文化認識論

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反逆のテクノロジー(その4) エピステモロジー(科学認識論)とは何か

ここで、若き日のフーコーを取り巻いていた思想界の状況を見ておくことに致します。

 

まず、エピステモロジー(科学認識論)ということがある。これが何か、良い解説文がなくて探していたのですが、意外にも哲学の入門書(文献6/末尾参照方)にそれを発見することができました。

 

一般に、自然科学というのは段階を経て、少しずつ進化するものだと思われているのではないでしょうか。つまり、去年よりは今年、今年よりは来年の方が少しだけ進んでいる。そして、そのような歴史が連綿と続いてきたのだろう、ということです。このような考え方に反し、そうではなくて自然科学というのは「非連続」に進化してきたのだ、と考える人たちがいた。そのような思想がフランスにあって、それを理論化したのが、以下の2人です。

 

ガストン・バシュラール(1884-1962)

・ジョルジュ・カンギレム(1904-1995)

 

このような考え方がエピステモロジーと呼ばれるもので、フランスに起源があるため、「フランス科学認識論」と訳される場合もあります。

 

バシュラールによれば、アインシュタイン相対性理論ニュートン力学の延長線上でとらえることはできない。

 

ニュートン力学・・・質量は一定量の物質との関係で定義され、速度は質量の関数である。

 

アインシュタイン相対性理論・・・質量は速度の関数である。

 

文化系の私には、何のことやらさっぱり分かりませんが、それらが根本的に異なることは、何となくイメージできます。文献6から引用させていただきます。

 

- カンギレムがとりあげるのは生命科学だが、そこでは、たとえば「正常」と「異常」に関する逆転が生じた。19世紀において、正常(健康)と異常(疾患、病的)との相違は数量的に捉えられ、異常は、統計的な平均値からの偏差とされた。両者の関係は連続的で、正常な身体の「生理学」をもとに病的なものを知りうると考えられた。ところが、身体が認識対象として浮上するのは疾患においてであり、健康とは身体諸器官が沈黙していることである。また、統計的平均値から外れているとしても、環境との関係においては正常となりうる。(中略)こうしてみるならば、疾患のあることは、けっして身体にとって異常なことではなく、むしろ、いかなる不健康をも経験しない者はかえって有害な結果をまねく。生体は、開放的システムであり、疾患や障害を克服して新たな平衡状態を作ることこそが健康である。こうして、統計的平均値という正常(健康)の規範があらかじめあるのではなく、むしろ各生体は、規範を創造するシステムであることになる。-

 

少し、私なりに解釈してみましょう。例えば、人間が風邪をひいて39度の熱が出たとする。19世紀においては、これは人間の体温の平均値よりも高いので、「異常」だということになる。しかし、20世紀になると、風邪をひいたのだから高熱が出るのは当たり前なのであって、高熱が出るというのは人間の身体における防御システムが作動していることを意味している。従って、風邪をひいて39度の熱が出たとしても、それは「異常」ではない。むしろ、風邪をひいているにも関わらず、高熱の出ない人がいたら、そちらの方が「異常」である。すなわち、19世紀と20世紀の間には明確な認識の断絶、「不連続」が認められる。この科学の「非連続性」こそが、エピステモロジーの本質なのだ、ということになります。

 

なるほど、そういうことは沢山ある訳で、私などはすぐに天動説から地動説への転換、ダーウィンの進化論などを思い浮かべるのですが、この話、何かに似ていませんか? そう、このブログで何度か取り上げてきたフーコーの「エピステーメー」という考え方につながっているのです。文献6によれば、エピステモロジーという考え方はアルチュセールに引き継がれ、更にフーコーによって継承されたそうです。実際、フーコーの「言葉と物」には、同じような「非連続性」に関わる話が多く出てきます。

 

なお、エピステモロジーは自然科学の領域に限定された話なのですが、フーコーはこの原理をもっと広く、人間社会全体に適用させたのだろうと思います。

 

もう少し、フーコーの若き時代の思想環境を見てみましょう。そこで、主要な思想家たちの存命期間一覧を以下に示します。

 

カール・マルクス/1818-1883/ドイツ

フリードリヒ・ニーチェ/1844-1900/ドイツ

ジークムント・フロイト/1856-1939/チェコユダヤ系)

フェルディナン・ド・ソシュール/1857-1913/スイス

カール・グスタフユング/1875-1961/スイス

ジャン・ポール・サルトル/1905-1980/フランス

レヴィ=ストロース/1908-2009/フランス(ベルギー生まれ)

ルイ・アルチュセール/1918-1990/フランス

ミシェル・フーコー/1926-1984/フランス

ジャック・デリダ/1930-2004/フランス

 

