文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

戦争と文明(その12) 権力の歴史

 

人類の歴史に沿って、権力の変遷を考えてみたい。ここで扱う歴史の区分は、以下の6種類である。

 

1.原始共産制

2.村落共同体

3.君主制

4.立憲君主制

5.立憲民主制

6.グローバリズム

 

上記の区分は、発生順に並べたものだが、それぞれの項目は、直ちに消え去るものではなく、あたかも積み木を重ねるように、今日の文明を重層的に構成している。例えば、エリザベス女王国葬は3番の「君主制」に由来しているだろうし、安倍元総理の国葬は4番の「立憲君主制」を利用したものだと思う。また、上記の区分は日本をベースに考案したものであって、全ての国に当てはまる訳ではない。例えば、独立戦争から生まれた米国において、君主制の時代は存在しない。

 

では、順に述べてみよう。

 

1.原始共産制

 この言葉を最初に述べたのは、マルクスエンゲルスだったように思う。人々は狩猟・採集を生業としていた。移動を繰り返すので、土地を所有する必要がなかったのである。

 この時代でも、人々の間に暴力は存在したに違いない。食物の奪い合いや女性を巡る男同士の戦いは存在した。しかし戦いの規模は小さく、今日、私たちが戦争として認識するようなものは、存在しなかった。この時代、暴力は存在したものの、戦争や戦争を引き起こすような権力は、存在しなかったのだ。

 

2.村落共同体

 狩猟・採集から農耕へと変化を遂げるその移行期において、村落が誕生したのだろうと思う。それは、移動生活から定住へと向かう、緩やかな変革期である。まずは移動の合間に簡単なキャンプベースのようなものを作り始め、その後改良を重ね、やがて家屋が生まれる。多くの文化人類学者が研究の対象としているは、この領域だ。未だ文字の存在しない無文字社会である。

 この段階においては、村と村の闘争は存在したに違いない。また、それを避けるための贈与、交換も頻繁に繰り返されていたのだろうと思う。贈与とは、自ら所有する何かを誰かにプレゼントすることであり、すなわち、この時点では既に所有の概念が発生している。贈与論において、マルセル・モースが描いた世界は、この位相に該当する。

 村が存在するためには、その象徴が必要となる。そのため、村には村長が存在したに違いないのだ。村長はシャーマンやその子孫、若しくは経済的に裕福だった家系の者がその任についたのだろう。村長と村民。ここで、身分の差異が生まれる。しかし、宝物が蓄えられた村長の家は、あたかも博物館のような役割を果たしていたに違いない。また、呪術師なども村長の家に集まっていたと思われ、その意味で、村長の家は病院でもあったのだ。すなわち村長の家は、文化の集積地だったのである。村民は、村や村長のために貢献し、その一方、祭などの機会を捉え、村長は村民に財物を分け与えていたのだろう。

 村落共同体において、既に権力の萌芽は見える。しかし、そこには贈与、交換という制度があって、争いや権力の顕現を抑制するシステムが機能していたと言えよう。

 

3.君主制

 主要な人々の生業は、農耕へと移行し、人々は定住を始める。文字が普及し始め、宗教上の経典などが作成される。この時代において、宗教上の権威者と武力や経済力を背景に持つ権力者の間で、相克が生まれる。但し、広範な地域を統率するという目的に照らして考えると、宗教上の権威者にその力はなかったように思う。日本を例に考えれば、そこには強力な仏教徒の集団があり、各地域に神社と神主がいて、更に、新興宗教が生まれ続けていたに違いないのだ。そこで、徐々に権威者よりも権力者の勢力が優勢になったのだと思う。

 君主制と呼ぶ位相において、権力は職業や身分と強い相関を持つようになったに違いない。江戸時代における「士農工商」など。また、人々の組織化が身分に関わる権力を生んだのではないか。

 但し、君主制の社会は、現代社会に比べると、遥かに地方分権が定着していたように思う。江戸時代の幕藩体制において、各藩はお抱えの武力集団(武士)を持っていたのである。江戸幕府は、藩の力を恐れたからこそ、参勤交代を義務付けたのである。

 

4.立憲君主制

 立憲という言葉は、憲法をもって国を設立するという意味だ。日本がこの体制を採用したのは、明治憲法を制定した時点である。明治憲法は、その第1条において、天皇がこの国を統治すると書いてある。ここに至って、宗教上の権威者と、武力や経済力を背景とする権力者とが統合され、国家権力が最盛期を迎える。そして、50年戦争とも呼ばれる日清戦争に始まり第2次世界大戦に敗れるまでの期間、日本はこの立憲君主制の下にあったのだ。

 天皇制は、神道に基づいている。この時点で、神道は国教としての位置を獲得し、反面、他の宗教は弾圧された。また、廃藩置県によって、中央集権化が進む。これによって、国家権力が他を圧倒するようになる。近代的国家の誕生である。

 このような権力の集中は、戦争への引き金となる危険性を孕んでいる。

 

5.立憲民主制

 1945年に日本はポツダム宣言を受諾し、全面降伏する。そして、マッカーサーが主導して、日本国憲法の草案が作成される。国会審議を経て、憲法草案は1946年に公布され、翌1947年に施行された。ところが、1947年の時点で、既にソ連が台頭し、米国の日本統治方針は180度変更された。これが憲法を巡る「逆コース」と呼ばれる現象である。マッカーサーは日本を「貧しくて戦争のできない国」にしようと思っていたが、その方針は「豊かで戦争のできる国」へと変わったのである。

 こうしてみると、米国や日本政府など、権力側が日本国憲法を遵守することを意図した期間は、ほとんど存在しないことが分かる。換言すれば、日本人は未だに本当の立憲主義、民主主義を経験したことがないとも言える。

