文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

”れいわ”の時代の国家主義

昨日は、山本太郎事務所が主催する「財務省の前で愛を叫ぶ(肉球)」という集会があり、YouTubeで拝見致しました。最初は手作り感満載で、どうなることかと思ったのですが、次々に登壇される参加者の方々のスピーチは、とても興味深いものでした。老若男女、様々な方々が登壇(トラックの荷台)され、それぞれの思いを語る。緊張のあまり足が震え、声が上ずってしまう人もいましたが、それでも皆、勇気を奮って、自分の思いや決して楽ではなかったそれぞれの人生について、語られました。

 

集会のネーミングもさることながら、集会のあり方自体が新しい。政治の世界では決してスポットライトの当たることがなかった普通の人々が、突然マイクを握って、何かを主張する。そして、その模様がリアルタイムで全国に流れる。私などは、手を挙げる人がいないのではないか、と心配していましたが、最初から最後まで、発言を求める人が途切れることはありませんでした。日本人はカラオケによって、マイクを持つことに抵抗感がなくなってきたのか、日頃から発言する機会に恵まれないのか、それとも司会の太郎さんのパーソナリティがそうさせたのか。

 

また、皆様は「私立Z学園の憂鬱」というマンガをご存知でしょうか。「消費増税反対botちゃん(ほぼ中の人)」という方が作成されたものですが、ネット上で公開されています。これはお勧めです。是非、お時間のある時にご覧になってください。アフレコ付きの動画も公開されています。気軽に楽しめて、日本の権力構造について理解できるという優れものです。作者がどのような方なのか分かりませんが、本当によく調べている。推測ですが、この方、無報酬で制作されているのではないか。

 

では、本題に入りましょう。MMTを含めて、もう少し広い範囲で国家の経済を考えてみました。そこで、アベノミクスや、その他の主張の特徴を考えてみたいと思います。シンプル志向の私としては、再び、簡単な図を作ってみました。

 

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まず、アベノミクスから。これは銀行が保有する国債を日銀が購入する。買いオペと呼ばれる施策です。日銀が国債を購入するということは、資金は反対に日銀から銀行へ流れることになります。そこで、銀行が“国民経済”と記した領域、すなわち個人や企業に資金を貸し出せば、経済が循環して良い結果を生む。ところがいくら買いオペを実行しても、銀行から“国民経済”に資金は流れなかった。何故かと言うと、個人消費が伸びず、企業は先行きへの懸念から設備投資を渋っているからです。結局、買いオペによって銀行へ流出した資金が、死に金となっている。但し、ダブついた日本円は円安を生み、一部の輸出大企業に利益をもたらした。これが、日銀が行った金融政策だった。

 

次に、政府と“国民経済”の関係を見てみましょう。かねてより、企業が支払うべき法人税は減税を繰り返し、反面、消費税率は上昇の一途を辿っている。すると、企業の供給力は過剰となりますが、肝心な個人の購買力は下がる一方です。働き方改革だか何だか知りませんが、労働者の約4割は非正規雇用となり、また、実質賃金も低下している。そんなことで、個人消費が伸びるはずがありません。供給力が過剰なので、当然、物の値段も上がらない。だからデフレなんですね。それがもう、20年以上も続いている。これが民主党政権の時代から現在の安倍政権までが行ってきた財政政策だと思います。その意味では、旧民主党と現在の自民党とは、同罪ではないでしょうか。

 

次に、MMTを支持する立場の人は、何を主張しているのか。まず、政府と日銀の関係ですが、買いオペなどを実施した結果、政府に対する最終的な債権者は日銀となる訳ですが、この債務(借金)は返済する必要がない。仮に、帳簿上数字が残っているのが気になるというのであれば、政府紙幣を発行して、借金を返済してしまえば良い。(大西つねき氏などが、そう主張している。)また、日銀が買いオペを実施する、すなわち金融緩和を実施することに問題はない。しかし、政府の財政政策(税金と財政支出)が問題だ。そもそも、“国民経済”(個人と企業)が保有する通貨の総量、すなわちマネーストックを管理することが大切だ。マネーストックが不足すればデフレとなり、反対に過剰になればインフレとなる。従って、インフレターゲット(現在、日銀は2%にしていますが、4%位までは大丈夫だという説もある)に達するまでは、マネーストックを増やすべきだ。そのためには、減税と共に財政支出を増やす必要がある。“消費増税などとんでもない”ということになります。