フーコーが「精神疾患とパーソナリティ」を出版した1954年(28才)を基軸に見てみますと、マルクスニーチェフロイトは既に他界しています。ただ、他の思想家同様、これら3人のビッグネームからフーコーも多大な影響を受けたようです。フロイトは心理学、精神分析学の専門家ということで、哲学の分野と同列にこれを語ることはできないような気もしますが、当時、心理学は哲学の一分野と捉えられていたのではないでしょうか。実際、フーコーは1952年(26才)に精神病理学高等教育終了証書を取得し、リール大学文学部哲学科の心理学助手に就任しています。つまり、文学部があって、哲学科があり、その中に心理学を専門に扱うセクションがあった、ということだろうと思います。

 

1954年当時ということを考えますと、サルトルは現役でバリバリ活躍していたのです。サルトルと言えば、実存主義ですが、その内容を少し見てみましょう。再び、文献6から引用させていただきます。

 

- サルトルによれば、個人に関しては、そのあり方(本質)がさだまる以前に、だれもがつねにすでに現実に存在していることになる。つねにすでに現実に存在している各自のあり方を「実存(existence)」とよぶ。こうしてサルトルは「実存は本質に先立つ」と述べる。(中略)その本質が定まらず、とりあえず現実に存在している各実存は基本的に「自由」である。ただし、なんの指針もない状態で、すべてが自分の選択に委ねられるという状況はむしろ苦痛である。自由は伝統的に、実現すべき理想と考えられていたが、サルトルにおいては逆に、だれもが巻き込まれた事実であり、しかもかならずしもありがたいものでもない。サルトルによれば、「人間は自由でなくなる自由はない」。-

 

そう言われてみますと確かにそうだな、と思う点はあります。人間は、気が付いたときには既にこの世に存在している訳ですが、自分が何者なのかは、なかなか分からない。また、私の人生経験からしても「自由を嫌う人たち」というのは少なからず存在します。例えば、何らかの宗教を信じている人。伝統や規律を重んじる人。しかし、私自身はと言うと、自由を希求している訳で、特に思想や表現の自由を大切に思って生きてきました。してみると、実存主義ってちょっと違うなあ、と思ったりもする訳です。

 

また、「人間は自由である」というテーゼに立つ場合、その基礎となるのは「意識」ということになる訳です。すると、サルトルにとって都合の悪い人物がいた。それが、フロイトだったのです。フロイトは人間の無意識や夢に注目した。人間の心の中には無意識の領域があって、その領域は意識よりもはるかに大きい。そして、この無意識が原因となって諸々の精神疾患が引き起こされる。フロイトは、そう主張したのです。そこで、サルトルフロイトと相容れないことになる。実際、サルトルは、次のように述べたそうです。(文献4)

 

- 多くの場合、彼(フロイト)が使う言語は無意識というある種の神話を生み出すものであり、わたしはそれを受け入れることはできません。わたしは、事実としては、偽装とか抑圧とかの事実(fais)について、全面的に同意できます。けれども「抑圧」、「検閲」、「欲動」といった用語については ―それらはあるときには一種の目的性をあらわし、つぎのときには、一種のメカニズムをあらわすのです― わたしはそれを拒絶します。-

 

しかし、やがてサルトルにとっては、更なる強敵が現われる。それが、構造主義だと言って良いでしょう。「人間は自由である」とする実存主義に対して、人間や人間社会を動かしている構造というものが存在するのであって、人間は構造から脱出することができない、と考えるのが構造主義だからです。元祖構造主義と言っても良いレヴィ=ストロースは、その主著「野生の思考」の中で、サルトル批判を展開しています。これは、1962年のことですが。

 

いずれにせよ、若きフーコーを取り巻くフランスの思想界における状況というのは、とても活発で、華々しいものだったと言えるでしょう。フーコーよりも8才年上だった師匠のアルチュセールは、構造主義者であり、マルクス主義者でもあった。実際、フーコーアルチュセールの勧めにより、1950年にフランス共産党に入党しています。(後年、矛盾を感じて退会しました。)そして、哲学の世界にはフロイトが大きな影響を及ぼしており、それに対抗する実存主義があった。更に、エピステモロジーがあった訳で、今更ながら「フーコーよ、何処へ行く?」と問い掛けたくなります。

 

追記)先の原稿で、当時のフランスにおいて、男同士でダンスをすることは禁じられていた、と記載しましたが、これは宗教上の戒律ではなく、法律によるものでした。(文献1)

 

(参考文献)

文献1: FOR BEGINNERS フーコー/Cホロックス/白仁高志訳/現代書館/1998

文献2: フーコー今村仁司・栗原仁/清水書院/1999

文献3: 言葉と物/ミシェル・フーコー渡辺一民佐々木明訳/新潮社/1974

文献4: ミシェル・フーコー、経験としての哲学/阿部崇/法政大学出版局/2017

文献5: ミシェル・フーコーの思想的軌跡/中川久嗣/東海大学出版会/2013

文献6: 図説・標準 哲学史/貫 成人/新書館/2008