文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

反逆のテクノロジー(その5) 狂気への眼差し

皆様は「狂気」という言葉を聞いて、どのような印象をお持ちになるでしょうか。では、「狂人」と言った場合はどうでしょうか。できれば触れたくない、関わりを持ちたくない、とお感じになるのではないでしょうか。しかしフーコーの場合は、違ったようなのです。

 

正確な時期は分からないのですが、1950年代の半ばと言いますから、まだ20代の後半だった若きフーコーは、リール大学で助手を務める傍ら、パリのサン-タンヌ病院の精神科で精神医学を研究していました。(文献2)医師でも患者でもないフーコーは、言わば傍観者的な立場で、精神科の現場に身を置いていた訳です。そして、フーコーをうちのめしたのは、「監禁する側もされる側も、それがあたかも当然であるかのように過ごしている姿」だったそうです。同じ人間なのです、医師も患者も。それが一方は監禁する側に回り、他方は監禁されることを甘受する。何か、おかしい。そして、若きフーコーは医師が理性を、患者が狂気を象徴していることに気づく。すなわちパリの精神病院において、フーコーは理性と狂気(非理性)の対立構造に直面したのでした。何故、そうなっているのか。一体、いつからそのような構図が生まれたのか。フーコーは、そのことを研究しようと考えた。この着想が、フーコーの博士論文として世に出されることとなる「狂気と非理性-古典主義時代における狂気の歴史」(“狂気の歴史”)へつながっていく。

 

フーコーの研究結果(文献8)は、概ね、以下の通りです。

 

<16世紀頃まで>

欧州において、狂人の存在は許容されていた。貴族社会において、道化師が存在していた。(この道化師がサーカス団にいる“ピエロ”の原型だと、何かの本に書いてあったように記憶しています。)

 

<17世紀>

大きな断絶が起こる。産業社会が形成され始めると共に、狂人の存在が許されなくなった。フランスとイギリスで、大規模な収容施設が作られ、狂人、失業者、不具者、老人、怠け者、売春婦などが収容された。パリでは、人口25000人中、6000人が収容された。これは全人口の24%、すなわち概ね4人に1人が収監されていたことになる。そして、実社会から狂人が消えたことに伴い、17世紀半ば、欧州の文学の世界からも狂人が消え去る。

 

<18世紀の終わり頃>

フランスでは1793年、狂人以外の者は施設から解放された。狂人は病人とみなされるようになる。イギリスでは、精神病院が作られる。

 

<19世紀の初め>

性的な逸脱は、狂気と同じものと考えられるようになる。大詩人たちのエクリチュールの下から、狂気に陥る危険が湧き出てくる。

 

上に記した事項は、単純なように見えて、実はそうではない。まず、16世紀があった。これは欧州においては、ルネッサンス期だった訳ですが、この頃まで、狂人は通常人と生活空間を共にしていた。手に余る場合は、村はずれに小屋を建てて、狂人をそこに住まわせるようなこともあったようですが、原則的に両者は共に暮らしていたようです。時として、通常人は狂人を笑いのネタにしていたのだろうと思います。但し、狂人はそれと意識することなく、真理を語る場合がある。従って、ある側面を取り上げれば、狂人は人間社会に必要とされていたとも言えます。

 

そして、1回目の歴史の不連続性、断絶というものが17世紀に生じる。言うまでもなく、このフーコーの着想は、エピステモロジーから来ている訳です。産業社会が生まれ、狂人をはじめとする「働かない者」を排除しようとする風潮が生まれる。

 

18世紀の終わり頃になると、それまで収監されていた「働かない者」が分別され、狂人だけが収監の対象となる。怠け者や売春婦は、強制すれば働くことができる。強制しても働けないのは狂人だけだ、ということでしょうか。そして、それまでの収監施設は、精神病院へと変容する訳です。つまり、この時点をもって若きフーコーがパリのサン-タンヌ病院で直面した医師と患者の対立構造が生まれたことになります。

 

そして、興味深いのが「19世紀の初め」なのです。梅毒に対する恐怖心の影響などもあって、性的逸脱は狂気と同じものと考えられるようになります。また、狂人というのは病人なのだという認識が生まれ、精神病院ができて、精神医学が発達する。狂人は精神病院に隔離されるのですが、狂気や狂人は何故か、文学の世界で復活する。私には、そこに隠された意味があるのではないかと思えてなりません。フーコーは「言葉と物」(文献3)の中で、マルキド・サドについて語っている。サドはサディズムの語源となった人物で、倒錯した性の世界を文学の世界に持ち込んだ人物です。ネットで調べてみますと、サドの代表作「悪徳の栄え」が発表されたのが1801年とのこと。正に「19世紀の初め」のことだったのです。

