文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

胸の痛み(その5) 胃酸逆流日誌

 

昨年の末頃に始まった、耐えがたい胸の痛み。どうやら私が罹患しているこの病の正式名称は、食道裂孔(れっこう)ヘルニアと言うらしい。食道と胃の間には、胃酸が逆流しないように、弁のような働きをする括約筋がある。正確には下部食道括約筋と言う。この括約筋の機能が低下すると、胃酸の逆流現象が生ずる。人間の胃は胃酸に耐え得るようになっているが、食道は胃酸に耐えられず炎症や痛みを引き起こす。つまり、食道裂孔ヘルニアとは原因(括約筋の機能低下)であり、逆流性食道炎(炎症や痛み)とは結果なのだ。

 

ちょっとした胸焼け程度なら、我慢のしようもある。しかし、食道裂孔ヘルニアは、時として耐え難い痛みを引き起こす。人によっては、救急車を呼ぶ程なのである。そんな痛みが続くのであれば、日常生活にだって支障を来す。

 

どうすれば良いのか。私は、近所の内科医の診療を受けているが、その内科医は、どうすればその痛みを回避できるのか、一向に説明してくれない。ただ、胃酸の発生を抑制するタケキャブという強いクスリを処方してくれただけなのだ。仕方がないので、私は、自らネットでの勉強を始めた。驚いたことに、ネットにはそのような情報が溢れているのだった。つまり、この病気に罹患している人はとても多く、そして、この病気が古くから存在する人間にとって普遍的なものであることが分かる。

 

また、腰痛と同じで、この病気についても西洋医学的なアプローチと東洋医学的なアプローチの双方が存在する。例えば、通常のクスリの他に、漢方薬も存在する。

 

そして、私が体験したり勉強したりした範囲で言えば、西洋医学はこの病気に対する根本的な解決策を示していないように思う。例えば、括約筋の機能低下については、老化がその原因だとされる。そして、老化が原因なので、有効な対策は存在しないことなる。また、西洋医学が提示するクスリは、基本的に胃酸の分泌量を抑えることを目的としている。しかし、本当の原因は括約筋の機能低下なのであって、西洋医学はこの問題にアプローチしていない。

 

一方、東洋医学は、この病気を生活習慣病だと位置づける。そして、機能低下を起こした括約筋を再生する方策についてもアプローチしているのだ。それは食事療法であり、姿勢についての指摘であり、呼吸法(複式呼吸)についての提案である。生活習慣の改善について、YouTubeに動画をアップしている多くの人は整体師など、東洋医学のフィールドに位置づけられる方々なのだ。また、複数の専門家が提案しているのは、日記を付けなさい、ということ。すなわち、これは生活習慣病なのであって、生活習慣は千差万別なのだ。従って、どの生活習慣がリスクファクターとなっているのか、それは医師や整体師の側では理解できない。それを分析できるのは、患者本人しかいない、ということなのである。

 

この意見に賛同した私は、早速、日記を始めることにした。その名も「胃酸逆流日誌」。

 

そこへの記載事項は、食事の内容に加え、私が抱える個別のリスクファクター、すなわち、酒、煙草、コーヒーなど、そして胸の痛みが生じたのか否か、生じた場合にはその時間帯について、記載することにした。これをやってみると、なかなか面白い。2週間前はそんな甘いことを考えていたのか、とか、1杯だけであればコーヒーを飲んでも問題ないとか、そんなことが分かってくるのである。

 

因みに、この方法が功を奏したのだと思うが、昨日、胸の痛みは生じなかった。多分、西洋医学が指摘するように、私の括約筋の機能は回復しないだろう。それでも、生活習慣を見直すことによって、あの酷い胸の痛みを回避できれば、それでいい。

 

日々、様々なことを考えているが、私が特に重要だと考えていることを2点だけ記載したい。1つ目は、食後、3時間は横にならない、ということ。飲食をすると胃酸が分泌される。そして私のように括約筋の機能が低下している場合、体を横たえると胃酸が食道への逆流を引き起こすのだ。昔の人は良く「食べてすぐ横になると牛になる」と言っていたが、この言葉が注意を喚起しているのは、正に、食道裂孔ヘルニアのリスクのことなのである。