 「逆コース」もさることながら、そんな日本国憲法が77年たった今日においても、一度も改正されることなく生き続けていること自体、歴史の不思議だと言わざるを得ない。

 日本国憲法は、三権分立を志向し、平和主義を掲げている。これを遵守することは、すなわち日本を戦争から遠ざけようとするものである。

 

6.グローバリズム

 実質的なことを言えば、日本の歴史は「立憲君主制」からいきなり「グローバリズム」へと移行したのではないか。それは1950年に勃発した朝鮮戦争を契機とし、その後の高度成長経済へと結びつく。日本経済は、朝鮮半島に武器を出荷し、米国に自動車を輸出することによって、目覚ましい発展を遂げた。

 日本は豊かになった。ここで、需給関係に異変が生じたに違いない。すなわち、供給力が需要を上回ったのである。そんなことは、過去に1度もなかったはずだ。供給力が需要を上回るということは、それはすなわち「お金さえあれば何でも買える」という状態を意味する。これが原因で、日本社会において拝金主義が横行するようになったのではないか。電通KADOKAWA、AOKIと言えば、お分かりだろう。彼らは皆、拝金主義者なのだ。

 また、経済的な発展は、新たな権力者を生み出したに違いない。それは大企業やその社員をはじめとする富裕層である。富裕層は経団連のような団体を通じてロビー活動を行い、政治に対し強い影響力を持つようになった。

 但し、日本の経済発展は、米国が許容する範囲内であったように思う。当初、米国は日本の経済発展を許容していたものと思われるが、1985年のプラザ合意、1989年の日米構造協議の辺りから、変化が生じたのではないか。米国は、日本の経済発展を疎ましく思うようになったのである。1990年頃、日本のバブル経済は崩壊し、以後、日本の経済は低下の一途を辿ってきた。その傾向は今後も続くものと思われ、日本は没落途上国になったのである。

 

 上記のように考えると、権力とは、人間集団の大きさに応じて、様々な形態が存在することが分かる。また、明らかに村落共同体における権力と、今日のグローバル社会における権力の大きさには、雲泥の差がある。

 

 グローバル社会における権力のバックボーンは、未だに軍事力にあるのではないか。経済力であれば、かつて日本は米国に対抗する力を持っていた。しかし、軍事力では圧倒的に米国に対抗できない。そこで、日本は米国に追従せざるを得ないのだ。

 

 軍事力に次ぐ権力のバックボーンは、経済力だろう。日本は今日においても、ODAと称して、途上国に対して多額の経済援助を行っているし、昨今、中国も同じ手法を使って途上国を支配しようとしている。

 

 人間集団の組織化が進展したことにより、身分を背景とした権力も台頭している。江戸時代の下級武士の組織が、明治以降の官僚組織を形成し、それは伝統的な日本の大企業にまで踏襲されてきたに違いないのだ。未だに高級官僚や大企業の役員には、天下り先が確保されているが、これは身分を背景とした権力の行使だと言えよう。

 

また、歴史の皮肉だと思うが、立憲君主制が崩れた後、国教以外の宗教活動が解禁されたという事実も看過できない。君主制の時代が宗教の全盛期だったとは思うが、グローバリズムの今日、宗教は第2の隆盛期を迎えているように思う。統一教会創価学会日本会議立正佼成会など、日本の政治に影響を及ぼしている宗教団体は、枚挙にいとまがない。これらはいずれも、幻想をバックボーンに持った権力だと言える。

 

まとめてみよう。権力には様々な階層があって、グローバリズムの今日においては、軍事力、経済力、身分、幻想などをバックボーンとして持つ権力が、社会を支配しているのである。

 

戦争と文明(その11) 贈与論/マルセル・モース

 

幻想が権力を生み、危機に瀕した権力者が戦争を始める。前回までの原稿で、私はこのテーゼに辿り着いたのだった。では、権力とは何か。その起源は何だろう。戦争の形態は時代と共に変遷してきたのであって、そうであれば権力の形態にもいくつかのパターンがあるに違いない。

 

また、西洋の王権神授説などを例に考えれば、権力とは、何かを背景に持っていることが分かる。ある背景があって、それを利用して他人を服従させる。それが権力の基本的な構造ではないか。

 

単純な例で考えてみよう。ある家庭がある。そこでは両親が権力を持っていて、子供たちは両親に服従している。父親の権力の背景は何か。それは腕力である。父親に逆らうと殴られる。それが嫌なので、子供たちは父親に服従する。確かに暴力は、権力の起源であるに違いない。それは、動物の世界でも観察される。では、母親の権力とは何か。その典型は、食事にあるのではないか。子供たちは、母親から食物を与えられる。それが途絶えると、生きていけない。だから子供たちは、母親に従うのではないか。食事を与える、何かを与えること。それがある種の権力の背景となる。私は、文化人類学に関する若干の知識と、豊富な(?)人生経験に基づいて、そう思うのだ。読者諸兄におかれても、過度な食事の提供を受けたという経験はないだろうか? 例えば田舎の法事や結婚式、取引先からの接待だとか・・・。

 

このように考えると、どうしても読まなければならない本がある。それが、マルセル・モース(1872-1950)の「贈与論」(文献1)である。

 

本論からは外れるが、「何かを与えること、それが権力の背景となる」という私の意見に対しては、次のようにモースも同意している。

 

- 首長とその部下のあいだ、部下とさらにその追従者のあいだで、こうした贈与によって階層性が作られるのである。与えることが示すのは、それを行う者が優越しており、より上位でより高い権威者であるということである。(文献1) P. 276 -

 

