文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

構造と自由(その8) 構造の内側

 

 

上の図を見ていると、様々な発見がある。例えば、「依存者」について。依存者を規定している両極は権力と身体だ。暴走族や暴力団員は、この領域で生きているに違いない。彼らは権力そのものを否定したりはしない。あくまでも自らの身体を権力に服従させるのだ。命令があれば、彼らは喧嘩や抗争をもいとわない。しかし、隙があれば率先して権力の頂点に登りつめようとする。つまり、日頃は権力に従順だが、時として権力闘争を行うのである。軍隊も同じだ。ロシア軍の実態を見れば、明らかだろう。膨大な数の死傷者を出すと共に、内部抗争を繰り広げている。依存者は、「知」と主体から隔絶している。彼らは芸術を愛することも、哲学的な思索に耽ることもない。おそらくは、日本政治を牛耳っている自民党の本質も、この依存者であるに違いない。

 

私は、この図によって権力の構造についても、ある程度、説明することが可能だと考えている。病院を例に説明してみよう。

 

病院という組織は、医学に関する「知」を持っている。そして、その「知」にアクセスできる内部者として、医師や看護士が働いている。病院の最高権力者は、内部者のトップである院長である。また、病院という組織や権力に依存する製薬メーカーの営業マンが存在する。何しろ、病院は多くの医薬品を消費するので、製薬メーカーにとってはお得意さんなのだ。医師が処方箋を書いた場合、ほとんどの患者はその薬を有難がって服用するに違いない。そこで、製薬メーカーの営業マンが、院長や医師に賄賂を贈る。本当にそういうことがあるのか私は知らないが、このパターンはミステリードラマによく登場する。では、一覧にしてみよう。

 

<病院の権力構造>

「知」・・・ 医学

内部者・・・医師、看護師

権力者・・・院長

依存者・・・製薬メーカー

 

私は、特に病院に恨みを持っている訳ではないし、ほとんどの医師や看護師は良心的に働いておられるものと思う。あくまでも分かり易い例として、上述したまでである。なお、ほとんどの企業や役所の権力構造は、病院の例と類似しているのだと思う。また、現代に生きる日本人の大半は、このような権力構造の中で生きているのではないか。上の図で言えば、上半分がこれに該当する。この上半分を指して秩序と言う訳で、換言すれば、日本人の大半は秩序の中で生きていることになる。

 

話が飛んで恐縮だが、上の図によって、三島由紀夫が尊重していた事柄についても説明することができる。三島は、自衛隊の市谷駐屯地に乗り込み、演説を行い、天皇陛下万歳と叫び、その後、自決した。三島の行動の主眼は、対米従属に陥った保守層に対する批判であった。米国に従属している限り、日本人はどこまでも堕落するのであり、日本人がその伝統やアイデンティティーを守っていくためには、団結することが必要だ。そして、そのためには、天皇制の維持、強化が必要なのだと考えていたのだと思う。封建主義的な国家観を持っていた訳だ。そして三島は、憲法や知性を否定していたのである。

 

三島由紀夫反知性主義

https://www.youtube.com/watch?v=8FrxQuWOu20

 

三島が思想上、尊重していた事柄は、上の図の左半分によって説明することができる。一覧を示そう。

 

権 力・・・天皇

依存者・・・戦没者、戦友

身 体・・・ボディービル、剣道

芸 術・・・文学

主 体・・・割腹という行動

 

この際、私の思想的なポジションについても述べておこう。私が尊重すべきと考えているのは、上の図の下半分なのである。やがては身体を脱して、「知」を目指すべきだ。しかし、その「知」とは、権力へと向かう宗教ではなく、自然科学でもない。主体へと向かう哲学こそが重要なのだ。また、権力は分割するなどして、抑制的に扱うべきなのであって、権力を手にした者であっても、なるべく早くそれを手放し、自らの魂の領域、すなわち主体へと向かうべきなのである。そのように生きることこそが、人間にとっての自由なのだと思う。