文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

2020-01-01から1年間の記事一覧

文化認識論(その24) 認識論とは何か

どうやら、このブログのバージョンアップに成功したようです。次の独自ドメインを取得できました。 www.bunkaninsiki.com 悪くない。一人、ほくそ笑んでいた訳ですが、見た目は何も変わらない。自分で設定しないと、何も変わらないのです。そこで、古いデジ…

このブログのバージョンアップについて

こんにちは。 皆さん、お元気にされていますか? 新型コロナウイルスが猛威をふるい、国会は崩壊しかかっています。本当に大変な時代だと思います。もう、オリンピックはロンドンに譲った方がいい。日本は、それどころじゃありません。 さて、このブログのこ…

文化認識論(その23) 認識方法と社会システムの変遷

結局、人間の歴史というのは、次のようになっている。・・・と、私は思います。 古代 ・・・ 芸術 ・・・ シャーマニズム中世 ・・・ 宗教 ・・・ 君主制近代 ・・・ 理性 ・・・ 民主主義現代 ・・・ 記号 ・・・ グローバル資本主義 狩猟・採集を行ってい…

文化認識論(その22) 私たちに許された自由

コロナウイルスが引き起こしている新型肺炎についてですが、これは行き過ぎたグローバリズムに対する警告として、受け止めるべきではないでしょうか。あまりに多くの人々が国境を超えて移動するから、ウイルスが世界中に拡散する。そのうち収まるだろうと言…

文化認識論(その21) 5つの文化領域に対する歴史的考察

私がいつも野良猫用の餌を購入しているコンビニですが、閉店するという噂を聞きました。ここがなくなると、困るのです。困るのは私だけではない。野良猫の“花ちゃん”だって、影響を受ける。そこのオーナーさんとは今までも猫談義をする間柄だったので、単刀…

スリスリ猫の花ちゃんと私の認識論

このブログで検索を掛けてみますと、私が初めて野良猫に触ったのは、2018年4月だったことが分かります。あれから2年。 YouTubeで猫動画を見ておりますと、次第に猫の気持ちが分かってくる。すると、猫がとても身近に感じられるようになるのです。全て…

文化認識論(その20) 記号から論理へ

最近、このブログの更新が滞っているにも関わらず、アクセス件数が増えています。不思議に思って、「アクセス先ページ」というところをクリックしてみますと、以下の2つの記事にアクセスが集中していることが分かりました。どちらもグーグルなどの検索エン…

文化認識論(その19) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その3)

ポスト構造主義は、1966年にデリダがアメリカにおける講演で、レヴィ=ストロースを批判した所から始まりました。そして、1979年にフランスの哲学者であるリオタールが、「ポストモダンの条件」という本を出版します。その中でリオタールは、次のように述べ…

文化認識論(その18) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その2)

少し話は前後しますが、サルトルの実存主義についても、少し述べておきましょう。第二次世界大戦中、フランスはナチスドイツに占領されていました。戦後、フランスはパリの開放に酔いしれたそうです。しかし、ナチスドイツの悪行の数々や、広島と長崎に投下…

文化認識論(その17) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その1)

ご案内の通り、このブログでは様々な文化について述べてきたわけですが、「文化学」という学問は存在しない。このことは、ある側面で言えば、私にイクスキューズを与えて来た。すなわち、仮に私が間違ったことを述べたとしても、それを批判する理論も学者も…

文化認識論(その16) 積み残したいくつかの論点

起承転結を意識して、それなりの分量で記述したいと思うことと、そこまではいかない小さな論点というものがあるようです。しかし、この小さな論点の中にも重要な問題が含まれている場合があるように思います。今回は、現時点で積み残しとなっているいくつか…

文化認識論(その15) 私たちに残された時間

結論から言いますと、私たちに残された時間は、あと18年です。これは、私が主張していることではなくて、アメリカの政治学者であるイングルハートが「文化的進化論」(文献1)という本の中で述べているのです。文献1には「あと20年」と記されていますが、…

文化認識論(その14) オルテガと三島由紀夫

調べてみますとオルテガ(1883 - 1955)と三島由紀夫(1925 - 1970)が生きた時代は、30年程重複しています。そして、どちらも近代に身を置きながら、中世的な文化に注目し、来るべき現代を見据えていた。その点に注目するならば、この二人には共通点がある…