同じメカニズムが働いていることが分かる。また、権力の源泉は「知」にあり、言うまでもなくそれは隠された時に、最大限の効力を発揮するのである。

 

昭和の時代には、「床の間を背負う」という表現があった。床の間には、大概、掛け軸が掛けられている。掛け軸には、何やら難しい漢字などが書かれていて、その意味はトンと分からないのである。つまり、掛け軸は崇高な「知」を表わしているのであって、その最も近くに座る者、掛け軸を背に座る者が、その「知」に近い、すなわち権力者であるということを暗に意味していたのではないだろうか。もちろん、それは家長だった訳だ。女子供は、近づけない場所だったのである。

 

このような中間集団におけるメカニズムを拡大していくと、国家に至る。国家は絶大な権力を有しているが、そこに「知」は存在しないように思える。憲法を貫く3原則、すなわち平和主義、主権在民基本的人権の尊重がそれだと言えなくもないが、今日における我が国の実態は、それらとかけ離れている。

 

さて、秩序化は進展し、今日の日本においては北海道から沖縄まで、24時間、秩序は維持されているのである。この秩序に反すると、お金を稼げなくなったり、犯罪者として投獄されたりする。加えて、時の流れと共に「知」は陳腐化するし、権力は腐敗する。これが、私たちが日々感じている息苦しさの原因だと思う。

 

では、どうすれば良いのだろう? 共産主義はどうだろう、と思ったりする訳だが、ロシアや中国を見ていると、そんな気にもなれない。

 

そこで、私たちの文明は、主体に出会ったのである。こんな秩序は嫌だ、こんな権力にはついて行けないと思う人たちが、登場したのである。

 

主体とは、行為や意志の発動者のことであり、それは個人であって、「私」のことである。最初に声を上げ始めたのは、黒人ではないだろうか。そして、女性、LGBTなどの人々が続いた。こうして、現代の文明においては、秩序と主体が激しく対立し、文化がそれを仲介するような形になっている。

 

主体 ← 文化 → 秩序

 

右と左、保守とリベラルの対立だと見ると、それは違っている。現代は、主体と秩序の対立関係だと見るべきなのだ。そして、この反秩序、主体の側に立つのがポストモダンなのである。

 

ポストモダンなんて、私には関係ないや」と思っている人がおられるかも知れない。しかし、ポストモダンは、既に建築の世界において飛躍的な進展を見せている。秩序や合理性を追求するモダンに対し、反秩序、非合理性の側に立つのがポストモダンで、具体的には曲線や非合理な空間に象徴される。

 

ちなみに、私の住んでいる埼玉県は、近隣からダサイタマと呼ばれ馬鹿にされているが、心外である。近所の区役所の写真をお見せしよう。大胆な曲線と広大な広場を採用した、ポストモダンの良い例である。

 

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思えば、自然とは反秩序だったのだ。自然界にはそれなりに法則があるが、人の目からすれば、そこに秩序は存在しない。自然界に、直線はないのだ。そのような自然を大切にしようという主張に、私は賛成である。しかし、既に自然を失ってしまった地域においては、人工的に反秩序、すなわちカオスを創造するという手があるのだ。人工的に、カオスを創造する。それが、ポストモダンが示す私たちの希望ではないか。

 

救済としての芸術(その1) はじめに

 

今日の日本の状況について、皆様はどうお感じになっているだろうか。上級国民と呼ばれる一部の政治家は、法を犯しても罰せられない。新自由主義とか緊縮財政と呼ばれる勢力が政治や経済を牛耳っており、日本の国民は酷く貧しくなった。それでも半分近くの国民は選挙にすら行かず、環境破壊も進む一方だ。

 

但し、ソクラテス古代ギリシャの政治家や知識人に失望していたし、オルテガはスペインの大衆に嫌気が差していたのだ。あのカントだって、ドイツ国民の無関心について、ボヤいている。どうやらいつの時代でも、どこの国でも、ろくなことはなかったに違いない。