 

2つ目は、腹八分目ということ。簡単なようであって、これが中々難しい。そもそも、食欲とは人間の生存欲求の根幹をなすものだ。そして、いつでも好きなだけ食べられるという現代の事情は、人類が過去に経験をしたことがないものである。それを意図的に抑制するのが、腹八分目なのだ。適切な食事量は、年令と共に減っていく。私の印象であるが、従来思っていた量の7割位で充分なのである。

 

胸の痛み(その4) 逆流性食道炎

 

年末年始の混雑も終わっているだろうと思って、私は、1月12日に床屋へと出掛けた。午前中に行くと、それでも3人の先客がいた。私は午後に出直すことにし、近所のラーメン屋で生ビールを1杯飲み、味噌ラーメンを食べた。

 

午後になって再び床屋を訪れた訳だが、相変わらず2人の先客がいた。急ぐ用事がある訳でもなかったので、今度は待つことにした。順番が回って来て席に着くと、主人が髪のカットを始める。

 

床屋の主人・・・いつも通りで宜しいですか?

 

もう20年は通っている店だが、彼は必ず私にそう尋ねるのだった。クルマの話をしていると、すぐにカットは終了した。今度は奥さんの番で、洗髪をしてもらう。今にして思えば、これがいけなかった。洗髪の際、極端な前傾姿勢を余儀なくされるのだ。この姿勢は、胃酸の逆流を誘発しがちなのである。なんとか洗髪が終わると、今度は椅子をリクライニングさせて、髭剃りをする。作業が終わると、奥さんは椅子をリクライニングさせたまま、何か、他の作業にとりかかったようだった。私は横になっている訳だが、その時、胸の痛みがやってきた。

 

私・・・ちょっと苦しい。

 

そう呻くように呟いて、私は起き上がった。奥さんは慌てて、椅子のリクライニングを元に戻した。

 

奥さん・・・どうされましたか? どのような姿勢が一番楽ですか?

 

私 ・・・胃酸が逆流してると医者に言われてる。椅子に座っているのが一番楽です。

 

私のただならぬ様子を見て、今度は主人が話し掛けてきた。

 

床屋の主人・・・逆流性食道炎ではないですか!

 

私 ・・・私の食道は、炎症を起こしていない。この前、胃カメラを飲んだので、それは間違いないんだ。

 

床屋の主人・・・そうですか。問題がなくて良かったですね。

 

私は、複雑な思いだった。確かに、胸部レントゲン、心電図、胃カメラ、血圧などの検査を受けたが、今のところ何の問題も発見されていない。しかし、それでも私の胸は痛むのだ。原因が分からなければ、対処のしようもない。

 

会計を済ませて、私は床屋を後にした。胸の痛みが治まる気配はない。私は、どこか座れそうな場所を探した。建設会社の裏口近くだったと思う。花壇の縁のような所があったので、私はそこに腰を下ろした。情けなかった。いつやって来るか分からない胸の痛みを抱えながら、私は、これからの余生を過ごさなければいけないのか。ただ、床屋の主人が言った「逆流性食道炎」という言葉を頭の中で繰り返していた。

 

深呼吸を繰り返したが、胸の痛みが去る気配はなかった。仕方なく、私は歩き出した。その歩幅は狭く、足の動きは緩慢だった。私は、そのように歩いている自分をヨチヨチ歩きのペンギンのようだと思った。

 

自宅へ辿り着いた後、痛みは治まった。忘れないうちにと思い、私はネットで「逆流性食道炎」という言葉検索した。多くの記事がヒットした。私はそれらの記事にのめり込んでいった。中でも良心的な医師が掲載している記事に、私は、大きく頷かされたのである。そこには原因と対策が詳細に述べられており、私には思い当たることばかりだったのである。

 

近年、逆流性食道炎の患者は増加傾向にある。その理由には、日本人の食生活が欧米化していること、また、飽食、つまりは食べ過ぎも原因となっているのだ。正確な統計はないが、日本人の10人に1人、乃至は、5人に1人がこの逆流性食道炎を経験するとの説もある。

 