では、「贈与論」が描き出す世界について、その概略を述べよう。モースが描写した世界は、アルカイックな世界である。無文字社会と言っても良い。従って、その世界は霊魂、精霊、呪術などの概念によって支配されている。また、このような世界においては、部族やクラン(氏族。共通の祖先を認め合うことによって連帯感を持つ人々の集団。)を単位としており、国家は登場しない。

 

アルカイックな社会における人間集団の関係は、戦うか、贈与を行うか、そのどちらかなのである。

 

- 一方では、遂に戦闘になり、相手の首長や貴族を死に至らしめるようなこともある。他方では、協力者であると同時に競争相手でもある首長(普通は祖父、義父、婿)を圧倒するために、蓄えた富を惜しみなく破壊してしまうこともある。クラン全体が首長を媒介として、クラン全員のために、所有するすべてや行う一切のものを含む契約を締結するという意味で、そこには全体的給付が存在する。(文献1) P. 019 -

 

この全体的給付をモースは「ポトラッチ」と呼ぶ。

 

- これら精神的なメカニズムの中で最も重要なのは、明らかに、受け取った贈り物のお返しを義務付けるメカニズムである。(文献1) P. 020 -

 

明らかに贈与だけでは、不平等だし、贈与者と贈与を受けた者との間で不均衡が生ずる。そこで、お返しをすることになる。そのメカニズムやロジックについて、モースは複数の例を用いて説明しているが、現代人としてはこれを理解することはなかなかに難しい。簡単に私の理解を示すと、次のような事例を示すことができる。そもそも物には、人格や力が備わっている。その力には、呪術的なものも含まれる。従って、贈与を受けたままでいると、受け取った人や部族に何らかの不幸をもたらす、若しくは名誉を失うリスクがある。そこで、お返しをすることになる。贈与を受けて、お返しをする。するとこれら一連の行為は、「贈与」から「交換」へと変容する。交換がなされた時点で、両者の関係は平衡を獲得することになる。

 

モースによれば、この交換が経済活動の基礎をなしている。更に、交換がローマ法、ゲルマン法、中国法の起源に影響を及ぼしている。モースは述べる。

 

- クランからクランへの全体的給付体系とわれわれが呼ぼうとするもの -つまり個人と集団が互いにすべてのものを交換する体系- は、われわれが確認し理解しうる限りにおいて、経済と法の最も古い体系を作っている。(文献1) P. 268 -

 

この原理を私なりに普遍化してみると、霊魂、精霊、呪術などの幻想が、現代文明の起源であることになる。

 

「贈与論」は最後に、現代文明に対する批判と、平和に向けての提言によって締め括られる。

 

- つい最近、われわれの西洋社会は人間を「経済動物」にしてしまった。(文献1) P. 279 -

 

そして、次の箇所にモースの提言が端的に記されている。

 

- クランや部族や民族は -だから、文明化されていると言われているわれわれの社会においても、近い将来、諸階級や諸国民や諸個人は同じようにできるようにならなければならない- 虐殺しあうことなく対抗し、互いに犠牲になることなく与え合うことができたのである。 (文献1) P. 290 -

 

人間集団同士の関係は、戦うか、友好的な関係を築くか2つに1つしかない。どちらが幸福かと言えば、それは後者の方に決まっている。そのためには、現代人もアルカイックな社会に生きる人々と同じように、交換し、与え合い、平和に暮らすべきだというのが、モースの提言なのである。

 

<参考文献>

文献1: 贈与論/マルセル・モース/吉田禎吾・江川純一訳/ちくま学芸文庫/2009

 

戦争と文明(その10) 幻想と権力、そして戦争

 

マスケット銃が、歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだ。このような因果関係は、誰にも予測できなかったに違いない。同じような話は、他にも沢山ある。

 

錬金術が、科学を生んだ。これはユングの説である。錬金術というのは、人工的に金を作り出す非科学的な試みのことである。しかしながら、錬金術に夢中になった人々が、ビーカーだとかフラスコなど実験用の器材を発明した。そこから、本物の科学が生まれたという。

 

航海技術が医学を生んだ。その経緯は、フーコーが説明している。かつて、大航海時代というのがあって、西洋人はとにかく海の向こう側を目指したのである。すると、様々な地で様々な植物を発見する。そこで、植物図鑑を作った。どうせのことなら、動物図鑑も作ろうとかつての人々は考えた。植物と違って、動物には様々な機能がある。鳥は空を飛べるし、魚は泳ぐことができる。そこで人々は、機能に着目したのである。そうしてみると、人間の体にも様々な機能のあることに気付く。そしてある日、勇気のある人が、死体にメスを入れ、解剖したのだ。そこから、人間の内臓の機能に関する研究が始まった。これが近代医学の起源である。

 

今日現在においても、世界のどこかで誰かが、何かを発見し、何かを発明している。こうして、人間社会の科学的知見、常識、価値観(これらを総称して「エピステーメー」と呼ぶ)

は、常に変化している。

 

ところが人間の社会には、何年たっても、いや何千年たっても変わらないものがある。本来的に言えば、そんなものが存在するはずはないのだ。存在するはずがないのに存在しているので、それを私は「幻想」と呼ぶ。

 

幻想の典型例は、宗教である。それは、古代に生まれた仮説に過ぎない。そもそも、人間は死ぬと、他の動物と同じように消滅するだけなのだ。しかし、宗教はかたくなにそれを認めようとしない。一体、誰か幽霊などというものを見た人はいるのだろうか。ご先祖様などと言っても、彼らは既に死んでいるのであって、すなわち消滅しているのである。「ご先祖様の霊が」などという論議は、何の根拠も持ちはしない。

 

幻想にもいろいろある。共産主義はどうだろう。マルクスが生きていた時代と今日では、状況は根本的に異なる。マルクスは資本主義が成熟した国家において、革命が起こり、共産主義へ移行するに違いないと考えた。しかし、実際には開発途上国において、独裁者が共産主義を利用したに過ぎないのではないか。やはり、共産主義も幻想だと言わざるを得ない。

