文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

猫と語る(第2話) 出会い

 

猫を撫でたときのあの感触が忘れられなくて、私は事あるごとに海辺のコンビニへ通うようになった。西の方角から説明すると、まず、山の斜面がある。斜面の縁に沿って、道路が走っている。道路に面して、コンビニがある。コンビニの裏手、すなわち東側が駐車場になっている。駐車場の広さは、サッカー場と同じ位だ。駐車場の端に、古びた茶色のベンチがあって、そこからは東に広がる海を見渡すことができる。ベンチの数メートル先には緑色のフェンスがあって、その先は崖になっている。ベンチの位置と海面との間には50メートルほどの落差がある。

 

コンビニへ行く度に、私は猫を探した。猫はコンビニの入り口付近よりも、むしろ広大な駐車場のどこかに潜んでいることの方が多かった。追いかけると猫は逃げて行く。むしろしゃがんで、つまり猫と目線の高さを合わせて、猫が近づいてくるのを待つ方が、彼らと仲良くなれるのだった。猫たちの多くは、物欲しそうな眼で私を見た。何が欲しいのだろうと思う訳だが、答えは簡単だった。彼らはいつも空腹なのだ。何か、食べる物が欲しいに違いない。そう思って、最初、私は食べ残したパンの切れ端を与えてみたが、猫はそれを食べなかった。煮干しだったら食べるだろうか。そうも思ったのだが、私は煮干しをどこで買えば良いのか知らなかった。思いあぐねて、コンビニの棚を丁寧に確認していくと、猫の餌が置いてあることに気づいた。猫の主食であるカリカリと、おやつとしてのチュール。そして少し高価だが、カツオの切り身もあった。これは、人間が食べてもおいしそうだった。

 

早速、カリカリを購入して、足早に駐車場へと向かう。カリカリの袋をこれみよがしにかざしていると、どこからともなく猫が寄ってくる。どうすれば良いのか分からず、当初、私はカリカリを地面に直接置いてみた。猫はそれを食べたが、それでは猫に失礼だと思った。反省した私は、後日、コンビニで紙の皿を買った。これには底の浅いものと深いものとがあるが、猫が食べやすいのは底の深い方の皿である。私は、猫も人間と同じように、唇や歯で食物を挟んで食べるのだろうと思っていたが、そうではなかった。猫は舌を使って、食物を絡め取るのである。

 

猫が1匹しかいない場合、カリカリの皿は1枚で足りるが、複数の猫がいた場合、カリカリの奪い合いになる。その場合、体の大きな猫がカリカリを独占してしまう。それでは小さい方の猫が可哀そうなので、このような場合、私はカリカリをコンクリートの縁などに小分けにして置くことにした。そうすれば、何匹いても猫たちは仲良く食事を楽しむことができるのだ。

 

 

猫たちがいて、私がいて、両者を繋ぐカリカリがある。こうして、私は急速に猫たちとの距離を縮めていった。

 

当初、私は漠然と猫がいるとしか認識していなかったが、見慣れてくるとそれぞれの猫に個性のあることが分かってくる。白黒模様で、額の辺りが八の字に割れている者がいる。一般にハチワレと呼ばれるタイプで、私はその猫を「ハチ」と名付けた。2匹の子猫を連れている三毛猫もいた。私は彼女を「三毛猫母さん」と呼んだ。黒猫もいた。彼はいつも1人でいて、孤独を愛しているようだった。しっぽの付け根辺りを叩くと喜ぶ猫もいた。一般にこの行為は「腰トントン」と呼ばれるもので、その辺りには猫の神経が集中しているらしい。「おしりポンポン」と言う人もいるが、私は彼女をトントン猫の「トンちゃん」と名付けた。

 

やがて、1匹の猫が特に私になつき始めた。私を発見すると彼女は私の足にまとわりつき、体をスリスリと寄せてくる。ときには、頭を私の足にぶつけてきたりする。かわいい。私は、当時ファンだった女子プロレスラーの木村花さんにちなんで、その猫を「花ちゃん」と名づけた。

 

たまに野良猫に話しかけているおばさんを見かける。そのような女性を猫界隈では「猫おばさん」と呼ぶ。一体、何を話しているのだろうと思っていた訳だが、いつか私も花ちゃんに話しかけるようになっていた。私はもう、正真正銘の「猫おじさん」になったのである。

 

- 花ちゃんさあ、花ちゃんの尻尾ってシマシマだね。

- ニャー。

- そうだ、花ちゃん。ジャンケンして遊ぼうか。あ、でも無理だね。だって、花ちゃんはグーしか出せないからさ。

- ニャー、ニャー。

- ところで花ちゃんさあ、三味線って知ってる?