主な対策としては、胃壁を刺激するような飲食物を避ける、ということがある。つまり、酒、煙草、コーヒー、辛い物、脂っこい物、炭酸飲料は避けた方が良いことになる。また、食後、間を置かずに横になると胃酸の逆流が起こりやすい。最低でも2時間、できれば3時間は横にならない方が良い。また、年を取ると胃の柔軟性が失われるので、胃の中に収められる食事の量も減少する。従って、年を取るほど、腹八分を心掛けなければいけないのだ。もちろん、あの薬剤師が言っていたように、加齢によって下部食道括約筋の機能が低下するということもある。横になる場合は、体の左側を下にした方が良い。その方が胃酸の逆流が起こりづらいのだ。加えて、こまめに水分を補給する必要もある。

 

以上の知識を前提として、私の生活を考えてみよう。私の場合、近所に日帰り温泉があり、そこに週3回は通っていたのである。朝から温泉に入り、サウナにも入り、たっぷりと汗をかく。これはダイエットにも良い。入浴の前後で、体重は1キロ以上減少する。発汗の際に体内のカロリーも消費されるに違いない。私はこの方法により、1年で7キロのダイエットに成功したのである。たっぷりと汗をかいたので、喉が渇く。そこでレストランへ行き、生ビールを2~3杯飲む。ついでにハンバーグやラーメンなどで昼食を済ませ、帰宅後、すぐに寝る。

 

上に記した知識を前提とすれば、私の生活習慣の全てが間違っていたことが分かる。よし、発症のメカニズムとその対策が分かったのだから、私は、必ずこの困難を克服できるに違いない!

 

胸の痛み(その3) 初めての胃カメラ

 

その病院はホームページを開設していたので、私は胃カメラを飲む前の晩、すなわち8日の晩、それを入念にチェックした。従来、胃カメラは口からチューブを挿入していたのだが、最近は、鼻から挿入する方法が確立されているとのこと。そしてこの病院は、鼻から挿入する最新の機器を保有しているのだった。その方が患者の負担も少ないらしい。

 

前回訪れた際、私は「夜の9時以降は、一切の飲食を控えるように」との指示を受けていた。しかし、かつて私は喫煙も控えた方が良いという話を聞いたことがあった。調べてみると、喫煙した場合、問題がないにも関わらず、何らかの指摘を受ける危険性があるとのこと。私は、飲食のみならず、禁煙をも決意した。

 

病院で受付を済ませると、検尿用のカップを渡された。トイレの中に小窓があって、カップはそこから提出する仕組みになっていた。

 

名前を呼ばれて別室へ通されると、そこには前回も対応してくれた看護婦がいた。彼女は手際よく私の身長、体重、腹囲を計測した。ちなみに腹囲は88センチだった。1年以上に渡ってダイエットに取り組み、7キロの減量に成功していた私は、少し失望した。続いて彼女は採血を始めた。注射器を操作しながら、彼女は言った。

 

看護婦・・・昨晩の9時以降は、食事を控えましたか?

 

私 ・・・飲まず食わずで、おまけに禁煙までしてきたよ。

 

看護婦・・・最近は、煙草も高いでしょ?

 

彼女は笑いながら、そう言った。次は血圧の測定だった。

 

看護婦・・・128の78ですね。

 

私 ・・・それは優秀な成績だね。130を切っている訳だからさ。

 

別の看護婦がカーテンを開け、「検尿結果にも問題はありません」と言った。

 

私はひと度、待合室に戻った。次に通されたのは、また別の部屋だった。そこは胃カメラ専用の部屋だった。壁際にベッドがあり、周囲には大きな機器が整然と並んでいた。初めて見る看護師だった。ベッドに腰かけていると、彼女は私に小さめの紙コップを手渡した。

 

私 ・・・これはバリウムですか?

 

看護師・・・いいえ、これは胃を撮影しやすくするための薬です。マズイですけど、飲んでください。

 

ちょっと口を付けてみると、味はしないような感じだった。私は残りを一気に飲み干した。すると不快な味が込み上げて来るのだった。それは自然界には存在し得ない、機械的な味だと思った。

 

私 ・・・本当にマズイね、これ。

 

それから私は、彼女の指示に従って立ち上がり、3回程、お辞儀をした。その薬剤を胃に送り込むための所作だった。

 

私 ・・・ところで、何分位かかりますか?