 

もっと身近なところで言えば、男尊女卑、官尊民卑、学歴偏重主義など、全て幻想だと言えよう。

 

変わり続けるエピステーメー

 

変わることを拒否する幻想。

 

では、幻想は何故、かくも永く生き続けるのか。それは、権力との関係によって説明できる。権力者は既存の幻想を利用し、自らを権威づける。若しくは、自らの権力を維持、強化するために、新たな幻想を作り出すのである。典型は、中世ヨーロッパにおける王権神授説である。王様の権力は神によって授けられたものだと主張し、王様を権威づけた。また、日本の明治憲法は、国家神道なるものをでっち上げて、政治家、軍部、官僚などを権威づけた。

 

このように考えると、洋の東西を問わず、大衆は愚かなのであって、権力者の提示する幻想を受け入れて来たことが分かる。大衆は権力に弱い。但し、「誰が権力者であるべきなのか」という疑問を大衆が持ち続けて来たのも事実だろう。だから、権力者は自らを権威づけることに躍起になってきたのである。換言すると、権力者は、自らの権力の源泉を証明し続けなければならないという宿命を負っている。権力者の側も必死なのだ。

 

死に物狂いの現状維持。これは戦後日本の政治体制を指して言った白井聡氏の言葉だが、的を射ている。

 

そして、当然のことながら権力者は、内的な理由から、若しくは外的な要因によって、困難に直面する場合がある。すると、権力者は自らの権力を維持するために、戦争を始める。それは、国家のためではない。ましてや正義のためでもない。ただ、権力者が自らの権力を維持するために始められるのである。2001年9月11日。ニューヨークのワールド・トレード・センター・ビルなどが破壊された。その後、米国が仕掛けたアフガニスタンへの侵攻やイラク戦争において、米国には何の正義もなかった。ただ、政権を維持するために時の大統領が戦争を仕掛けたのではなかったか。「テロとの戦争」という幻想を利用して。

 

現在行われているウクライナ戦争も、結局はプーチンによるプーチンのための戦争だと思う。西側諸国がNATOの加盟国を拡大し、ロシアに脅威を与えたのが理由だと述べる論者もいるが、だからと言って、それが戦争を正当化する理由にはならない。

 

幻想が権力を生む。権力は、幻想を利用する。そして窮地に立たされた権力者が、戦争を始めるのだ。

 

戦争と文明(その9) 永遠平和のために/カント

 

過去において、戦争を礼賛する哲学者や文学者がいたことは、前回の原稿で紹介した通りである。そして、哲学者の西谷修氏は、次のように述べている。

 

- 戦争が避けるべき「災い」あるいは端的に「悪」だと考えられるようになった、その転換を象徴するのは、アインシュタインフロイトの往復書簡です。(文献1)-

 

その意見に反対する訳ではないが、考えてみるとその前に「パリ不戦条約」が締結されており、この条約には日本を含む15か国が参加している。更に遡ると1920年には国際連盟が設立されているし、その基本理念はカントが公表した小論文「永遠平和のために」に記されているのだ。これは国際連盟が設立される125年も前のことで、カントがいかに先見性を持っていたか、驚く他はない。(但し、戦闘状態を脱し人命を尊重し、平和を構築すべきだと考えた哲学者としては、カントの遥か以前にトマス・ホッブズ(1588-1679)がいる。)

 

1795年: カント「永遠平和のために」を公表

1920年: 国際連盟設立

1928年: パリ不戦条約

1932年: アインシュタインフロイトの往復書簡

 

そもそもカントが何故、この小論文を書こうと思ったのかと言うと、それは1795年にフランスとプロイセンの間で取り交わされたバーゼル平和条約について、カントが不満に思ったことがきっかけだったらしい。(文献2)

 

さて、この小論文の要旨は、まず、各国が従うべき1つの法(ルール)を作り、各国が契約によって、その法を遵守する体制を作ろう、そしてその体制は世界国家、つまり世界を1つの国にするのではなく、それぞれに独立した加盟国が連盟するのが良い。簡単ではないが、加盟国が増えて行けば、いずれ永遠平和を実現することができる、というものである。

 

では、私が興味を覚えたいくつかのテーマについて、以下に掘り下げてみよう。

 

〇 民主主義

 民主主義と言うと、とても良い制度だという印象がある。確かに、他の制度よりは良いだろうが、そこには自ずと限界がある。カイヨワが指摘したように、民主主義(国民主権)になると愛国心が生まれる。そして愛国心全体主義的な傾向を持つのだ。結果として、全体主義的民主主義が登場する。同じようなことをカントも指摘している。

 

- 国の形態は、その国がどのようなものであれ最高国家権力を持っている人によって区別することができる。(中略)まさに支配の形態と呼ばれるもので、3つの形態だけが可能である。支配権力を持っているのが1人だけか、または手を結んだ数人か、または集まって市民社会をつくっている全員か、のどれかなのである。(文献2)-

 

カントは「民衆制」という用語を用いたようだが、これは現代用語の「民主制」と同等であると思って良いだろう。するとカントが指摘した形態は、次の3つであると言える。

 

独裁制

・寡頭制(貴族制)

・民主制

 

カントは、次のように続ける。

 

- 民衆制の形態は、言葉を厳密に理解すれば、必然的に独裁主義である。その理由は、民衆制が設定している執行権力を見ればわかる。なにしろみんなで、(賛成していない)人を無視して、場合によってはその人に逆らって、ということは、「みんなで」とはいっても、全員ではないのに決議するのだから。(文献2)-

 

