文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

戦争と文明 はじめに

 

今年の2月24日にロシア軍は、ウクライナへの侵略を開始した。それ以来、戦争という2文字が、私の脳裏から消えた日はない。

 

人間は、何故、戦争を繰り返すのか。そこに原理はないのか。もし、原理があるとすれば、戦争を回避する手段だって、見つかるのではないか。人間は何故、かくも残酷になれるのか。戦争と文明。この対立する2つの概念は、一体、どのような関係にあるのか。

 

多分、この問題はあまりにも大きく、複雑なのであって、私の能力を超えた課題なのだ。それは分かっているのだが、もし、私がこの原稿を書き上げる前に、日本が戦争に巻き込まれてしまった場合、私はきっと後悔するだろう。戦争のリスクが高まりつつある現在において、この原稿に取り組むこと。それは、1人の日本人ブロガーとして、私が果たすべき小さな責任なのではないか。そうも思えてくる。

 

幸い、この問題を取り上げた過去の思想家は少なくない。本稿においては、少なくとも以下の3人を取り上げる予定でいる。

 

トマス・ホッブズ/1588-1679/イングランド

イマヌエル・カント/1724-1804/ドイツ

ジークムント・フロイト/1856-1939/チェコユダヤ系)

 

ホッブズは、戦乱状態にある欧州にあって、人々の人権(自然権)を守るために近代的な国家を設立するべきだと提唱した。その後、世界は、ホッブズが言うように近代的な国家を設立したが、今度は、近代的な国家同士が戦争を始めたのである。ホッブズの目論見は、はずれたのである。しかし、ホッブズが提起したいくつかの論点は、今日においても検証に値すると思う。

 

次にカントだが、彼はその晩年において「永遠平和のために」という短い論文を残している。そこに記されたカントの思想は、第1次世界大戦の後、人々が国際連盟を設立した際の基礎をなしたのである。国際連盟は、第2次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった。そこで、国際連合が生まれた訳だが、これもウクライナ戦争を防止することはできなかったのである。そうは言っても、国際連合は「ないよりはまし」なのであって、そこに人々の努力を認めるべきだろう。

 

3人目は、心理学の、とりわけ精神分析フロイトである。フロイトアインシュタインの呼び掛けに応じ、短い書簡を公開した。「人はなぜ戦争をするのか」と題されており、これは私が考えようとしていることをズバリとその表題に据えたものである。心理学者が、戦争という社会的な現象を語ることができるのか、という疑問を抱かれる人もいるだろう。しかし、フロイト文化人類学の研究なども行っていたようで、この書簡においては、興味深い論点が提起されているのだ。

 

何かの本に、こんな話が書いてあった。まず、大きな円を描く。その中に、互いに接する3つの中位の円を描く。更に、中位の円の中にも互いに接する3つの小さな円を描く。この作業を繰り返す。そうしてみると、大きさの大小に関わらず、どの円を見ても、その内部に3つの円を持っていることになる。もし、このような構造が存在するとすれば、ミクロ(小さな円)を観察することによって、マクロ(大きな円)の構造を知ることができることになる。つまり、個別の中に普遍が存在するのだ。

 

フロイトの例に照らして言えば、ミクロとしての心理学がある。それは個人の心の構造を理解しようとするものだ。そして、個人の集合体が繰り広げる戦争というマクロの現象をも心理学が解き明かすことができる可能性があるということになる。

 

まずは、今日の世界的な、そして日本の状況について検討し、その後、少しずつ本質的な論議へと進めて行きたいと思っている。