 

看護師・・・10分位です。それはチューブを入れてから、チューブを抜くまでの時間ということですね。ところで、鼻からチューブを入れるということで宜しいですか?

 

私は承諾して、ベッドに横たわった。彼女はまず、私の右の鼻の穴にチューブを入れようとしたが、うまくいかなかった。左の穴で試してみると、それはグイグイと言うか、ムニュムニュと言うべきか、形容のし難い感触と共に、奥の方へと入っていくのだった。私はたまらず眼を閉じた。すると今度は、両方の鼻の穴に液体のようなものが噴射されるのだった。それはシュワシュワした感じだった。鼻腔を広げるための薬のようだった。

 

やがて男性の医師がやって来た。前回も私を担当してくれた医師だった。彼は二言三言看護婦と話すと、すぐに私の左の鼻にチューブを入れ始めた。チューブは留まる所を知らず、奥へ奥へと入って行く。

 

医師・・・山川さん、大丈夫ですか?

 

私 ・・・はい。

 

それは嘘だった。こんなことをされて大丈夫な人間など、いるはずがないと思った。しかし、ここでギブアップしてしまっては、今までの苦労が水疱と帰すのだ。

 

医師・・・山川さん、胃カメラは何回目ですか?

 

私 ・・・初めてです。

 

医師・・・とても初めてとは思えない程、上手ですね。

 

看護婦・・・山川さん、上手ですよ!

 

私は彼らの言葉を子供騙しだと思った。何しろ私は横たわって、動かずに、ひたすら耐えているだけなのである。気づくと、看護婦が私の背中を懸命にさすっている。

 

看護婦・・・順調ですよ。もう半分位、来ましたよ。

 

順調なのは良かったが、まだ半分なのかと思うとつらかった。どうやらチューブは私の胃に到達したようだった。すると、止めどなくゲップが出始めた。多分、胃を撮影しやすくするために、何らかの気体かクスリを注入しているに違いなかった。

 

医師・・・少しゲップを我慢してください。

 

そんなことができるのか自信はなかったが、とりあえず私は口を閉じた。するとゲップも止むのだった。

 

医師・・・上手ですね、山川さん。

 

看護婦・・・山川さん、上手、上手!

 

すると腹部の奥の方に何かがぶつかったようだった。思わず私は呻いた。ウッ、ウー。

 

看護婦・・・今、一番奥まで来ています。

 

本当に、もう勘弁して欲しいと思った。

 

看護婦・・・あとはチューブを抜くだけです。

 

やっとの思いで眼を開けると、そこにはモニター画面があって、チューブが抜けて行く様が写っているのだった。そう言えば、「もし余裕があれば、モニター画面を見てください」と看護婦が言っていたのを思い出した。しかし、私にそのような余裕は全くなかったのだ。

 

完全にチューブが抜けると、医師が言った。

 

医師・・・私が見る限り、特に問題はなさそうです。

 

思わず、私の顔には笑みが浮かんだ。特に問題は発見されなかったからということではなく、とにかくあのチューブが私の体内から去ったことが、嬉しかったのである。私は、1つの困難を克服したのだ。それがとても嬉しかった。この困難を乗り越えたのだから、今後私は、どんな困難でも乗り越えることができる。そんな自信すら湧いてきたのだった。

 

待合室でへたり込んでいると、再度名前を呼ばれ、私はまた別の部屋へ通されたのだった。そこには、女性の医師と看護婦が控えていた。机の上にはモニター画面があって、6枚の写真が映し出されていた。いうまでもなく、それは撮影したばかりの私の食道、下部食道括約筋、胃、そして十二指腸だった。

 

何故か、再度、血圧が測定された。今度は130を少し超えていた。胃カメラを飲んだ直後なので、血圧が上がるのは当然だと思った。

 

写真を示しながら、女性医師が説明を始めた。彼女は、この分野を専門としているようだった。結論から言えば、特に問題はない、とのことだった。

 

