文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

胸の痛み(その3) 初めての胃カメラ

 

その病院はホームページを開設していたので、私は胃カメラを飲む前の晩、すなわち8日の晩、それを入念にチェックした。従来、胃カメラは口からチューブを挿入していたのだが、最近は、鼻から挿入する方法が確立されているとのこと。そしてこの病院は、鼻から挿入する最新の機器を保有しているのだった。その方が患者の負担も少ないらしい。

 

前回訪れた際、私は「夜の9時以降は、一切の飲食を控えるように」との指示を受けていた。しかし、かつて私は喫煙も控えた方が良いという話を聞いたことがあった。調べてみると、喫煙した場合、問題がないにも関わらず、何らかの指摘を受ける危険性があるとのこと。私は、飲食のみならず、禁煙をも決意した。

 

病院で受付を済ませると、検尿用のカップを渡された。トイレの中に小窓があって、カップはそこから提出する仕組みになっていた。

 

名前を呼ばれて別室へ通されると、そこには前回も対応してくれた看護婦がいた。彼女は手際よく私の身長、体重、腹囲を計測した。ちなみに腹囲は88センチだった。1年以上に渡ってダイエットに取り組み、7キロの減量に成功していた私は、少し失望した。続いて彼女は採血を始めた。注射器を操作しながら、彼女は言った。

 

看護婦・・・昨晩の9時以降は、食事を控えましたか?

 

私 ・・・飲まず食わずで、おまけに禁煙までしてきたよ。

 

看護婦・・・最近は、煙草も高いでしょ?

 

彼女は笑いながら、そう言った。次は血圧の測定だった。

 

看護婦・・・128の78ですね。

 

私 ・・・それは優秀な成績だね。130を切っている訳だからさ。

 

別の看護婦がカーテンを開け、「検尿結果にも問題はありません」と言った。

 

私はひと度、待合室に戻った。次に通されたのは、また別の部屋だった。そこは胃カメラ専用の部屋だった。壁際にベッドがあり、周囲には大きな機器が整然と並んでいた。初めて見る看護師だった。ベッドに腰かけていると、彼女は私に小さめの紙コップを手渡した。

 

私 ・・・これはバリウムですか?

 

看護師・・・いいえ、これは胃を撮影しやすくするための薬です。マズイですけど、飲んでください。

 

ちょっと口を付けてみると、味はしないような感じだった。私は残りを一気に飲み干した。すると不快な味が込み上げて来るのだった。それは自然界には存在し得ない、機械的な味だと思った。

 

私 ・・・本当にマズイね、これ。

 

それから私は、彼女の指示に従って立ち上がり、3回程、お辞儀をした。その薬剤を胃に送り込むための所作だった。

 

私 ・・・ところで、何分位かかりますか?

 

看護師・・・10分位です。それはチューブを入れてから、チューブを抜くまでの時間ということですね。ところで、鼻からチューブを入れるということで宜しいですか?

 

私は承諾して、ベッドに横たわった。彼女はまず、私の右の鼻の穴にチューブを入れようとしたが、うまくいかなかった。左の穴で試してみると、それはグイグイと言うか、ムニュムニュと言うべきか、形容のし難い感触と共に、奥の方へと入っていくのだった。私はたまらず眼を閉じた。すると今度は、両方の鼻の穴に液体のようなものが噴射されるのだった。それはシュワシュワした感じだった。鼻腔を広げるための薬のようだった。

 

やがて男性の医師がやって来た。前回も私を担当してくれた医師だった。彼は二言三言看護婦と話すと、すぐに私の左の鼻にチューブを入れ始めた。チューブは留まる所を知らず、奥へ奥へと入って行く。

 

医師・・・山川さん、大丈夫ですか?

 

私 ・・・はい。

 

それは嘘だった。こんなことをされて大丈夫な人間など、いるはずがないと思った。しかし、ここでギブアップしてしまっては、今までの苦労が水疱と帰すのだ。

 

医師・・・山川さん、胃カメラは何回目ですか?

 

私 ・・・初めてです。

 

医師・・・とても初めてとは思えない程、上手ですね。

 

看護婦・・・山川さん、上手ですよ!

 

私は彼らの言葉を子供騙しだと思った。何しろ私は横たわって、動かずに、ひたすら耐えているだけなのである。気づくと、看護婦が私の背中を懸命にさすっている。

 

看護婦・・・順調ですよ。もう半分位、来ましたよ。

 

順調なのは良かったが、まだ半分なのかと思うとつらかった。どうやらチューブは私の胃に到達したようだった。すると、止めどなくゲップが出始めた。多分、胃を撮影しやすくするために、何らかの気体かクスリを注入しているに違いなかった。

 

医師・・・少しゲップを我慢してください。

 

そんなことができるのか自信はなかったが、とりあえず私は口を閉じた。するとゲップも止むのだった。

 

医師・・・上手ですね、山川さん。

 

看護婦・・・山川さん、上手、上手!

 

すると腹部の奥の方に何かがぶつかったようだった。思わず私は呻いた。ウッ、ウー。

 

看護婦・・・今、一番奥まで来ています。

 

本当に、もう勘弁して欲しいと思った。

 

看護婦・・・あとはチューブを抜くだけです。

 

やっとの思いで眼を開けると、そこにはモニター画面があって、チューブが抜けて行く様が写っているのだった。そう言えば、「もし余裕があれば、モニター画面を見てください」と看護婦が言っていたのを思い出した。しかし、私にそのような余裕は全くなかったのだ。

 

完全にチューブが抜けると、医師が言った。

 

医師・・・私が見る限り、特に問題はなさそうです。

 

思わず、私の顔には笑みが浮かんだ。特に問題は発見されなかったからということではなく、とにかくあのチューブが私の体内から去ったことが、嬉しかったのである。私は、1つの困難を克服したのだ。それがとても嬉しかった。この困難を乗り越えたのだから、今後私は、どんな困難でも乗り越えることができる。そんな自信すら湧いてきたのだった。

 

待合室でへたり込んでいると、再度名前を呼ばれ、私はまた別の部屋へ通されたのだった。そこには、女性の医師と看護婦が控えていた。机の上にはモニター画面があって、6枚の写真が映し出されていた。いうまでもなく、それは撮影したばかりの私の食道、下部食道括約筋、胃、そして十二指腸だった。

 

何故か、再度、血圧が測定された。今度は130を少し超えていた。胃カメラを飲んだ直後なので、血圧が上がるのは当然だと思った。

 

写真を示しながら、女性医師が説明を始めた。彼女は、この分野を専門としているようだった。結論から言えば、特に問題はない、とのことだった。

 

私は自宅に戻り、煙草に火を付けた。15時間ぶりの煙草だった。