 

確証は得られていませんが、マゾヒズムについて描いた谷崎潤一郎ですが、実はサドの影響を受けていたのではないか。存命期間は、それぞれ次の通りです。

 

・マルキド・サド・・・1740-1814

谷崎潤一郎・・・・・1886-1965

 

谷崎はともかく、三島由紀夫がサドを読んでいたことは明らかです。三島は「サド侯爵夫人」という戯曲を書いているので。世界的な文学の潮流があって、それが近代日本文学の最盛期に影響を及ぼしていた。そんな気がするのです。

 

ちょっと脱線してしまいました。私が注目している最大の点は、17世紀に実社会の中から消し去られた「狂気」が、19世紀になって文学の中で復活した、という点なのです。このことをご理解いただくためには、2つの事柄を説明する必要がありそうです。

 

第1に、私は「人間社会にとって、狂気は必要なものだ」という考えを持っている訳です。私が注目している古代において、狂気は明確な形で存在していたのです。古代人は、三日三晩踊り続けることによって、もしくは幻覚をもたらす薬草によって、トランス状態に入る。つまり、心身共に狂気の世界へと立ち入る訳です。そして、精霊や先祖の霊や神の声を聞く。これが儀式となる。この儀式によって、人々は重要な意思決定を下したり、部族の結束を強めたりしていたのだろうと思います。やがてトランス状態に入ることが得意な者が出現する。そして彼、又は彼女がシャーマンとなり、集団を統率していく。こうしてシャーマニズムという社会秩序が誕生し、運営されていたのだと思います。このような人間集団における現象は、今でも大規模なロックコンサートやライブハウスにおいて、再現されているのです。何故か。それは、人間社会が狂気を必要としているからだと思うのです。狂気というのは、人間社会における緊張感を緩和し、芸術を生み出し、文化を前進させる力を持っている。だから必要なものだ、と思うのです。(この点、既にこのブログで詳細を述べていますので、これ以上の説明は割愛します。)

 

第2の点ですが、どうも文化というものは内発的な治癒力を持っている。人間の文化というのは傷を負ったり危機に瀕したりすると、なんとか回復しようとする内的なメカニズムを持っているのではないか。私たちの身体は、外傷を負うと出血します。そして、その血が凝固して、外部から細菌などが侵入することを防ぐ。そして身体は、治癒に向かう。人間の文化には、そういう自発的な治癒力があるのではないか。この点、仮説の域を脱しませんが、私はそう思っている訳です。「文化には内発的な治癒力がある」。私は、こういうテーゼと向き合ってきた訳です。

 

2つのテーゼを並べてみましょう。

テーゼ1: 人間社会にとって、狂気は必要なものである。

テーゼ2: 文化には、内発的な治癒力がある。

 

これで、フーコーが提示した問題を考えてみますと、次のようにまとめることができる訳です。

 

  • 古代より、人間社会は狂気と向き合ってきた。
  • 何故なら、人間社会にとって、狂気は必要なものであるからだ。
  • しかし、17世紀に人間は狂気を閉じ込めてしまった。
  • 文化には内発的な治癒力があり、この力が働いて、19世紀になると狂気は文学の世界において復活した。

 

そういう仮説を立てることができるのではないでしょうか。

 

最後に、フーコーの言葉を引用します。「狂気は社会の中でしか存在しない」と題された対談から。(文献8、P. 203)

 

- 結局、それぞれの文化は、それに似つかわしい狂気を持つことになるのです。-

 

フーコー、おそるべし!

 

 

文献1: FOR BEGINNERS フーコー/Cホロックス/白仁高志訳/現代書館/1998

文献2: フーコー今村仁司・栗原仁/清水書院/1999

文献3: 言葉と物/ミシェル・フーコー渡辺一民佐々木明訳/新潮社/1974

文献4: ミシェル・フーコー、経験としての哲学/阿部崇/法政大学出版局/2017

文献5: ミシェル・フーコーの思想的軌跡/中川久嗣/東海大学出版会/2013

文献6: 図説・標準 哲学史/貫 成人/新書館/2008

文献7: 哲学中辞典/尾崎周二 他/知泉書館/2016

文献8: フーコー・コレクション1 狂気・理性/ミシェル・フーコーちくま学芸文庫/2006