私は自宅に戻り、煙草に火を付けた。15時間ぶりの煙草だった。

胸の痛み(その2) 胃酸逆流

 

年が明けても、胸の痛みが消えることはなかった。継続的に痛むのではない。1日に1回、30分~50分程度、痛みが続く。それが過ぎてしまえば、何の支障もないのである。それは発作と呼ぶに相応しい現象だった。

 

元来、私は医者嫌い、病院嫌いなのである。理由はいくつかある。1つには、医療システムに対する不信感がある。病院へ行けば、薬を投与される。それが本当に必要なものであれば、私にも異議はない。しかし、病院は製薬会社とグルになっていて、薬の売り上げを伸ばすために、本来は不要であるはずの薬まで投与しているのではないか。例えば、血圧の上限は130だと言われているが、本当だろうか? はなはだ疑問である。しかし、この数値を上回れば、血圧降下剤を飲まされることになる。そして、ひと度それを飲み始めると、止める訳にはいかないという話を聞いたことがある。私が病院を嫌う2つ目の理由は、あの雰囲気にある。消毒液の臭いや、患者たちが醸し出す憂鬱な雰囲気。これが嫌なのだ。3つ目の理由としては、現役時代に産業医から言われた強烈な一言である。その産業医は、ヘビースモーカーである私にこう言ったのだ。「永年、煙草を吸い続けているあなたの肺の下の方は、既に腐っている。何故なら、重力によってニコチンは肺の下の方に溜まるからだ」。いくら産業医だからと言って、そこまで酷いことを言う権利はないのではないか。

 

このような理由から、私はかれこれ10年に渡って、健康診断を受けたことがない。

 

しかし、どうしよう。病院へ行かず、このまま胸の痛みに耐え続けるか、信念を曲げて病院へ行くか。それが問題だった。熟考の末、私は病院へ行くことに決めた。

 

正月休みが明けた1月5日、私は近所の内科医院を訪れた。入口のドアには張り紙があって、「発熱、咳、痰など風邪の症状がある方は、インターホンでお話しください」と記されていた。私は、咳と痰の症状があったので、インターホンのボタンを押した。そこで、症状や経緯を説明し、その上、健康保険証の情報を細部に至るまで説明したのである。相手方の女性は、30分後にクルマで再度訪問するよう私に指示をした。クルマは持っていないと言うと「それでは暖かい服装でおいでください」と彼女は言った。

 

つまり私は、コロナ感染を疑われたのである。私はコロナに感染しているのだろうか? 私の胸の痛みの原因は、コロナなのだろうか? 私は混乱した。

 

30分後に再び、病院のインターホンを鳴らした。入室を許可され、私は、個室の待合室に通された。間もなく別の扉が開き、私は、診察室へと通された。

医師・・・どうされましたか。

 

私は、概略を説明した。医師の落ち着き払った様子に、少し腹が立った。こちらは大変な問題を抱えて、訪問しているのだ。落ち着いている場合ではないのである。しかし、私より重篤な患者も数多くいるだろうから、医師にしてみれば、いちいち右往左往する訳にもいかないのかも知れなかった。

 

医師・・・あなたが説明されたストーリーからすると、1つの仮説が成立します。すなわち、激しい咳が出て、あなたの肋骨にヒビが入っている可能性がある。

 

彼はそう言って、私の胸を軽く押した。しかし、私は全く痛みを感じない。これは困った。原因が分からなければ、治療もできない。そこで、私は検討違いかも知れないとは思いつつ、次のように言ってみた。

 

私 ・・・どのように痛むかと言うと、それはゲップが出そうで出ないときに感じる痛みに似ているんです。実際、症状が出たときに私は、コーラを飲むようにしています。すると強制的にゲップが出て、少し痛みが和らぐ感じがします。

 

医師・・・そうですか。それでは、胃酸が逆流している可能性がありますね。とりあえず今日は、胃酸の発生を抑える薬を処方しておきましょう。

 

胃酸が逆流することによって、胸が痛くなるのかどうか、私には皆目見当がつかなかった。医師は、矢継ぎ早に続けた。

 