- ニャオ。

- ああ、やっぱり知らないんだ。でもさ、いいんだよ。そんなこと知らなくて。

 

 

ある日のことだった。私は、いつものように花ちゃんに語り掛けていた。

 

- 花ちゃんさあ、一昨日だったかな。酷い雨が降ったよね。そのとき、花ちゃんはどこにいたの?

- あそこの軽トラの下。

- へえ、そうなんだ。・・・えっ!

- ほら、あそこに白い軽トラがいつも停まっているでしょ。その下にいて、雨を凌いだのよ。

 

花ちゃんはそう言って、私の顔を見上げた。

 

猫と語る(第1話) 夏の終わりに

 

クルマを走らせて、いつものコンビニへ行ったのだが、そこではある物を買うことができなかった。ある物とは、かりんとうのことだ。何を隠そう、最近、私はこれにはまっている。サクサクとした歯触りがあって、その後、口の中にほんのりと広がる黒糖の甘み。これがたまらない。いわゆるビール腹になってしまった私は、ダイエットに挑戦中である。ダイエット中なのだから、甘い物は控えた方が良いのは分かっている。しかし、かりんとうのあの味が忘れられない。ネットで調べてみると、ダイエット中でも食べ過ぎなければ良いとのこと。そうだ、食べ過ぎなければ、かりんとうを食べても良いのである。

 

どうしよう。しばらく迷ったあとで、私は、別のコンビニを目指すことに決めた。

 

海岸沿いに車を走らせると、左手に漁港が見えてくる。多くの漁船が泊まっている。但し、そのほとんどは既に漁を止め、観光客相手の釣り船として使用されているらしい。かつては、呆れるほどイカがとれたのだが、最近は、めっきりとれなくなった。昨年、港の中にある市場の面積も半分に縮小されてしまった。

 

エアコンを止めて、窓を開けてみる。心地よい潮風が、頬を撫でる。

 

海水浴シーズンだと、この辺り一帯の道路は酷い渋滞に悩まされる。しかし、お盆の時期も過ぎた今は、快適なドライブを楽しむことができる。右手に神社を見て更に進むと、トンネルに差し掛かる。そこからしばらく登り坂が続く。2つ目のトンネルを過ぎると、突然視界が開け、左手に大海原が広がって見える。ここは絶景スポットと言える場所で、元旦には初日の出を見ようと、何台ものクルマが集まるのである。

 

曲がりくねった道を更に進むと、真新しいコンビニの看板が目についた。走り慣れた道だが、初めて見るコンビニだった。裏手にはだだっ広い敷地があって、その全てが駐車場になっていた。停まっているクルマは、まばらだった。

 

コンビニの中は、全てがピカピカだった。天井も床も、そして所せましと陳列されている商品の全てが、光り輝いているように見えた。私はかりんとうを2袋購入した。レジを済ませて表に出ると、少女の声が聞こえた。

 

- あっ、こんな所に猫がいる!

 

見ると、コンビニの壁の近くに猫がうずくまっている。猫の近くにしゃがみ込むと、少女はためらうことなく猫の背中を撫で始めた。

 

- ママ、この猫、連れて帰りたい!