だんだん、民主主義が嫌になってくるが、カントは更に続ける。

 

- どれがいいのか、不確実だ。あらゆる統治方式について歴史には失敗例がいろいろある。(文献2)-

 

そうかも知れない。この点、私はこう考える。独裁制や寡頭制より、民主制はまだましな制度なのだ。但し、民主主義というのは必要条件ではあっても、十分条件ではない。民主主義だけでは、何かが不足しているに違いない。それを私たちは、考え続けなければならない。

 

〇 自然状態

 文明に侵される以前、本来人間はどのような特質を持っていたのか。それが、自然状態と呼ばれるものだ。カントは「人間は、利己的で、邪悪で、戦争好きだ」と考えた。

 

- 隣人どうし平和に暮らしているのは、自然状態ではない。自然状態とは、むしろ戦争の状態である。つまり、敵対行為がつねにあるわけではないが、敵対行為の脅威がつねにある状態のことである。だから、平和な状態はもたらされるしかないものだ。(文献2)-

 

上に引用したカントの考え方は、少し人間を悲観的に見過ぎていないだろうか。トマス・ホッブズは、「自然状態」においては「万人の万人に対する闘争状態」が起こると考えた。しかし、その真意は次のようなものである。

 

- ホッブズも、自然状態において、人間が、年がら年中バトル(戦争)しているとは考えていない。なぜなら、生命の危険のともなう闘争など、人間は極力、回避しようとするからである。闘争状態はあくまで「例外状態」、「異常事態」下のできごとであると考えるべきである。(文献3)-

 

どうだろう。カントよりは、少しマイルドな感じがしないだろうか。一般に、欧米人は性悪説で、日本人は性善説だと言われる。キリスト教が言う原罪の意識が、欧米人に影響しているのが原因ではないか。

 

私は、カントの説に納得できなかった。アイヌ民族は、平和に暮らしていたに違いないのだ。しかし、調べてみるとアイヌにもやはり戦争の歴史はあるようだ。(文献4) 残念!

 

人間の自然状態に関する理解としては、概ね、ホッブズの説が妥当ではないか。また、人間には他者と親和的な関係を築こうとするエロスと、その正反対の破壊欲動とがあるとするフロイトの説が妥当ではないだろうか。

 

〇 今日的な評価

現在、世界には196の国があり、そのうち193か国が国連に加盟している。そして、全ての加盟国が遵守すべき国連憲章というものも制定されている。しかし、カントが構想したような平和は訪れていない。何故だろう。1つには、国連憲章に違反した国に対する制裁力が弱いということがある。確かに、国連軍による武力介入という方法はあるが、どこの加盟国も自国の軍隊を派遣することには消極的だろう。それ以上に、そもそも国連憲章自体、カントが想定したような平等な内容になっていないということもある。国連の中核組織として、安全保障理事会があるが、そこには5つの常任理事国(米、英、仏、露、中)が定められており、彼らは拒否権を持つ。従って、常任理事国の中の1か国でも反対すれば決議は成立せず、国連は機能不全に陥るのだ。最近の事例では、ロシアのウクライナ侵略を非難する決議をしようとしたが、当然のことながら、ロシアは拒否権を発動した。

 簡単に言えば、米国を含めた大国のエゴイズムが、国連を機能不全に陥らせているに違いない。第二次世界大戦戦勝国が作ったのが国連であり、国連は「永遠平和」を希求しているのではなく、第二次世界大戦の事後処理を目的としているようにも思える。例えば、日本を含めた敗戦国は、未だに「敵国条項」の適用を受けている。

 やはり、カントは単なるロマンチストに過ぎなかったのだろうか。私は、そうではないと思う。カントの掲げた崇高な理想を、未だ、人類が実現できていないのだ。機能不全に陥っているとは言え、それでも国連はないよりあった方が、よほどマシなのだ。世界平和を希求する人々がいる。人類には、そのような思想に至らざるを得なかった不幸な歴史がある。そのことを国連は、人々に想起させているだろう。

 

さて、「戦争と文明」と題したこのシリーズ原稿も、そろそろ結論に向かうべき時期に来たようだ。フロイト、カイヨワ、カントなどの思想も参考にしながら、私自身の意見を述べるべきだと思う。「啓蒙とは何か」と題されたカントの小論文は、次のように述べている。

 

- ところでかかる未成年状態にとどまっているのは彼自身に責めがある、というのは、この状態にある原因は悟性が欠けているためではなくて、むしろ他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気とを欠くところにあるからである。それだから「敢えて賢こかれ」、「自分自身の悟性を使用する勇気を持て!」 ― これがすなわち啓蒙の標語である。(文献5)―

 

すなわち、誰でも未成年状態を脱し自ら思考する能力を持っているのだ。だから、あとは自ら思考する勇気を持て、とカントは言っているのである。

 

文献1: ロジェ・カイヨワ 戦争論西谷修NHK出版/2019

文献2: 永遠の平和のために/イマヌエル・カント/丘沢静也 訳/講談社学術文庫/2022

文献3: ホッブズ/田中浩/清水書院/2006

文献4: アイヌの歴史/瀬川拓郎/講談社選書/2007

文献5: 啓蒙とは何か/カント/篠田英雄 訳/岩波文庫/1950

 

戦争と文明(その8) カイヨワの戦争論

 

ロジェ・カイヨワは、1913年にフランスで生まれた。1948年には、国連の関連組織であるユネスコに加入する。ユネスコは、教育、科学、文化などの分野における国際協力を通じて、世界平和を目指す機関である。つまり、カイヨワは徹底した平和主義者だった。

 