 

但し、MMTを支持する立場でも、右派と左派とでは、財政支出の考え方が異なるようです。まず右派ですが、自民党西田昌司議員は、新幹線を作れと言っている。また、藤井聡氏は国土強靭化計画を提唱した。私は、これらの立場に疑問を持っています。それでは、ゼネコンが儲かり、昔の利権政治に逆戻りではないかと思うのです。

 

一方、左派でMMTを支持している太郎さんは、消費税を廃止すると共に、現在困窮している人々を救済せよ、と言っている。例えば、奨学金の返済に困っている若者たちがいるので、その返済はチャラにせよ、と言っている。この点、私なりに少し考えてみました。多分、永年に渡り苦労を重ねて、奨学金を完済したばかり、という人もおられるでしょう。そういう人たちにしてみれば、自分は恩恵を受けることができない訳で、こういう施策には反対されるかも知れません。しかし私は、こういう風に考えてみる。例えば、大きな船に沢山の人が乗っている。その船は沈没しそうだ。そこへ小さな救命ボートが駆け付ける。一度に全ての人を救うことはできない。では、誰をも救ってはいけないか。そうではないと思います。一度に救える人数は、例えば5人位かも知れません。しかし5人ずつでも、何度でも往復しながら、乗員を救出すべきだと思うのです。

 

ところで、上に示した図を見ておりますと、良くできた仕組みだなあと思いませんか? MMTに従い、政府の財政政策と日銀の金融政策を組み合わせて、“国民経済”におけるマネーストックの量を管理する。そして、健全な経済発展を遂げていく。これが本来、国が行うべき経済政策だと思います。それが、“れいわ”の時代の国家主義というものではないでしょうか。ここで私が“国家主義”という言葉を用いる理由は2つあって、1つには反グローバリズムという意味です。2つ目としては、さりはさりとて中間集団のレベルまでブレイクダウンしてしまっては、元も子もない。それは反対だ。すなわち、中間集団よりも大きく、グローバルよりは小さい、国家という規模の集団を中心に物事を進めていくべきだ、という意味です。

 

しかし、現実はそうなっていない。誰が悪いのか。この点は、前述の「私立Z学園の憂鬱」において、詳細に説明されている。ケイ団連も悪い。しかし、それは単なる中間集団に過ぎない。この問題の背後には、もっと大きな力が働いているに違いない。

 

「私立Z学園の憂鬱」にも出て来ますが、財務省にたてつくと、まず、国税庁の税務調査が入る。これは、財務省の外局に国税庁が位置付けられているからで、国税庁財務省から分離すべきだ、という意見がある。そこまでは、私も理解できます。しかし、財務省側からの反撃は、それにとどまらない。不倫や援助交際などのスキャンダルが出て来るらしい。こういうスキャンダルを暴露するには、尾行するプロの関与が欠かせないのではないか。それは、国税庁の仕事ではないと思います。日本のお役所の中には、そういうことを専門にやる組織が別にある。

 

財務省にしても、そこに働く日本人が、省益のためだけに永年に渡って国民を騙し続けるなんてことがあるでしょうか。この点も私は、はなはだ疑問に思います。やはり、そこにはアメリカからの圧力が存在すると考えた方が自然ではないでしょうか。

 

消費税の問題は、単に税率を8%から10%に上げるかどうかという問題にとどまらず、掘り下げて行くと、安倍政権のみならず、過去の民主党政権の責任問題が浮上する。更に掘り下げると、日本の対米従属という問題に行き当たるのではないか。

 

仮に安倍政権が増税を見送り、8%に据え置くという判断を下した場合、民主党政権の流れを汲む立憲民主党と国民民主党は、そこで矛を収めるに違いない。一方、減税又は廃止を訴えているれいわ新選組は、追及を継続することになる。太郎さん、パンドラの箱に手を掛けてしまったのでしょうか?

 

そして昨日、新党「オリーブの木」の設立記者会見が開催されたのです。これがまたとてもユニークな政党で、簡単に言うと「もう、右も左も関係ないんだ!」というもので、その政策の1番目に「対米自立」を掲げている。私の知る限り、過去にこんな政党はなかった。いずれに致しましても、今、とても大切なことが進行しているのではないか。