ある政治家が言ったそうです。
「地方は干からびさせておいた方が良い」
その方が補助金の効果が上がる、ということだそうです。地方にはお金を回さない。すると、地方は貧乏になる。そしてある時、国が何らかの施設の建設を予定し、補助金をばら撒く。すると、貧困に喘ぐ地方在住者は、喜んで国に協力する。そういう意味だそうです。この国の政府は、そうやって安価で土地を収用し、ダムを造り、原発を造ってきたのではないか。
地方の第1次産業も基本的には補助金なしには成り立たないような構造を作り出しておいて、そこへ補助金をばら撒く。すると、その産業に従事する人々は、自民党を支持するようになる。企業ぐるみで、業界団体などがこぞって、自民党を応援するようになる。
この話、今回のコロナ対策で国民に支給される10万円の話と、どこか似ていませんか? やはり、権力者としては、国民を干からびさせておいた方が、都合が良いらしい。
MMTを支持している私としては、今こそ、国債を発行して反緊縮・積極財政に舵を切るべきだと思っています。緊急事態宣言が継続する期間中、政府は毎月、全国民に10万円ずつ配る。消費税は廃止する。そして、コロナ問題が収束した時点で、大規模な公共投資を行い、雇用を確保する。かつてのニューディール政策のように。
それにしても、大衆の心理というのは、とても屈折しているのではないか。一生懸命働いても、報われることは少ない。世の中、どこか間違っているのではないかと思っても、自らの考えを理論化することができない。テレビを見ると、幸福そうな人々ばかりが出演している。新聞を読むと、自民党は正しい、と書いてある。でも、自分の生活は楽にならない。こうして、やり場のない怒りが心の奥底に渦巻いている。コンプレックスを持っているので、見栄を張らざるを得ない。結果として、DV、セクハラ、煽り運転などの社会現象が生まれるのではないか。
別荘地をドライブすると感じるのですが、高級外車と軽自動車が多い。高級外車に乗っているのが別荘族で、軽自動車に乗っているのが地元の人たちです。そういう傾向があると思うのです。そして、合流の時に道を譲ってくれるのは高級外車の方で、乱暴な運転をするのは、軽自動車の方ではないか。
このように鬱屈した大衆の心理を正確に読み解かなければ、現在の野党が政権を取ることは難しいのではないでしょうか。立憲主義だ、共産主義だ、デモクラシーだ、などと言っても、大衆は理解できない。あくまでも下手に出て、大衆の自尊心をくすぐりながら、論理ではなく、別の何かで大衆の心をつかんでいく必要があるのではないでしょうか。
結局、現代の日本社会というのは、権力者となるべく学業エリートを目指すか、スポーツ選手や職人など、限定された文化領域で生きていく大衆となるか、その2つに1つの道しかないのではないか。そして、そこから何らかの事情によってドロップアウトした者が、もしくは何らかの出来事によって覚醒した者が、芸術家又は単独者となる。加えて面倒なのは、権力者と大衆が類似する態度をもって、芸術家や単独者を攻撃しようとする。それが政治的な弾圧や集団的な同調圧力となるのではないか。
何と息苦しいシステムでしょうか。
これはもう、変えなければいけません。教育から、学問から、社会制度から、政治から、何もかも。私たちの常識や価値観を洗いざらい、変革する必要がある。パラダイム・シフト。それが必要だと思います。