カイヨワは多くの著作を残しているが、その主題は、神話、文学、社会学など多岐に及んでいる。1958年には「遊びと人間」が出版され、これは本ブログでも過去に取り上げた経緯がある。そして、1963年に出版された「戦争論」、これが本稿の主題である。気軽に取り扱える「遊び」というテーマに比べれば、「戦争」はその真逆であって、深刻で、デリケートな課題だと言える。

 

一体、カイヨワとは何者だったのだろう。

 

例えば、宗教に夢中になっている人は、宗教を客観的に語ることができない。それは、スポーツでも芸術でも、戦争でも同じだ。ある人間の営為を客観視しようと思ったら、まず、その営為の外側に出なければならない。プラトンが「洞窟の比喩」で語ったように、私たちは洞窟の外側に出なければならないのだ。

 

カイヨワの思想遍歴は、文化人類学から始まったように思える。やがて、その領域の外側を目指したカイヨワは、人間世界の総体を俯瞰して、その原理に迫ろうとしたのではないか。このような思想領域は、文明論としか呼びようがない。その方法論は、ミシェル・フーコーに通ずるところがあるように思う。フーコーとカイヨワ。この2人はフランスの同時代を生きたのである。

 

カイヨワ: 1913 - 1978

フーコー: 1926 - 1984

 

さて、カイヨワの「戦争論」について、その肝要な部分を取り上げたい。まず、中世ヨーロッパにおける戦争の形態から始めよう。封建制君主制が支配していた中世ヨーロッパにおいて、軍隊は君主が所有するものだった。騎士と呼ばれる貴族階級があって、彼らは経済的な、そして階級上の特権を有していたのである。当然のことながら、騎士は日々、剣術の鍛錬をし、鎧を着て馬に乗っていた。そして、一切の特権から除外された徒歩従者と呼ばれる平民がいたのである。

 

- 各隊には、原則として一人の戦闘員しかいなかった。それが、重装備をした騎士である。騎士には、二人の騎乗射手と三人の従者がつくが、この二人の射手も戦闘時には徒歩となる。中世の軍隊は、多数の徒歩従者にかしずかれた騎士たちの集団であった。文献1 P. 63 -

 

徒歩従者たちは、君主から雇われていた。そこで、当時の戦争には、ある抑止力が働いていたのだ。騎士たちは、剣術を競い合い、互いの名誉を重んじていたのである。もちろん彼らだって、本音では死にたくなかったに違いない。そして傭兵に至っては、いざ戦争が始まると逃げ出す者も少なくなかった。そのため、中世の戦争は時間が掛かった、という説がある。一方、君主にしても騎士や傭兵は高価な資産でもあったので、彼らを失いたくはなかった。つまり、熾烈な戦争を望んではいなかったのである。戦争は休み休みに行われ、相手方を殲滅するところまではいかなかった。

 

やがて、変化が生ずる。マスケット銃の登場である。初期型のマスケット銃は、火縄式だったが、その後、改良が進む。ここでは単に「鉄砲」と呼ぼう。鉄砲が登場すると、馬に乗った騎士の価値は、地に落ちた。馬に乗っていると狙われ易いし、鉄砲の前に剣術は太刀打ちできなかったからである。そして、戦い方に本質的な変化が訪れる。つまり、戦争の主役が、騎士から鉄砲を持った徒歩従者へと交代されたのである。この鉄砲を持った徒歩従者は、歩兵と呼ばれる。

 

この戦闘方法の変化は、やがて人々の意識にまで重大な変化を及ぼす。かつては騎士たちに蹂躙されていた徒歩従者たちは「何だ、俺たちの方が強いじゃないか」と思い始める。「騎士もへったくれもない。同じ人間ではないか」。こうして人権意識が芽生え、それが民主主義へとつながったと言うのである。

 

- マスケット銃が歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだ。文献1 P. 62 -

 

次の変化を巻き起こしたのは、フランス革命だった。当時の圧政に対抗したブルジョアジーが革命を起こし、ルイ16世を処刑し、フランス人権宣言が発出された。これによりフランスは「王国」から「共和国」へと変貌を遂げる。共和制とは、その国が王様のものではなく、国民が主権者であることを意味する。そして、主権者である国民の権利を具現化するための基本的人権の尊重、自由権、平等権、多数決の原理、法治主義などを標榜するのが民主主義である。まず、ベースに共和制があって、その上に乗っているのが民主主義だと考えれば良いだろう。但し、ここでは同じようなものだと考えておいて、差支えはない。

 

さて、フランスの主権者は、王様から国民へと移行したのである。するとこれに喜んだ国民は、「この国は私たちの国だ」と思うようになる。そこで、愛国心が生まれた。

 

- 共和主義者と愛国者とが同義であったのも偶然ではない。文献1 P. 160 -

 

確かに米国の共和党支持者には、愛国者が多い。こうしてナショナリズムが生まれ、戦争の様式も容赦のないものへと変化した。使用される武器もその破壊力を増していったし、そして兵士たちのマインドも積極的に「自分たちの国を守ろう」という具合に変化したのである。こうして、全体主義と民主主義が奇妙な同居を続けることになる。これが「全体主義的民主主義」と呼ばれるものの正体だ。

 

- 民主主義のいろいろな長所のうちには、束縛をともなわぬものは一つとしてない。国家の野心が如何なるものかに応じて、その束縛がゆるやかであったり、きびしかったりするだけに過ぎない。国家が自分の計画を妨げられることを好まず、あらゆるものを犠牲にしてもその計画を成功させようとするのであれば、その国家が与えるもの、その国家が国民に行なうところのことは、圧迫の手段となり国民を隷属させるための道具となる。普通の場合であってさえすでに、学校において、職業において、自己の財産を守るために、また軍隊において、市民は国家の束縛をのがれることができない。市民は、子供としては教員から物ごとを教えこまれ、労働者となっては企業主に搾取され、機械化された労働の奴隷とされ、納税者としては国庫に収入の一部をさし出さねばならず、徴兵されては古参兵からいじめられる。

 民主主義は、戦争そのもののため、また戦争の準備のために、国民の一人びとりに対して金と労働と血を要求する。 文献1 P. 128 -

 

なんということだろう! 徴兵制は存在しないが、そのことを差し引くと、上の記述は現在の日本にもそのまま当てはまるではないか!

