<主体が巡る7つの領域>
原始領域・・・祭祀、呪術、神話、個人崇拝、動物
生存領域・・・自然、生活、伝統、娯楽、共同体、パロール
記号領域・・・自然科学、経済、ブランド、キャラクター、数字
秩序領域・・・監獄、学校、会社、監視、システム、階級
喪失領域・・・境界線の喪失、カオス、犯罪、自殺、認識の喪失
自己領域・・・無意識、知識、経験、記憶、コンプレックス、夢、狂気
(主 体)・・・意識、欲望、恐怖、想像力、意志、身体、言葉
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音楽の起源は、リズムにある。そしてリズムの起源は、人間の心臓の鼓動にあるのではないか。グズっている赤ん坊を若い母親が優しく揺らすと、赤ん坊は泣き止むのである。赤ん坊は、胎内で感じていた鼓動を感じて、安心するのだろう。本質的に、リズムは人に共感させる力を持っているに違いない。
やがて祭祀が生まれ、人々はリズムに合わせて踊り始める。リズムに合わせて、動物の鳴き声を真似て声を出してみる。若しくは、リズムに合わせて何かを話してみる。そして、歌が生まれる。歌の歌詞は、それだけを取り出すと「詩」になる。
歴史的な時間軸で考えると、コード(和音)が生まれたのは、最近のことであるに違いない。コード進行の基本は、スリー・コードと呼ばれるもので、西洋音楽やブルースはこの原理に従っている。コードは沢山あるだろうと思われるかも知れないが、基本はこの3つで、それらに音を加えたり、代理させたりすることによって、様々なコードとその進行スタイルが生まれているに過ぎない。
簡単な例で言うと、スリー・コードとは、ドミソ、ドファラ、シレソのことである。この中にいくつの音が含まれているかと言うと、ドレミファソラシの7つである。つまり、最低限7つの音を同時に出すことができなければ、スリー・コードは成立しない。
しかしながら、例えばアイヌの楽器、トンコリには5本の弦しかなく、しかも、ギターとは違って、フレットというものがない。つまり、トンコリを用いて同時に出せる音の数は、5つである。
これでは、前述のスリー・コードを奏でることはできない。
どうするのだろう。そう思って、アイヌのユーカラや、安東ウメ子氏の歌を聞いてみると、使用されるコードは1つ、または2つなのである。そんなことを考えながらアイヌの音楽を聴くと、感慨もひとしおである。
さて、文学と同じように7つの領域は、それぞれ独自の音楽を持っている。では、順に見ていこう。
原始領域・・・強烈なリズムとそれを叩き出す打楽器なくして、祭祀は成立しない。これに麻薬が加わると、人々は容易にトランス状態に入るのだ。それを嫌ったキリスト教徒は、原始的な祭祀を禁じてきたのである。多分、仏教徒も同じことをしたのではないか。ところが、人間の歴史においては、不思議なことが起こる。1960年代後半の欧米において、祭祀が復活したのである。ロックミュージックの誕生だ。1969年にはアメリカのウッドストックにおいて、40万人の聴衆集め、3日間に渡るコンサートが開催されたのである。これは人類史上、最大規模の祭祀だったに違いない。聴衆はマリファナを吸い、トランスを楽しんだ。ステージ上には次々とミュージシャンが登場した。そして彼らは、祭祀におけるシャーマンの役割を担ったのだ。中でもジミ・ヘンドリックスは、立派にその責任を果たした。ロックミュージックの歴史的な意義が、ここにある。トランスを目指す。それがロックミュージックの本質である。
生存領域・・・平穏な生活と共に育まれてきた音楽も、少なくない。民謡、童謡、子守歌などを挙げることができる。黒人のブルースも、その起源は労働歌である。
認識領域・・・戦争に対する反省から生まれた思想があり、それを音楽にしたのが、反戦歌である。