医師・・・今日は、レントゲンと心電図を取りましょう。それから、この際、市が運営している健康診断を受けるということで宜しいですか。それであれば、無料で胃カメラを受診することができるのですが・・・。

 

市が健康診断を運営していることは、百も承知だった。頼みもしないのに、毎年、通知が来るのだ。これはほぼ、フルスペックの検診なのである。しかし、胃酸の逆流ということであれば、胸の痛みの原因が胃の不調にある可能性は否定できない。私はしぶしぶ承諾したのだった。えーい、毒を食らわば皿までだ! もう引き返す訳には行かない。覚悟を決めよう。私は自分にそう、言い聞かせた。

 

私は別室に連れて行かれ、胸部レントゲンの撮影と心電図の計測を受けた。服装を整えていると先ほどの医師がやってきて、肺にも心臓にも問題はない、と言った。私の肺は、まだ腐っていなかったのである!

 

私は9日に胃のレントゲン検査の予約を入れ、クスリの処方箋をもらって、病院を出た。すぐ隣が、薬局になっている。薬剤師が私に話し掛けてきた。先ほどの医師は、とても忙しそうだったが、こちらの薬剤師は暇そうである。私は彼に、症状の概略を説明した。

 

薬剤師・・・それはやはり、胃酸の逆流でしょうね。実は、最近増えているんですよ。丁度胸の中央あたりに下部食道括約筋というのがありまして、通常はこれが胃酸の逆流を抑える働きをしています。しかし、何らかの理由でその機能が低下すると、胃酸が逆流して食道にまで侵入する訳です。

 

私・・・胃酸が逆流すると胸が痛むのですか?

 

薬剤師・・・はい、痛みます。

 

彼は、自身あり気にそう言ったのだった。

 

私・・・その機能が低下するという原因は何でしょうか?

 

薬剤師・・・失礼かも知れませんが、多くの場合、理由は加齢なんです。

 

私は、大きく頷いた。

 

私が処方されたのは、タケキャブというクスリだった。これを飲んだ結果、5日と6日には胸の痛みは解消されたのである。しかし、7日には再発した。そして、9日に予定された胃カメラのことを思うと、私は憂鬱で仕方がなかったのである。

 

胸の痛み (その1) 突然の発症

 

実は私、昨年の暮れ頃から、とても酷い目にあっているのだ。クリスマスの晩のことだった。イブではなくて、25日の晩だったと記憶している。突然、胸が痛み出したのである。胸の中心部が形容のしがたい痛みに襲われたのである。どれ位痛かったかと言うと、それはもう生きているのが嫌になる程なのである。激しい咳が出て、白い泡状の唾液のようなものを吐き出す。全身から力が抜け、身動きさえ取れない。その痛みは小一時間程続き、やがて収まった。痛みが去ってみると、身体に特段の異常は残らず、通常の状態に戻った。

 

痛みの原因について考えてみた。私は永年に渡るヘビースモーカーだし、痛みの箇所が胸だったので、私はまず呼吸器系の疾患を疑った。慢性気管支炎、肺気腫、そして肺がんなどの言葉が浮かんだ。肺がんだったら、それで死ぬかも知れない。死ぬこと自体に恐怖心は湧いてこなかったが、それにしても悔しいのがスイフト・スポーツのことだった。この車は一般に略してスイスポと呼ばれている。11月の初めに発注して、2024年の2月には引き渡される予定なのだ。既に代金も払い込んでいる。スイスポに乗ることなくしてこの世を去るのは、忍びないのである。胸の激痛に耐えながら、私は、そんなことを考えていた。

 

痛みは翌日にもやってきた。私は近所のドラッグストアへ行き、咳と痰を抑制するクスリを購入した。これを飲むと、若干、症状が緩和されるような気がした。

 

そして、煙草の本数を減らそうとも思った。私が居住しているマンションには、北側に面した納戸のような部屋がある。普段は物置代わりにしているが、この部屋を喫煙室として、他の部屋では一切煙草を吸わないことに決めた。私の場合、特にパソコンに向かっている際、無意識のうちに煙草に火を付けてしまうので、それを避けるのが目的だった。わざわざ喫煙室へ行くというステップを設けることで、この無意識の喫煙を防止するのである。

