文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

胸の痛み (その1) 突然の発症

 

実は私、昨年の暮れ頃から、とても酷い目にあっているのだ。クリスマスの晩のことだった。イブではなくて、25日の晩だったと記憶している。突然、胸が痛み出したのである。胸の中心部が形容のしがたい痛みに襲われたのである。どれ位痛かったかと言うと、それはもう生きているのが嫌になる程なのである。激しい咳が出て、白い泡状の唾液のようなものを吐き出す。全身から力が抜け、身動きさえ取れない。その痛みは小一時間程続き、やがて収まった。痛みが去ってみると、身体に特段の異常は残らず、通常の状態に戻った。

 

痛みの原因について考えてみた。私は永年に渡るヘビースモーカーだし、痛みの箇所が胸だったので、私はまず呼吸器系の疾患を疑った。慢性気管支炎、肺気腫、そして肺がんなどの言葉が浮かんだ。肺がんだったら、それで死ぬかも知れない。死ぬこと自体に恐怖心は湧いてこなかったが、それにしても悔しいのがスイフト・スポーツのことだった。この車は一般に略してスイスポと呼ばれている。11月の初めに発注して、2024年の2月には引き渡される予定なのだ。既に代金も払い込んでいる。スイスポに乗ることなくしてこの世を去るのは、忍びないのである。胸の激痛に耐えながら、私は、そんなことを考えていた。

 

痛みは翌日にもやってきた。私は近所のドラッグストアへ行き、咳と痰を抑制するクスリを購入した。これを飲むと、若干、症状が緩和されるような気がした。

 

そして、煙草の本数を減らそうとも思った。私が居住しているマンションには、北側に面した納戸のような部屋がある。普段は物置代わりにしているが、この部屋を喫煙室として、他の部屋では一切煙草を吸わないことに決めた。私の場合、特にパソコンに向かっている際、無意識のうちに煙草に火を付けてしまうので、それを避けるのが目的だった。わざわざ喫煙室へ行くというステップを設けることで、この無意識の喫煙を防止するのである。

 

それまで私は日に50~60本の煙草を吸ってきたが、上記の方法によって、これを20本以下にまで減らすことに成功した。結局、煙草とは精神的に依存しているので、なかなか止められないのだ。今吸わなければ、後で吸えなくなる。現役時代は、特に飛行機に乗る前、長い会議の前など、そのような脅迫観念に捕らわれ、急いで煙草を吸ったものだ。しかし、引退した今日において、私はそのような観念から解放されるべきなのだ。今吸わなくても、後でゆっくり吸える。そう思うことにした。また、喫煙室に向かう際には、こうも思うようにしている。あと30分だけ、我慢できないか? 

 

こうして私の喫煙本数は激減した訳だが、それでも胸の痛みが止むことはなかった。