記号領域・・・音楽の世界における主たる記号とは、音符である。音を音符に置き換えて、科学的に音楽を構成したのが、クラッシック音楽だと言えよう。この音楽においては、楽器の持つ音域やその可能性と、人間が習得できる技術の限界を追求したに違いない。ジャズもその影響下にある。
秩序領域・・・組織に対する忠誠心を要請する音楽も存在する。軍歌、社歌、校歌など。
喪失領域・・・フリージャズ。1970年前後のマイルス・デイビス。晩年のジョン・コルトレーンなど。
自己領域・・・私的な事柄や自らの経験に根差した音楽も、存在する。ラブソングは概ね、作曲家が自らの経験を音楽にしているのではないか。また、後期のジョン・レノンは典型的に、この領域に属すると思う。ジョンは、ストレートに女房であるヨーコや、息子のショーンを賛美する歌を作った。
では、まとめてみよう。
原始領域・・・祭祀と共に演奏される打楽器、ロック
生存領域・・・民謡、童謡、子守歌、歌謡曲、労働歌、ブルース
認識領域・・・反戦歌
記号領域・・・クラッシック、ジャズ
秩序領域・・・軍歌、社歌、校歌
喪失領域・・・フリージャズ、プログレッシブ・ロック
自己領域・・・ラブソング、後期のジョン・レノン
ところで、文学の世界にドストエフスキーという領域を超えた大作家がいたのと同じように、音楽の世界にも複数の領域を股にかけて活動した天才、マイルス・デイビスがいる。
マイルスも最初は、楽器を練習するかたわら、楽譜の読み方を勉強した。更に、音楽理論を勉強するために名門ジュリアード音楽院にまで進学する。しかし、夜な夜なチャーリー・パーカーとのセッションを行い、ドラッグに耽溺していったマイルスは、ジュリアードを中途退学する。この時代の音楽は、ビバップと呼ばれるが、これは「記号領域」にあると言って良いだろう。コード進行に合わせて、早いフレーズを吹きまくるというスタイルだった訳だ。その後マイルスは、クールジャズ、モードジャズ、エレクトリックへと演奏スタイルを変えていく。やがて、フリージャズが流行したことも影響してか、マイルスもその方向へと進む。1970年の作品で「Live Evil」というのがあるが、これはフリージャズだと言って良いだろう。多分、相当ジャズを聞き込んだ人でなければ、その魅力を理解するのは困難だと思う。ここへ来て、マイルスは「喪失領域」へと移行したのだ。この音楽は、正に混沌としている。
その後マイルスは、1972年に問題作「On The Corner」を発表する。この音楽は、一体、何なんだろうと、私は永年疑問に思ってきた訳だが、実はこれ、最近アフリカ音楽に似ていることに気付いた。良かったら、さわりだけでも聞いて欲しい。
マイルス・デイビス / オン ザ コーナー
Miles Davis - On The Corner (1972) - full album - YouTube
アフリカン ヴードゥ ドラム ミュージック
African Voodoo Drum Music - YouTube
どちらも打楽器が中心で、そこにコード進行はない。すなわち、マイルスはここへ来て、原始領域へと移行したのである。
体調を壊したマイルスは、1975年に一線から退く。そして、1981年にカムバックする訳だが、それ以降マイルスは、シンデイ・ローパーやマイケル・ジャクソンの楽曲を取り上げて、ポップチューンへと回帰した。こちらは、生存領域である。
上に記しただけでもマイルスは、以下の領域を渡り歩いたことになる。
記号領域
喪失領域
原始領域
生存領域
ここまで考えると私は、私があるパラドックスに陥っていることに気付くのだ。すなわち、私は、ドストエフスキーやマイルスのように、7つの領域の全体を見るべきだと思っている訳だが、他方、対象範囲を限定した方が、人間の認識能力は高まる(相撲は土俵の中で成立する)のである。どちらが正しいのか? この問題は本稿「領域論」の中で、決着をつけたいと思っている。