文化認識論

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反逆のテクノロジー(その3) 狂気に愛された哲学者

ミシェル・フーコーは、ゲイだった。多くのアカデミックな文献は、あまりそのことに触れていない。私は、たまたま手にした「FOR BEGINNERS」という入門書によって、そのことを知った。この本には、かなり生々しい記述がある。フーコーの遺作は「性の歴史」というシリーズ化された論文だった。これは全6巻を予定していたが、3巻まで発行されたところで、フーコーエイズで死んでしまう。57才だった。

 

ゲイだからと言って、何が悪いということではない。文化人類学の本を読めば、いつの時代でも、どこの民族にもLGBTが存在したことは明らかだ。最近は、日本人の13%がLGBTだというデータもある。反対に、ゲイだからと言って、何か特別ほめるべきことでもない。

 

しかし、フーコーが生きた時代のフランスにおいては、男同士でダンスをすることは禁止されていたらしい。それがキリスト教の戒律によるものなのか、法律によるものだったのか、その点は判然としないのだが。いずれにせよ、フーコーがゲイであることによって苦しんだことに疑いはない。フーコーは「高等師範学校」と呼ばれる超エリートだけが集う学校に入学していたにも関わらず、22才の時に自殺未遂を図っている。そして自殺未遂は、24才の時にも繰り返される。この時、フーコーに援助の手を差し伸べたのは、担当教授のアルチュセールだった。マルクス主義者のアルチュセールは、後年、精神錯乱を起こし、自ら妻を殺害してしまう運命にある。教授のアルチュセールと学生のフーコー。当時のフランスには、狂気と隣接するところまで突き詰めた雰囲気があったのだろうか。

 

フーコーは自らの内部に狂気を見ていたのではないか。そして、フーコーはその狂気と真摯に向き合った。狂気とは、理性が排除した他者であるに過ぎないのではないか。そう考えたフーコーは、歴史を検証する。そして、「狂気の歴史」が出版される。これはフーコーが博士論文として書いた論文。(正確なタイトルは「狂気と非理性-古典主義時代における狂気の歴史」というもので、「狂気と非理性」と略される場合もある。)

 

40才になったフーコーは、「言葉と物」を発表した。1966年のことだ。これが当時のフランスで、飛ぶように売れたらしい。「まるで菓子パンでも買うように、人々はこの難解な哲学書を購入した」と語り継がれている。フーコーを世に知らしめたのは、この「言葉と物」で、その5年後、45才のフーコーコレージュ・ド・フランスの教授に就任する。そのことは、フーコーがフランスにおけるアカデミズムの頂点に達したことを意味していた。

 

しかし、フーコーの思索が留まることはなかった。そこからフーコーは、知と権力の関係を検証する。一般的には、この時期の「権力と戦うフーコー」というイメージが定着しているらしい。そして、50才になったフーコーは、「性の歴史I-知への意思」を出版する。

 

このように見て来ると、フーコーの思想なり人生には、一貫した何かがあったように思えてくる。マイノリティとしてのフーコーは、多分、「間違っているのは自分ではなく、世界の方だ」と思っていたのではないだろうか。フーコーは狂気を排除した理性を否定し、欧州の歴史を覆し、あらゆる権力に反逆を試みたのだ。それは、孤独な闘いだったに違いない。しかし、現在の世界におけるLGBTに対する人権意識の変化を見ると、フーコーはその戦いに勝利したのだろうと思えてくる。フーコーの人生とは、正に芸術作品のようだと思う。

  

フーコー年表

 

1926年(0才)                    10月15日。フーコー生まれる。

 

1942年(16才)                  哲学の勉強を始める。

 

1945年(19才)                  高等師範学校不合格。第二次世界大戦終結

 

1946年(20才)                  高等師範学校合格。

 

1948年(22才)                  自殺未遂。

 

1950年(24才)                  自殺未遂。大学教員資格試験に失敗。

 

1951年(25才)                  大学教員資格試験に合格。

 

1954年(28才)                  「精神疾患とパーソナリティ」を出版。

                                                  アルコール依存症になりかけ、心理療法を受ける。

 

1961年(35才)                  博士論文として書かれた「狂気の歴史」が出版される。

            (狂気と非理性―古典主義時代における狂気の歴史)

 

1963年(37才)                  「臨床医学の誕生」出版。デリダが「狂気の歴史」を批判。

 

1966年(40才)                  「言葉と物」出版。

 

1969年(43才)                  「知の考古学」出版。

 

1970年(44才)                  コレージュ・ド・フランス教授に就任。初来日。

 

1975年(49才)                  「監視と処罰-監獄の誕生」出版。

 

1976年(50才)                  「性の歴史I-知への意思」出版。

 

1978年(52才)                  2度目の来日。

 

1984年(58才)                  「性の歴史II-快楽の活用」出版。

                                             「性の歴史III-自己への配慮」出版。

             6月25日、フーコー死去。(誕生日前で享年は57才。)

 

(参考文献)

文献1: FOR BEGINNERS フーコー/Cホロックス/白仁高志訳/現代書館/1998

文献2: フーコー今村仁司・栗原仁/清水書院/1999

文献3: 言葉と物/ミシェル・フーコー渡辺一民佐々木明訳/新潮社/1974

文献4: ミシェル・フーコー、経験としての哲学/阿部崇/法政大学出版局/2017

文献5: ミシェル・フーコーの思想的軌跡/中川久嗣/東海大学出版会/2013