文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その24) 認識論とは何か

どうやら、このブログのバージョンアップに成功したようです。次の独自ドメインを取得できました。

 

www.bunkaninsiki.com

 

悪くない。一人、ほくそ笑んでいた訳ですが、見た目は何も変わらない。自分で設定しないと、何も変わらないのです。そこで、古いデジカメを取り出し、とりあえずはタイトル文字の背景となる写真を取り込んでみました。不器用な私としては、上出来だと思います。何とか、ブログらしくなってきました。

 

設定すべき項目はいくつか残っていますが、おいおいやっていくつもりです。

 

さて、本題に入りましょう。このブログタイトルの「文化認識論」というのは、私の造語ですが、「認識論」というのは、哲学や思想を構成する重要な用語です。今回は、その意味について考えてみることにします。

 

認識論の歴史というのはとても古く、古代ギリシャ哲学にまで遡ります。紀元前500年頃のアテネには、ソフィストと呼ばれる人たちがいて、こんな論議をしていたそうです。

 

「君は、あのカーテンの向こう側にいる人を知っているか?」
「知らない」
「あそこにいるのは、実は、君の父親だ。従って、君は君の父親を知らないことになる」

 

このような主張は、もちろん詭弁です。しかし、人間の認識能力には限界があって、言葉では何とでも言えるということを主張したかったのでしょう。これが最古の認識論ではないでしょうか。

 

中世になると、宗教の時代になる。哲学者たちも宗教、特にキリスト教とどう折り合いをつけるか、奮闘することになります。例えば、全知全能の神という概念と、彼らは格闘した。しかし、ギリシャ哲学の体系と、キリスト教の世界観とは、どうしても折り合いがつかない。そこで、これはもう分離してしまおうという考え方(二重真理説)が生まれたり、反対に双方をなんとか調和させようとする試みがなされたりしたようです。

 

近代になると、たまたまギリシャ哲学に関する文献がヨーロッパで流行し、古代ギリシャの哲学者エピクロス(BC.341頃~BC.270頃)が紹介される。エピクロスは、知識の唯一の基盤であり、起源となるものは「感覚」だと考えた。「感覚」とは、人間がその五感によって知覚する能力のことです。この「感覚」によって知覚するという考え方は、トマス・ホッブズ(1588 – 1679)に引き継がれる。ホッブズは、その主著である「リヴァイアサン」の第1部、第1章を「感覚について」という項目から書き始めています。また、「感覚」に対する興味は、ジョン・ロック(1632-1704)に引き継がれる。ロックは「ある感覚が与えられるとともに心がそれを何者かとして考える」と主張した。ロックの思想は広範囲に及びますが、彼の思想は「経験論的認識論」とも呼ばれます。すなわち、ロックの思想の中核には「認識論」があったのです。

 

やがて、ロックの思想をパクった、おっと失礼、批判的に継承したカントを経由して、認識論は、チャールズ・サンダース・パース(1839-1914)に継承される。パースは、感覚によって知覚されるもの、それを記号であると考えたのです。

 

更に、キリスト教の世界観をニヒリズムとして捉えたニーチェ(1844-1900)が登場する。ニーチェは、考えた。認識とは単なる模写ではなく、自己保存と生長のために行われる行為なのだ。どんな生命体であっても、食べられるもの/食べられないものを区別する。このように生にとっての有用性という観点から世界を「秩序」づけること、これこそが認識の本質なのである。

 

そして、現代。IT技術が進展し、AIの時代を迎えようとしています。そして、AIの技術者たちが、こぞってパースの記号学を学び始めている。これは、このブログで既述の通りです。(パースについては、このブログの右下の方にある「カテゴリー」という欄から、若干の原稿を参照することができます。)

 

哲学の歴史を概観しますと、認識論の他にも存在論実存主義)の系譜があります。こちらは、キルケゴールから始まって、ハイデガーサルトルへと継承された。しかし、哲学のメインストリームは、認識論にあるのではないでしょうか。認識論の歴史とは、哲学の歴史そのものだとも言える。ただ、人間が何をどう認識しているのかという問題について考えて来たのは、哲学の他にも言語学、論理学、心理学などを挙げることができます。

 

それでは、私自身がこのブログのタイトルに何故、「認識論」という言葉を入れたのか、少し書いてみたいと思います。

 

1つには、折角この世に生を受けたのだから、せめて死ぬ前に私たちが生きているこの世界がどうなっているのか、知りたいと思ったからです。世界を認識する。できればその後で、ポックリ逝きたいと思っています。

 

2点目。文化について考えているうちに、人間が文化を生み出すのは、何かを認識しようとしているからではないか、という気がしてきたからです。例えば、アイヌの女性たちは、鶴の動作を真似て「鶴の舞」を踊る。私たちの身近にいる鶴という鳥は、こんな形をしているよ、こんな風に動くよということを、踊ることによって、認識しようとしているのではないか。例えば、この花はこんなに綺麗だよ、私にはこんな風に見えるよ、ということで、人は花の絵を描くのではないか。

 

それは宗教も同じで、例えば、人々は死者と向き合う。誰かが死んで、生きていた人が死者になる。すると、死んだ人はどうなるのだろう、という疑問が湧いてくる。やがては、自分も死ぬだろう。するとどうなるのか。このような疑問に回答を与えるのが、宗教だと思います。天国や地獄というのは仮説に過ぎない訳ですが、宗教には人々に死後の世界を認識させる働きがある。

 

従って、文化について検討していく上で、認識論というのははずせない。もしかすると、認識論と文化論というのは、表裏一体の関係にあるのかも知れません。そんなことも考えている訳です。

 

3点目。これは、現在の政治状況に関わるものです。もし、日本国民の過半数が、状況を正しく認識し、正しい投票行動を取れば、日本という国家は回復に向かうと思います。しかし、そうはなっていない。政府に対する支持率は、ようやく4割を切ったようですが、それでも自民党公明党がいいと認識している人々は、少なくない。「文化的進化論」の著者、イングルハートは、「必要なのは、現在の主な経済対立がこの99%対1%であると認識することに尽きる。」と述べている。ここでもやはり、人々の認識能力が問題となっているのです。