 

だったら戦争など、止めればいいのだ。しかし、これまた驚くべきことだが、過去の思想家の大半は、戦争を美化し、礼賛し、擁護してきたのである。まずは、ヘーゲル

 

- 個人がこのような孤立のなかに根をおろし、そこで固まってしまわないようにするため、つまりは全体というものがばらばらになり、精神が蒸発してしまわないようにするため、政府はときどき戦争を行ない、内輪な交わりのなかに安住している個人を揺り動かさなければならない。政府は戦争をすることにより、日常的なものとなってしまっている彼らの秩序を混乱させ、その独立の権利を侵害せねばならぬ。このような秩序にひたりきって、全体からはなれ、自分だけのための絶対不可侵な生活を願い、自己の安住のみを求めるような個人に対しては、政府はすべからく、ここに課された労働のなかで、彼らの支配者である死というものが如何なるものか、思い知らせてやる必要がある。 文献1 P.162 -

 

上記の引用は、ヘーゲルの著書「精神の現象学」からの引用である。

 

次はドストエフスキー

 

- そうだ! 流された血が偉大なのだ。われわれの時代には、戦争が必要である。もし戦争がなかったら、世界は瓦解してしまうだろう。あるいは少なくとも、壊疽にかかったからだから流れ出す血膿のようなものでしかなかったろう。 文献1 P. 183 -

 

上の記述は、ドストエフスキーが1876年に公表した「逆説的人間」と題された論文からの引用である。

 

ヘーゲルドストエフスキーも、狂っている。当然のことではあるが、彼らの死後、ヒロシマナガサキで何が起こったのか、彼らは知らない。戦争を防止する手立てを見つけることができず、逆説的に、それではいっそのこと戦争を肯定してしまおう、という開き直りが彼らの発想の基底にあるのではないか。しかしそれは、思想家としての敗北を意味しているに過ぎない。ヘーゲルドストエフスキーも、弱虫なのだ。

 

さて、最後にカイヨワは、もう1つの論点を提起している。それは、祭りと戦争との比較である。この2つには、多くの相違があることを認めた上で、カイヨワはその共通点について言及している。

 

- 原始社会において祭が果たしている役割が、機械化された社会においては戦争によって果たされている(後略) 文献1 P. 221 -

 

平時における閉塞感や息苦しさ、そのようなものから解放されたいと願うのは、人間の常である。原始社会においては、祭りにおいて、人間のそのような欲望を充足していた。そして、機械化、工業化の進んだ社会においては、戦争がその役割を果たしているとカイヨワは指摘しているのだ。戦場において、敵を殺戮する瞬間、兵士は恍惚を覚えるという。

 

- 震える機銃を握り締める私は、弾丸が、人間の体、生きた熱い肉体のなかに、突き通るのを感じるような気がした。何という悪魔的喜びだろう! 私は機銃と一体なのだ! 私自身が機銃であり、冷たい金属なのだ! 密集した群れのなかに、つぎからつぎと弾丸をたたきこむ。そこには一つの門ができた。それを通り越すものは、天国にゆくのである。いかなる武器といえども、こんな素晴らしい標的に出会ったことがあるだろうか。おや、弾帯が空になった。新しいのをつけなければならぬ。(中略)力尽きた私は、震えながら地上に横たわった。もう目をあげることもできない。 文献1 P. 230 -

 

上の記述は、エルンスト・フォン・ザロモンという兵士の体験談である。

 

このような陶酔は、文化人類学が解明してきたあの「トランス状態」に似ている。人間は、極限状況に陥ったとき、脳内にドーパミンが放出され、得体の知れぬ快感を覚えるのである。また、これはフロイトが指摘した「破壊欲動」にも通ずるところがあるだろう。

 

そして、人間が戦争を回避する方法について、最後に次のように述べて、カイヨワの戦争論は終わる。

 

- それには物事をその基本においてとらえること、すなわち、人間の問題として、いいかえれば人間の教育から始めることが必要である。たとえ永い年月がかかろうとも、危険なまでに教育の欠如したこのような世界に、本来の働きを回復させる方法としては、わたくしにはこれしか見あたらないのである。とはいうものの、このような遅々とした歩みにより、あの急速に進んでゆく絶対戦争を追い越さなければならぬのかと思うと、わたくしは恐怖から抜け出すことができないのだ。文献1 P. 266 -

 

これはカイヨワの本音だろう。軽々な結論を避け、自らが抱く恐怖心を率直に吐露している。私は、カイヨワのこのような心根に共感を覚える。そして、上の記述にある「教育」という言葉は、かつての「啓蒙主義」やカントがその晩年に記した「啓蒙について」(訂正:啓蒙とは何か)という小論文にも通ずるところがあると思うのだ。

 

未成年から成人へ。野蛮から文明へ。私たちは、そのような飛躍を遂げなければならない。そして、そのために教育が、啓蒙が、必要なのである。現在の学校で、そのような教育がなされているとは、とても思えない。何を教えるべきか、まず、そのことを知る必要がある。

 

カイヨワの戦争論は、私にとっても、衝撃だった。特に、マスケット銃が歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだというくだりは、圧巻である。しかし、戦争について考えるに際し、カイヨワの戦争論にも、フロイトの書簡にも不満は残る。いずれにおいても、権力についての考察が欠如しているからである。

