マスケット銃が、歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだ。このような因果関係は、誰にも予測できなかったに違いない。同じような話は、他にも沢山ある。
錬金術が、科学を生んだ。これはユングの説である。錬金術というのは、人工的に金を作り出す非科学的な試みのことである。しかしながら、錬金術に夢中になった人々が、ビーカーだとかフラスコなど実験用の器材を発明した。そこから、本物の科学が生まれたという。
航海技術が医学を生んだ。その経緯は、フーコーが説明している。かつて、大航海時代というのがあって、西洋人はとにかく海の向こう側を目指したのである。すると、様々な地で様々な植物を発見する。そこで、植物図鑑を作った。どうせのことなら、動物図鑑も作ろうとかつての人々は考えた。植物と違って、動物には様々な機能がある。鳥は空を飛べるし、魚は泳ぐことができる。そこで人々は、機能に着目したのである。そうしてみると、人間の体にも様々な機能のあることに気付く。そしてある日、勇気のある人が、死体にメスを入れ、解剖したのだ。そこから、人間の内臓の機能に関する研究が始まった。これが近代医学の起源である。
今日現在においても、世界のどこかで誰かが、何かを発見し、何かを発明している。こうして、人間社会の科学的知見、常識、価値観(これらを総称して「エピステーメー」と呼ぶ)
は、常に変化している。
ところが人間の社会には、何年たっても、いや何千年たっても変わらないものがある。本来的に言えば、そんなものが存在するはずはないのだ。存在するはずがないのに存在しているので、それを私は「幻想」と呼ぶ。
幻想の典型例は、宗教である。それは、古代に生まれた仮説に過ぎない。そもそも、人間は死ぬと、他の動物と同じように消滅するだけなのだ。しかし、宗教はかたくなにそれを認めようとしない。一体、誰か幽霊などというものを見た人はいるのだろうか。ご先祖様などと言っても、彼らは既に死んでいるのであって、すなわち消滅しているのである。「ご先祖様の霊が」などという論議は、何の根拠も持ちはしない。
幻想にもいろいろある。共産主義はどうだろう。マルクスが生きていた時代と今日では、状況は根本的に異なる。マルクスは資本主義が成熟した国家において、革命が起こり、共産主義へ移行するに違いないと考えた。しかし、実際には開発途上国において、独裁者が共産主義を利用したに過ぎないのではないか。やはり、共産主義も幻想だと言わざるを得ない。
もっと身近なところで言えば、男尊女卑、官尊民卑、学歴偏重主義など、全て幻想だと言えよう。
変わり続けるエピステーメー。
変わることを拒否する幻想。
では、幻想は何故、かくも永く生き続けるのか。それは、権力との関係によって説明できる。権力者は既存の幻想を利用し、自らを権威づける。若しくは、自らの権力を維持、強化するために、新たな幻想を作り出すのである。典型は、中世ヨーロッパにおける王権神授説である。王様の権力は神によって授けられたものだと主張し、王様を権威づけた。また、日本の明治憲法は、国家神道なるものをでっち上げて、政治家、軍部、官僚などを権威づけた。
このように考えると、洋の東西を問わず、大衆は愚かなのであって、権力者の提示する幻想を受け入れて来たことが分かる。大衆は権力に弱い。但し、「誰が権力者であるべきなのか」という疑問を大衆が持ち続けて来たのも事実だろう。だから、権力者は自らを権威づけることに躍起になってきたのである。換言すると、権力者は、自らの権力の源泉を証明し続けなければならないという宿命を負っている。権力者の側も必死なのだ。
死に物狂いの現状維持。これは戦後日本の政治体制を指して言った白井聡氏の言葉だが、的を射ている。
そして、当然のことながら権力者は、内的な理由から、若しくは外的な要因によって、困難に直面する場合がある。すると、権力者は自らの権力を維持するために、戦争を始める。それは、国家のためではない。ましてや正義のためでもない。ただ、権力者が自らの権力を維持するために始められるのである。2001年9月11日。ニューヨークのワールド・トレード・センター・ビルなどが破壊された。その後、米国が仕掛けたアフガニスタンへの侵攻やイラク戦争において、米国には何の正義もなかった。ただ、政権を維持するために時の大統領が戦争を仕掛けたのではなかったか。「テロとの戦争」という幻想を利用して。
現在行われているウクライナ戦争も、結局はプーチンによるプーチンのための戦争だと思う。西側諸国がNATOの加盟国を拡大し、ロシアに脅威を与えたのが理由だと述べる論者もいるが、だからと言って、それが戦争を正当化する理由にはならない。
幻想が権力を生む。権力は、幻想を利用する。そして窮地に立たされた権力者が、戦争を始めるのだ。