- だめよ。誰かの飼い猫かも知れないでしょ。

- ちぇっ。つまんないの。

 

親子連れが立ち去ると、そこには猫と私だけが取り残された。私は、猫の背後に立っている。猫が私の存在に気づいているのかどうか、それは分からない。近寄ってみると、その猫は熱心に自分の手を舐めているのだった。

 

私は、ふと猫の背中を撫でてみたいと思った。先ほどの少女は、いとも簡単にそれをやってのけたのだ。私にできないはずはない。しゃがみこんで、掌を猫の背中にそっと当ててみる。何という感触だろう! 少しざらざらしていて、暖かい感じがした。肩の辺りを触ると、うっすらと猫の骨格を感じた。何よりも驚いたのは、その猫が私に撫でられていることに全く頓着のないことだった。自分よりも十倍は大きな人間という動物に触られているというのに、その猫は全くそんなことを気にすることなく、ただ、自分の手を舐めているのだ。

 

その日から、私は何となく猫に惹かれ始めたのだった。

 

そうだ、童話を書こう!

 

人生は長いようで短い、と人は言う。しかし、それは人の感じ方次第なのだ。例えば私の場合、既に充分生きてきたように感じている。好きなビールもたらふく飲んだ。音楽も聞いた。旅行にも行った。もう行きたいと思う所はほとんどない。幸か不幸か、それでもまだ生きているのである。明日、ポックリ逝けるのであれば、それでもいいと思っている。しかし、朝になると目覚めるし、特段、健康上の問題もない。

 

どうしたものだろう。そうだ、京都へ行こう。嫌、違った。そうだ、童話を書こう! そう思うのだ。

 

2年半程前になるが、このブログに野良猫の花ちゃんが登場した時期がある。その場所を私は「にゃんこ村」と命名し、気に入っていたのである。その頃から、花ちゃんを題材にした童話のイメージがふくらみ始めた。

 

あまりに馬鹿馬鹿しいので、何度も止めようと思ったが、どうもそのイメージを制御できずにいる。

 

童話と言っても、それは、ある程度の年令を重ねた人向けのものである。そして、その童話には1つの軸があって、それは私の文明論に関わるものだ。あえてジャンル分けをするとすれば、「文明論的動物ファンタジー」ということになる。

 

そもそも、そんなジャンルは存在しない。私が勝手にそう言っているだけなのである。しかし、逆の見方をすれば、これから私が書こうとしている童話は、地球上に80億人が住んでいるとしても、私以外は絶対に書こうと思わない、若しくは私以外、誰にも書くことのできない物語なのである。

 

童話のタイトルは、「猫と語る」。

 

まだ、1行も書き始めてはいないが、このブログに連載しようと思っている。これは、私にとって、ある和解の試みなのだ。

 

この童話を書くことによって、そしてそれを公開することによって、私は再び、大恥をかくことになるだろう。しかし、私は既に恥をかき通してきたし、生きるということは、大なり小なり、恥をかくものではないか。

 

近日、公開予定!

人口爆発と生存競争

 

- 上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が楽になっていなければならないはずであります。(中略)けれども実際は何(ど)うか。打明けて申せばお互いの生活ははなはだ苦しい。(中略)否開花が進めば進むほど競争がますます劇(はげ)しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。(中略)生存競争から生ずる不安や努力に至っては決して昔より楽になっていない。否昔よりかえって苦しくなっているかも知れない。-

 

上の引用は、夏目漱石の「現代日本の開花」という講演録からの抜粋である。概ね、今から100年ほど前に漱石はそう述べている。大昔の時代から、人間は工夫を重ねて生きてきた。そして日本は、文明開化の時代を迎えたのである。だから、人々の生活は昔よりも楽になっていてしかるべきだが、実際には、より苦しくなっているような気がしてならない。昔よりも生存競争が厳しくなっているのではないか。何故だろう。漱石はそう嘆いている。

 

漱石の時代と比べて、現代に生きる私たちの暮らしはどうだろう。各段に便利になったし、住環境も快適になったと思う。他方、うつ病に罹患する人や自殺してしまう人の数は、増加しているに違いない。子供食堂の数も増え続けている。

 

文明化が進むと、生存競争が厳しくなる。何故か。この問いは、ある簡単な仮説によって、説明できる。

 

前提条件として、地球が人類に対して提供できる食料の総量には限界がある。海産物については、養殖技術によってそれを増加させることができるかも知れないが、その量は0.1%にも満たないだろう。また、陸地が算出する農産物についても、限界があるに違いない。米国の研究所が、人工的に食肉を製造することに成功したらしいが、これはとても高価なもので、ステーキ1枚で数百万円とか、そのような価格帯だったように記憶している。