 

それまで私は日に50~60本の煙草を吸ってきたが、上記の方法によって、これを20本以下にまで減らすことに成功した。結局、煙草とは精神的に依存しているので、なかなか止められないのだ。今吸わなければ、後で吸えなくなる。現役時代は、特に飛行機に乗る前、長い会議の前など、そのような脅迫観念に捕らわれ、急いで煙草を吸ったものだ。しかし、引退した今日において、私はそのような観念から解放されるべきなのだ。今吸わなくても、後でゆっくり吸える。そう思うことにした。また、喫煙室に向かう際には、こうも思うようにしている。あと30分だけ、我慢できないか? 

 

こうして私の喫煙本数は激減した訳だが、それでも胸の痛みが止むことはなかった。

 

無為の人

 

どうやら私は、ウクライナ戦争が始まってから、憂鬱な気分に覆われているのだ。そして、イスラエルによるパレスチナへの侵攻が続いた。これはもう、ジェノサイドと言う他はない。パレスチナの人々は狭いガザ地区に閉じ込められていて、そこへイスラエルから容赦のない攻撃が加えられている。パレスチナの人々に逃げ場はない。21世紀の今日において、何故、こんな残酷なことが起こるのか?

 

日々の情報に接する都度、私は憤懣やるかたない気分に陥るのだが、同時に、圧倒的に無力な自分と向き合わざるを得ない訳だ。どうすればいいのだろう。多分、このような状況に明確に答えを提示できる思想は、存在しないのだと思う。

 

そんな鬱々とした日々の中で、ふと、「無為の人」という言葉が浮かんだ。これは、為になることが無い人、という意味である。私は誰かの為になることがない、社会の為にもならない。そういう人間として、余生を全うする他ないのではないか。但し、この言葉は私のオリジナルではなく、随分前に読んだつげ義春氏の漫画のタイトルにあったような気がした。

 

本棚を探索すると、2冊の文庫本が出て来た。

 

 

マンガのタイトルには、「無能の人」とあった。しかし、私にはやはり「無為の人」の方がしっくり来る。また、「無為の人」と言うと、フーテンの寅さんを思い出す。寅さんの場合は、そうは言っても様々な人々に救いを提供してはいたのだが・・・。

 

そんなことを考えていると、アナーキズムに関するYouTubeの動画に巡り合った。どうやら最近では、文化人類学を基礎としてアナーキズムに向かおうとする人々がいるようだ。話は、そう複雑ではない。簡単に言えば、文化人類学とは無文字社会の人々の暮らしを研究する学問である。例えば私は、アイヌの文化をこよなく愛している。するとアイヌ文化と現代文明を比較することになる。当然の帰結である。そして私は、アイヌ文化においては、現代文明が抱える醜悪な権力というものが存在しなかったのだろうと思っている訳だ。そうしてみると、現代文明よりもアイヌ文化の方が優れているのではないか、という発想が生まれる。そのように考える人は、少なくない。そして、現代文明においては権力が秩序を生み出している訳で、それでは秩序自体を否定できないだろうか、ということになる。この秩序に対するアンチテーゼの試みが、すなわちアナーキズムということになる。

 

参考となる動画のリンクを貼っておこう。ここに紹介する栗原氏が文化人類学のバックボーンを持っているのか否か、それは不明だし、同氏の意見に私が100%賛成かと言うと、そうではない。例えば、同氏は動画の中でホッブズやロックの思想は強い個人をベースにしていると述べているが、私の意見は異なる。しかし、ボサボサ頭の栗原氏が缶ビールを片手に語る様には、好感が持てるのである。

 

生の負債からの解放/栗原康

https://www.youtube.com/watch?v=KEbfNTbxv5U

 

私はまだ、アナーキズムについて語れる程、勉強していない。しかし、つげ義春、フーテンの寅さん、アナーキスト、そして「無為の人」には、どこか共通点があるのではないかと直観しているのだ。

 

余談になるが、私は、小さくて派手な国産車を発注した。色はブルー。納車は、来年の2月になる。私はその車で、温泉巡りをしようと思っている。

 

 

虚脱感と共に過ごす日々

 