 

それにしても、この馬鹿馬鹿しい世の中を、他の人々はどのように生き延びてきたのだろう? 例えば、アフリカ大陸から奴隷として連れて来られた黒人たち。(正しくは、アフリカン・アメリカンと呼ぶべきかも知れないが、日本においてこの呼称はまだ一般的ではないし、そもそも日本人には黒人を差別しようという意識が希薄なので、簡略に「黒人」という呼称を使用させていただく。)

 

黒人に対する人種差別は、概ね400年も続いている。まず、アフリカ大陸で捕獲された彼らは、長い距離を港町まで歩かされ、そして奴隷船に積み込まれる。劣悪な環境なので、航海中に死者が出る。奴隷商人たちは、容赦なく黒人の遺体を海中に投げ捨てる。それを食べようとする魚たちが、いつも奴隷船の後をついて泳いでいたという話もある。アメリカ大陸に到着すると、彼らは商品として売買された。当初はサトウキビの栽培に関わる重労働を課せられ、それはやがて綿の生産へと移行する。男は肉体労働に拘束され、女は家事を命ぜられる。そして若い女性たちは、夜になると性を搾取されるのだ。

 

ある時、奴隷船による奴隷貿易が法律で禁じられた。すると白人農場主たちがどうしたかと言うと、黒人女性に自分の子供を産ませ、産まれて来た赤ん坊を奴隷として売り払ったという。

 

黒人に対する差別は今日も続いていて、昨年の5月にミネアポリスで白人警官に殺されたジョージ・フロイドさんの事件は、未だ、記憶に新しい。白人警官に殺された黒人は、他にも沢山いるらしい。本来、市民の暮らしを守るはずの警察官が、市民である黒人を殺害するのだ。Black Lives Matter(黒人の命も大切だ)というスローガンを掲げ、全米各地でデモが行われた。

 

それでも、奴隷制が生きていた時代に比べれば、黒人の人権は遥かに尊重されるようになったに違いない。そして何よりも、彼らは生き延びてきたのだ。

 

黒人解放運動は、主に政治の舞台で展開されてきたのだろう。例えば、マーチン・ルーサー・キング牧師が、「I have a dream」から始まる有名な演説を行ったのは、1964年のことだ。しかし、そのような絶望的な状況下にあって、黒人を励まし、白人に譲歩を求めて来たその原動力は、芸術にあったのではないか。

 

例えば、綿花畑の重労働によって疲弊した黒人の心を慰めたのは、労働歌としてのブルースだったのではないか。そして、黒人が生み出したジャズは、白人をも魅了したのである。そこで、白人の黒人に対する尊敬にも似たような感情が、生まれたに違いない。ジャズは、やがて黒人のスターを生み出す。その1人であるビリー・ホリデイは、白人によるリンチによって殺され、木から吊るされた黒人の遺体を「奇妙な果実」(Strange Fruits)という歌で表現した。

 

当初、白人は黒人に文字を教えることを嫌った。聖書を読ませたくない、というのがその理由だった。しかし、長い年月を経て、一部の黒人は読み書きの術を手に入れた。そして、ある黒人奴隷が小説を書いたのである。それを読んだ白人は、驚愕したらしい。「黒人も俺たち白人と同じようなことを考えているじゃないか!」

 

時は流れて、アメリカはベトナム戦争に突入する。アメリカの徴兵制について、私は然したる知識を持っていない。(今は、廃止されている。)しかし、当時、多くの黒人が戦場に駆り出されたであろうことは、想像に難くない。戦地においても、白人よりも厳しい任務を与えられたのだろうと思う。そして、アメリカ本土に帰還した黒人兵は、ベトナム戦争に反対する意思を表明する。そして、戦争反対というムーブメントと、黒人解放という主張が、一体となっていくのだ。

 

そこで、サッチモの愛称で呼ばれるジャズのルイ・アームストロングが、「この素晴らしき世界」を歌うのである。これは反戦歌である。その歌詞は「この世界は、素晴らしいと私は思う」というものだ。私は、そう思う。あなたはどうだろうか。もしそう思うのなら、戦争は止めよう、差別も止めよう、という意味が秘められているに違いない。対立を拡大させるのではなく、融和を求めているのである。なんという懐の深さだろう!