 

一方、地球上に暮らす人間の総数は、増加の一途を辿っている。いや、そんなに生易しいものではない。産業革命以降、爆発的に増加しているのだ。

 

人口が増加すれば、結果として、生存競争が厳しくなるのである。世界人口は、大体60億人程度だと思っていたが、それがいつの間にか70億人になり、直近で国連が発表したところによると80億人を超えたという。

 

TV番組のリンクを貼っておこう。

https://www.youtube.com/watch?v=gKqWiTQQu2s

 

一定限度の食料をより多くの人間が奪い合うのだから、その競争が激化するのは当然の帰結である。食料ばかりではない。水やエネルギー資源についても、同じことが言える。

 

生存競争は、あらゆる位相における分断を生む。先進国と途上国の戦い。先進国は途上国に対して、人口を抑制しろと言う。他方、途上国は先進国に対し、環境汚染を止めろと主張する。どちらの主張も正しいと思うが、それを実現するには痛みが伴う。

 

アフリカの途上国における出生率は、もともと子供たちが多く死ぬので、そのことを前提として多産になるのだと言う。この多産を抑制するためには、結局、子供たちの死亡率を下げるしかない。

 

生存競争の激化は、階級間の対立をも促進する。人々は不安になるので、貯蓄を増やそうとする。一部の金持ちはより多くの資産を保有し、結果として貧困層が増加する。新自由主義は、この原則を肯定している。

 

更に、生存競争の激化は、移民を生む。途上国で生きていくことが困難になった人々が、大量に先進国を目指しているのだ。米国では、メキシコとの国境を越えて、大量に移民が流入し続けている。その数は、年間100万人に達する。移民の多くは、低賃金労働に従事する。すると、元々、低賃金労働に従事していた人々の職を奪うことになり、そこでも対立が生ずるのだ。かつて、トランプが国境に壁を作ると言っていて、当時、私は笑ったものだが、背景には深刻な事情があるのだ。

 

欧州の事情は、もっと深刻だ。シリアなどから、陸地を伝って流入する難民がいる。加えて、アフリカの途上国から、小さなボートに乗った難民が大量に押し寄せているのだ。欧州の諸国は人道的な見地から、難民を受け入れようと努めてきた。何しろ、ボートが沈めば彼らを待つのは死しかない。実際、途中で沈没するボートは後を絶たない。しかし、難民の受け入れにも限度がある。例えばスウェーデンは治安の良い国だったが、今では警察でさえも立ち入ることをためらうような移民街があると言う。移民を受け入れた国は、彼らを保護するためのコストを負担せざるを得ず、他方、受け入れを拒否した場合には、眼の前でボートが沈んでいくのだ。

 

移民の多くは、移住先国家の母語を理解しない。言葉が通じなければ、法治主義自体が揺らぐ。いや、影響はもっと深刻で、大量の移民は近代が生んだ民主主義を旨とする国家の存在自体を危うくするのだ。大量の移民を前にして、国家の存在自体が問われているのかも知れない。

 

現代文明が抱える諸課題の根源には、この問題があるのではないか。

 

長生きするのも楽じゃない

 

先日、ネット上でショッキングな記事を見掛けた。それは独身男の死亡年令に関するもので、統計学上の中央値は67才だという。私は現在66才で、半年後にはその年令に達する。その記事は、結局、男の方が女よりも生命力が弱いという結論で結ばれていたが、私としてはそんなことはどうでもいいのである。重要なのはそろそろ私もそのような年令に達したということなのだ。

 

少し気になって調べてみると、男の平均寿命は81.4才で、日本人全体の平均年令は48.6才だそうだ。

 

このように統計上の数値を並べてみても、既に私が長生きをしているのか否か、一向に判然としない。但し、私は決して若くはないのであって、その意味では長生きをしている部類に入るだろう。若いかどうか、それは相対的なのであって、絶対的な基準はない。このような考え方を「相対主義」という。

 