 

ウクライナ戦争を見るがいい。開戦を決めたのは、権力者であるプーチンだ。確かに、ウクライナで無辜の市民を虐殺したロシア兵は、恍惚を覚えたかも知れない。しかし、プーチンが戦争を始めさえしなければ、そのような惨劇は回避されたはずである。人間には、狂気がある。狂気が戦争を生む。しかし、権力がコントロールされれば、戦争を回避することは可能ではないのか。

 

私が今考えているのは、幻想が権力を生み、権力が戦争を必要とする、ということなのだ。そして、戦争の舞台となる国家がある。幻想、権力、戦争、国家。これらのキーワードの中に、秘密を解く鍵が隠されているに違いない。

 

文献1: 戦争論ロジェ・カイヨワ/りぶらりあ選書/法政大学出版局/1974

文献2: ロジェ・カイヨワ 戦争論西谷修/100分de名著/NHK出版/2019

 

自民党をディスる時事川柳

 

気をつけて

 暗い夜道と

  統一教会

 

近づくな

 あなたの街の

  統一教会

 

萩生田さん

 ど壺にはまって

  さあ大変

 

おニャン子

 使い倒すぞ

  自民党

 

自民党

 賞味期限は

  とうに切れ

 

日本では

 神も仏も

  自民党

 

嫌になる

 こんな日本と

  自民党

 

戦争と文明(その7) 統一教会とグローバリズム(その2)

 

統一教会の問題に戻ろう。

 

1954年: 世界基督教統一神霊協会統一教会設立)。

1959年: 統一教会、日本での活動開始。

1962年: 文鮮明は渡米し、CIAのキャロル陸軍中将らと面会する。

1968年: 統一教会文鮮明が韓国に国際勝共連合を設立。

1988-1991年: ソビエト連邦崩壊

1991年: 文鮮明北朝鮮金日成と面会し、4400億円もの経済支援を約束し、ビジネス上の利権を獲得する。

1997年: 韓国において、名称を「世界平和統一家庭連合」に変更。

2015年: 日本においても、文科省が名称変更を認める。

 

上記の略歴は、統一教会の歴史のほんの一部である。Wikipediaに詳細を記したサイトがある。ただ、上の記述を見ただけでも、統一教会の活動の幅の広さを認識することができる。時間的に言えば、それは68年の歴史を持つのであって、地理的に言えば、韓国、北朝鮮、日本、米国などを舞台に活動していることが分かる。そして活動内容は、宗教、政治、経済の3分野に及ぶ。これは単なる宗教団体の域を遥かに凌駕しているのであって、コングロマリットと呼ぶのが相応しい。

 

統一教会の日本進出がどのように行われたのか、その経緯は未だ、闇に包まれている。CIAの関与が取り沙汰されているが、私はこの説を肯定的に見ている。そして、国際勝共連合の活動は、米国、統一教会、日本の右翼、そして自民党を結ぶ結節点であったのだろうと思う。統一教会の歴史とは、自民党の歴史と相当な部分において、重複している。

 

次に、統一教会と米国の関係である。上に記したCIAの他に、共和党との関係も気になる。安倍晋三がビデオレターを送った宇宙平和連合(UPF)の大会には、トランプ前大統領も同様にビデオレターを送っている。共和党の熱心な支持者の中にはキリスト教右派と呼ばれる人々が多い。彼らの主張が認められて、米国においては人口妊娠中絶が禁止された。このような主張は、統一教会の家庭観と重複しないだろうか。また、トランプが大統領選に敗れた直後、一部の共和党支持者によるデモ隊が米国の議会に突入するという事件が起きた。その際、文鮮明の7番目の子供(男)も、そのデモに参加している。彼は、サンクチュアリ教会というカルト集団の教祖でもある。このような事実は、線として繋がらないだろうか。つまり、統一教会は米国の共和党と繋がっている可能性があるのだ。

 

統一教会自民党に巣くう寄生虫のようだ、という意見がある。そうかも知れない。しかし、この意見の前提は、あくまでも日本国の与党としての強大な自民党という存在があって、そこに巣くう弱小の寄生虫という構図を前提としている。この見方に対し、私は、疑義を持っている。本当は、自民党よりも統一教会の方が強いのではないか。例えば、統一教会共和党に圧力を掛ける。共和党自民党に圧力を掛ける。そうすれば、自民党としてはグーの音も出ないに違いない。

 

反日カルトとしての統一教会を日本から追い出すための方法としては、次の3種類の方策が考えられる。

 

・解散命令を下す。

・宗教団体としての法人格を剥奪する。

・反カルト法を制定する。

 

しかし、いずれの方策に対しても自民党は及び腰である。自民党は闇の多い統一教会の権力の前で、怯えているのではないか。そう考えた方が、自然である。

 

では、私たち一般の国民はどうすれば良いのか。統一教会の闇を暴くか。それは困難である。もっと簡単な方法は、自民党を与党の座から引き摺り下ろすことだ。簡単な見方としては、日本国民の政治的志向は、次の通りである。

 

与党支持・・・30%

野党支持・・・20%

無関心 ・・・50%

 

そうしてみると、日本国民の10%が支持政党を変更すれば、与野党がひっくり返ることになる。もちろん、野党の側にも問題はある。と言うか、問題だらけだとは思う。しかし、これは統一教会の闇を暴くという難題に比べれば、余程、ハードルは低いに違いない。

 

権力は、必ず腐敗する。自民党は、権力を永く持ち過ぎたので、とっくの昔から、腐敗してしまったのである。自民党は、賞味期限も消費期限もとうの昔に過ぎてしまっている。

 

グローバリズムを志向するカルト集団から日本を守ることができるか、私たちは今、その岐路に立たされている。