 

この曲を歌う時、サッチモは一瞬、とても悲しそうな表情を浮かべるという説がある。その真偽は、あなたの目で確かめていただけないだろうか。

 

ルイ・アームストロング この素晴らしき世界

Louis Armstrong - What a wonderful world ( 1967 ) - YouTube

 

この素晴らしき世界 歌詞和訳付き

https://www.youtube.com/watch?v=czI0VtKsvFM

 

ある時期、「黒人の女性も美しい」という主張がなされた。当時、アメリカのファッション雑誌を飾っていたのは、白人の女性ばかりだったのではないか。そこで、黒人の女性だって綺麗だぜ、という主張が出てきたのである。この主張は、Black Beautyというスローガンによって表現された。ちなみに、マイルス・デイビスも同名のアルバムをリリースしている。

 

黒人にとって困難な状況は、未だに続いている。しかし、それは明らかに良い方向へと向かっている。そして、その原動力となったのは、言葉の力であり、芸術の力ではないだろうか。私たち日本人にも、同じような力があるのではないか。芸術の力。それを読み解こうとするのが、これから始めようとするシリーズ原稿の趣旨である。

 

ちなみに、上に記したBlack Lives Matterのデモ行進には、多くの白人が参加したとのことである。

 

お知らせ

 

本ブログは「反権力としての文明論」を掲載中でしたが、これを断念することに致しました。以下にその理由を説明させていただきます。

 

まず、文化と文明の関係について。このブログはそのタイトルにあるように、「文化」という枠組みで検討してきた訳です。しかし、検討を進めるに従い「文化」という枠組みでは捉え切れない問題に直面し、世界全体を表現する用語として「文明」という用語を用いることにしました。

 

私たちが「文化」という言葉を用いるとき、それは歴史的な蓄積のあるもの、伝統的な風習などをイメージしているものと思います。「文化」は「文明」の中にあり、その深い所に位置していると言えるでしょう。従って、「文明」について検討するということは、「文化」について検討することを含む訳です。このスタンスは、変わりません。

 

問題は、「権力」にあります。当初私は、「文明」が適切な方向に向かわない根源的な理由を「権力」にあると見ていたのですが、次第に疑念が湧いて来ました。もっと大きな仕組みなり原理があって、権力はその一部として作用しているに過ぎないのではないか。その仕組みなり原理を「システム」と呼ぶべきかも知れませんが、この言葉、明確な定義がないように思うのです。そこで、私はそれを「秩序」と呼ぼうと思っています。

 

文明は、秩序を持っている。そして権力は、秩序を構成する1つの要素に過ぎない。

 

また、このブログに掲載してまいりました幾多の原稿は、文化なり文明を分析し、理解しようという試みだった訳です。言い換えれば、そこに主張はなかった。では、どうすればいいのか、どうすべきなのか?

 

この点、突き詰めて行くと、私は、芸術こそが文明を救うのではないかと思うに至りました。旧態依然とした秩序を打破し、我々の文明を前進させる力。それは芸術の中にある。但し、それは古き良き時代を懐かしむというものではありません。芸術の起源は古代にある訳ですが、人間は今日まで、一瞬たりともそれを手放したことはないのです。たった今、この瞬間においても、世界中で人々は絵を描き、歌い、言葉を紡いでいるのです。そこに希望がある。

 

上記の考え方は、ミシェル・フーコーの思想と重なるものではありません。但し、枠組みとしてはポストモダンにあります。

 

ポストモダンの芸術論。

 

私が今、構想しているのは、そういうことなのです。近日中に、着手したいと思っています。

 

お詫びとご報告まで。