ところで、私はラーメンが好きだ。どんなラーメンが好きかと言えば、それにはある基準となるイメージがある。例えば、もう何十年も前の話だが、飲み会の帰り道に食べた屋台のラーメン。あれは旨かった。あの時に食べたラーメン。それが理想なのだ。そのラーメンは、あっさり系のスープに細麺だった。当時、ラーメンと言えばそれが主流だった。私は、今もそのようなラーメンを探し求めている訳だが、一向に巡り合わない。どうやら、最近は「家系」と呼ばれるラーメンが主流となっており、こちらはこってりスープに太麺なのである。気がつくと、どこの店へ行ってもそんなラーメンばかりで、私の好きなラーメンは、もう日本から消えてしまったのかも知れない。

 

ラーメンと言えば、かつては必ずナルトが入っていた。最近は、これを見掛けることもなくなった。どうでもいいような話ではあるが、私はやはり、ナルトが入っていないと少し寂しい。

 

親子丼にも同じようなことが言える。最近は、「ふわトロタイプ」が流行りで、これまた私の好みとは違う。

 

どうしたことだろう。

 

寒くなると、厚手のジャケットは必需品だ。しかし、これを買うのも一苦労なのだ。普通、ジャケットなど、どの程度の頻度で買い替えるのだろう。3年に1度は買い替えるのが一般的だろうか? 私の場合は、物持ちが良いと言うか、無精と言うか、ケチと言うか、気に入ったものは長く着るのである。気がつくと、10年以上前のものを着ていたりする。すると、街中を歩いている時に、ふと気づく。周囲の人が着ているものと私が羽織っているものとが、根本的に異なるのである。

 

紳士物のコートやジャケットも、流行の変化は激しい。昔は、内側に羊毛のようなものが付いているのが主流だった。その後、トレンチコートが流行り、ダウンが登場する。当初のダウンジャケットは着ぶくれして仕方がなかったが、最近は技術が進歩して、薄手で暖かいものが出ている。

 

つまり、私としては気に入っている古いタイプのジャケットを探す訳だが、既にそんなものはどこにも売っていないのだ。従って、必然的に店員さんが勧める新しい、私としては違和感のあるジャケットを選択しなければならない。そして、それらは必ず、かつてのものより高価なのだ。ユニクロとかワークマンへ行けば安価なものを購入できるが、それらは一様にポケットの数が少ない。

 

このようにジャケットを買うという行為は、私にとっては苦痛を伴うものだが、必要に迫られて、昨日、デパートへ出かけた。すると店員さんは、安っぽいジャケットを持ってきて、私に勧めるのである。値札を見ると、とても高価だった。こんな安っぽいジャケットがこんなにするのか。そう思ったが、着てみて驚いた。軽いのだ。そして、とても暖かい。中からポカポカしてくる。10年着れば、元を取れる。私は、そう自分に言い聞かせて、その高価なジャケットを購入した。

 

こうして、私のジャケット問題は解決したが、あの頃のラーメンを食べることは、もう諦めなければならないだろう。長生きをしていると、こういう辛さがある。

 

科学と経済

 

昭和の時代に何故、経済が急成長したかと言えば、それは科学が次々に新商品を生み出したからではないか。私は昭和31年生まれだが、今から思えば、子供の頃には未だ普及していない商品が沢山あった。クルマだって少なかった。父親がスバル360を購入した時には、歓喜したものである。電話もなく、必要な連絡は近所の家の電話を借りたような記憶がある。洗濯機も出始めで、2本のローラーの間に挟み込み、手動でローラーを回して、洗濯物を絞る方式だった。

 

隔世の感がある。しかし、そんな昔を懐かしむのが本稿の趣旨ではない。実は、人々が本当に欲しがる、つまりニーズのある新商品の発明が、ほぼ、終わりつつあるのではないか、という恐ろしい話をしたいのだ。

 

私は、築30年程の決して新しいとは言えないマンションに住んでいるが、それでも快適に暮らしている。蛇口を捻ればお湯が出る。冷暖房完備で、テレビはカラーだし、洗濯機は全自動だ。もちろん、そんなことを言っても、全く自慢にすらなりはしない。それが当たり前になった時代なのだ。

 

近年の技術革新を支えてきたのは、ITである。しかしITも、スマホが普及した頃から、成熟段階に入ったのではないか。最近、ツイッター社とフェイスブックの運営会社が、大規模なリストラを発表した。何か、象徴的な出来事であるような気がする。

