幻想が権力を生み、危機に瀕した権力者が戦争を始める。前回までの原稿で、私はこのテーゼに辿り着いたのだった。では、権力とは何か。その起源は何だろう。戦争の形態は時代と共に変遷してきたのであって、そうであれば権力の形態にもいくつかのパターンがあるに違いない。
また、西洋の王権神授説などを例に考えれば、権力とは、何かを背景に持っていることが分かる。ある背景があって、それを利用して他人を服従させる。それが権力の基本的な構造ではないか。
単純な例で考えてみよう。ある家庭がある。そこでは両親が権力を持っていて、子供たちは両親に服従している。父親の権力の背景は何か。それは腕力である。父親に逆らうと殴られる。それが嫌なので、子供たちは父親に服従する。確かに暴力は、権力の起源であるに違いない。それは、動物の世界でも観察される。では、母親の権力とは何か。その典型は、食事にあるのではないか。子供たちは、母親から食物を与えられる。それが途絶えると、生きていけない。だから子供たちは、母親に従うのではないか。食事を与える、何かを与えること。それがある種の権力の背景となる。私は、文化人類学に関する若干の知識と、豊富な(?)人生経験に基づいて、そう思うのだ。読者諸兄におかれても、過度な食事の提供を受けたという経験はないだろうか? 例えば田舎の法事や結婚式、取引先からの接待だとか・・・。
このように考えると、どうしても読まなければならない本がある。それが、マルセル・モース(1872-1950)の「贈与論」(文献1)である。
本論からは外れるが、「何かを与えること、それが権力の背景となる」という私の意見に対しては、次のようにモースも同意している。
- 首長とその部下のあいだ、部下とさらにその追従者のあいだで、こうした贈与によって階層性が作られるのである。与えることが示すのは、それを行う者が優越しており、より上位でより高い権威者であるということである。(文献1) P. 276 -
では、「贈与論」が描き出す世界について、その概略を述べよう。モースが描写した世界は、アルカイックな世界である。無文字社会と言っても良い。従って、その世界は霊魂、精霊、呪術などの概念によって支配されている。また、このような世界においては、部族やクラン(氏族。共通の祖先を認め合うことによって連帯感を持つ人々の集団。)を単位としており、国家は登場しない。
アルカイックな社会における人間集団の関係は、戦うか、贈与を行うか、そのどちらかなのである。
- 一方では、遂に戦闘になり、相手の首長や貴族を死に至らしめるようなこともある。他方では、協力者であると同時に競争相手でもある首長(普通は祖父、義父、婿)を圧倒するために、蓄えた富を惜しみなく破壊してしまうこともある。クラン全体が首長を媒介として、クラン全員のために、所有するすべてや行う一切のものを含む契約を締結するという意味で、そこには全体的給付が存在する。(文献1) P. 019 -
この全体的給付をモースは「ポトラッチ」と呼ぶ。
- これら精神的なメカニズムの中で最も重要なのは、明らかに、受け取った贈り物のお返しを義務付けるメカニズムである。(文献1) P. 020 -
明らかに贈与だけでは、不平等だし、贈与者と贈与を受けた者との間で不均衡が生ずる。そこで、お返しをすることになる。そのメカニズムやロジックについて、モースは複数の例を用いて説明しているが、現代人としてはこれを理解することはなかなかに難しい。簡単に私の理解を示すと、次のような事例を示すことができる。そもそも物には、人格や力が備わっている。その力には、呪術的なものも含まれる。従って、贈与を受けたままでいると、受け取った人や部族に何らかの不幸をもたらす、若しくは名誉を失うリスクがある。そこで、お返しをすることになる。贈与を受けて、お返しをする。するとこれら一連の行為は、「贈与」から「交換」へと変容する。交換がなされた時点で、両者の関係は平衡を獲得することになる。
モースによれば、この交換が経済活動の基礎をなしている。更に、交換がローマ法、ゲルマン法、中国法の起源に影響を及ぼしている。モースは述べる。
- クランからクランへの全体的給付体系とわれわれが呼ぼうとするもの -つまり個人と集団が互いにすべてのものを交換する体系- は、われわれが確認し理解しうる限りにおいて、経済と法の最も古い体系を作っている。(文献1) P. 268 -
この原理を私なりに普遍化してみると、霊魂、精霊、呪術などの幻想が、現代文明の起源であることになる。
「贈与論」は最後に、現代文明に対する批判と、平和に向けての提言によって締め括られる。
- つい最近、われわれの西洋社会は人間を「経済動物」にしてしまった。(文献1) P. 279 -
そして、次の箇所にモースの提言が端的に記されている。
- クランや部族や民族は -だから、文明化されていると言われているわれわれの社会においても、近い将来、諸階級や諸国民や諸個人は同じようにできるようにならなければならない- 虐殺しあうことなく対抗し、互いに犠牲になることなく与え合うことができたのである。 (文献1) P. 290 -
人間集団同士の関係は、戦うか、友好的な関係を築くか2つに1つしかない。どちらが幸福かと言えば、それは後者の方に決まっている。そのためには、現代人もアルカイックな社会に生きる人々と同じように、交換し、与え合い、平和に暮らすべきだというのが、モースの提言なのである。
<参考文献>
文献1: 贈与論/マルセル・モース/吉田禎吾・江川純一訳/ちくま学芸文庫/2009