大分涼しくなってきたが、一向に意欲というものが湧いて来ない。ということは、私の“ヤル気”が消失した原因は、夏バテではなかったのである。前回、原稿をアップしてから、早くも1か月が経過してしまった。私の精神状態が危機に瀕しているのかという問題は別にして、少なくともこのブログが存亡の危機にあることだけは確かだろう。

 

このブログを始めたのは2016年だから、かれこれ7年も続けてきたことになるが、前回の原稿「構造と自由」において、私の思想は、一応完成したのである。文化人類学から出発して、ユング、パース、フーコーなどの思想を経由し、オリジナリティー溢れる文明論に至ったのだ。それが、このブログの経緯である。当初、私は何も知らなかった訳だが、現在の私は、多くの疑問に答えることができる。

 

文明の起源は、原始宗教にある。原始宗教の構成要素は、呪術、祭祀、神話の3つである。やがて人々は文字を発明し、文字による幻想を生み出した。それが宗教だ。従って、宗教の本質は幻想にある。やがて、宗教から個々の要素が分岐し、近代芸術が生まれた。その経緯の典型は、ルネッサンスに見ることができる。私たちが今日、芸術として認識しているのは、主にこの近代芸術だと言っていい。

 

但し、今日の文明を形作っているもう1つの流れがある。人々は、呪術や経験の蓄積を経て、科学を生み出したのである。科学は様々な商品と共に、武器を開発し続けている。武器の歴史は、単純な刀や弓から始まり、やがてマスケット銃が発明される。それが大砲となり、原爆につながる。科学が生み出した兵器は、権力を強化し、増長してきた。科学は、今日のグローバリズムの基礎をなしているに違いない。やがて権力は、自らの保身、延命を図るために、幻想を生み出す。例えば、原発安全神話など。このように科学を基礎とする権力もまた、幻想に依存している。権力者は自らの権力を維持する目的で、往々にして、戦争を始める。幻想に依存しているという点において、宗教と科学は同質なのである。

 

私たちが見ている何か、信じている何か、それは真理とは程遠い幻想なのかも知れない。そう疑ってみることが必要なのだ。そう考えるのが哲学で、それは古代のギリシャ哲学から、ポストモダンミシェル・フーコーにまで一貫した主張なのだと思う。私は、この立場を支持している。

 

そして、上に記したような文明の構造を明らかにしようと試みたのが、先の原稿「構造と自由」なのだ。よくぞここまで来たものだ。私は、私を誉めてあげたいと思う。

 

人が何らかの原稿を書く動機は、疑問である。分からないことがあるから、それを何とか明らかにしよう、考えを整理しようと思って、人は原稿を書くのだ。そうだとすると、私には疑問というものがなくなってしまったのかも知れない。若しくは、疑問を設定する意欲が失われてしまったのかも知れない。

 

本当にそうだろうか? 私に残された最後の問いというものが残っているのではないか?

 

それはつまり、人間は幻想を脱することができるのか、という問いである。

 

この問いに対しては、3つの回答が考えられる。1つ目は、幻想を脱することができる、というもの。しかし、そう答えるのであれば、その方法を提示すべきだと思うが、私にその能力はない。イスラエル戦争さえ、始まってしまった。それが現実である。

 

2つ目の回答案としては、人間は幻想から脱することができない、というものである。そう言ってしまうと、絶望しかないことになる。仮にこの案を採用した場合、哲学の歴史自体が無意味なものとなってしまうし、私がこの7年の間、考え続けてきたことにも意味はないことになる。

 

3つ目の案としては、人間が幻想から脱することは困難だが、永遠にその努力を続けるべきだ、とするもの。先の原稿「構造と自由」の結末において、私はこの案を採用したし、実は、日本国憲法の第12条にも、同様の記載がある。

 

12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

 

憲法に「永遠」という記載はないが、文脈から察するに、日本国民には永遠に努力することが要求されているに違いない。しかし、そんなことが可能なのか、私はその答えを持ち合わせていない。

 

私は、何とかこのブログを継続したいと思っているが、このような状況にあり、思いあぐねているのである。そして、虚脱感と共に無為な日々を過ごしているのだ。