 

ウィンドウズのOSだって、95や98の頃にはバグがあった。しかし、それもXPが登場すると、ほぼ、解消されたように思う。調べてみると。そのXPが登場したのは2001年である。もうパソコンですら、成熟段階に入っているに違いない。

 

空飛ぶ自動車ができるという話がある。しかし、そんなものを作っても、どうせ事故を起こして地上に落ちてくるに違いない。危なくって仕方がないので、止めて欲しい。

 

誰もが欲しがるような新商品。それが発明されないということを経済の側面から言えば、新たな需要が生まれないことを意味する。

 

慢性的な需要不足。問題は、これである。

 

大企業は巨額の利益を上げていて、内部留保の総額は500兆円を超えるらしい。しかし、大企業も困っているのではないか。投資先がないのである。

 

War is not the answer ! (戦争は解決策にならない!)・・・という標語がある。私もそう思う。加えて私は、科学や経済も解決策にはならないと思うのだ。私たちはそのことを認めて、スローダウンし、既に到達した快適な暮らしを何とか守っていく方策を考えるべきではないか。

 

戦争と文明(その20) あとがき

 

1956年生まれの私は、リアルタイムで戦争を経験したことがない。それでも物心づいた頃から今日に至るまで、戦争の恐怖を叩きこまれ、戦争が引き起こす強烈な同調圧力の下で生きてきたように思う。戦争が起こるかも知れない。だから、日本人は団結しなければならないのだ。そう主張する全体主義的な圧力の下、私たちの暮らし、それ自体が抑圧されているのである。戦争を知らない世代であっても、決してそのような圧力と無縁ではいられない。

 

人間の集団は、権力を生み出す。権力は必ず破綻する。破綻の究極的な形態、それが戦争だと思う。別の見方をすると、人間の文明は、実際の戦争や、それが勃発するリスクを前提として、成り立っているのではないか。

 

ところで私たちは、文明のグランドデザインを持っているだろうか。基本構想と言っても良い。私の見方は、消極的である。それがないから、例えば日本人は、事あるごとに右往左往しているのではないか。2011年の東日本大震災とそれに続く原発事故。そこから日本人は何を反省し、何を学んだのだろう。今回の統一教会問題にしても同じだ。自民党は、反日の韓国カルト集団である統一教会を解散させることができるのだろうか。環境問題があり、貧困問題もある。日本の社会は成長するどころか、ますます、後退しているに違いない。

 

思想史の観点から考えると、まず、モダンがあった。理性中心主義とも呼ばれるモダン思想は、今から思えば、物事を真っ直ぐに見ていたように思う。その後、心理学と文化人類学が登場する。心理学は、人間の理性を相対化した。そして文化人類学は、人間の文明自体を相対化したのである。その後に出て来たのが、文明論だと思う。相対化された文明を、根源から問い直そうというのが文明論だ。文明論者としては、まず、ミシェル・フーコーを挙げることができる。文化人類学者が、無文字社会を研究するように、先入観を捨て、西洋社会それ自体を根本から問い直したのが、フーコーの仕事である。「監獄の誕生」などが、これに当たる。もう1人、遊びや戦争について研究したのが、ロジェ・カイヨワである。そして、彼らの「根本から問い直す」という態度は、ギリシャ哲学に通ずる。ちなみに、フーコーとカイヨワは、同時代を生きたフランス人である。

 

ロジェ・カイヨワ: 1913-1978

ミシェル・フーコー: 1926-1984

 

私は、このシリーズ原稿において、正義とか知性という言葉を用いた。現代においては、ほとんど死語となった言葉である。そのことは百も承知の上だ。現代は、反知性主義の時代なのである。しかし、反知性主義は、知性という言葉を正確に定義できているだろうか。反学歴主義というのであれば、それは私も賛成である。また、本当に私たちに知性は必要ないのだろうか。知性という言葉をもってしか表現しようのない、人間を人間たらしめているある力を、私たちの文明は必要としているのではないか。その力なくして、私たちは戦争を回避することができないのではないか。

 

文明のグランドデザイン。今こそ、それを構想すべき時代なのだと思う。