文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

中立ということ

 

2月24日にロシアがウクライナへ侵略して以来、私は、憂鬱な毎日を過ごしてきた。21世紀の今日において、このような侵略戦争が勃発したことに驚くと共に、一体、何をどう考えれば良いのか、思いあぐねていたからである。両国を中心に人的な被害は拡大する一方で、原発や核爆弾に関わるリスクまで取り沙汰されている。

 

しかし昨晩、ゼレンスキー大統領はウクライナを中立化させる可能性について言及したのである。ネットで「ウクライナ 中立化」というキーワードで検索するといくつかの記事がヒットする。私は、この案に賛成したい。ロシアはもちろん、米国やトルコなども含めて、ウクライナに対する不可侵条約を締結するという案である。ロシアは酷い国だと思うし、既に数千人のウクライナ人が殺害された訳だが、今、大切なのは一刻も早く被害の拡大を止めることであろう。そのためには、悪魔とでも取引をする必要があるに違いない。既にロシア軍は、3方向からウクライナの首都キーウ(キエフ)を取り囲んでいる。ロシア軍がキーウに攻め込むという事態、すなわち首都決戦だけは、絶対に回避すべきなのだ。兵力で言えば、ロシア軍の方が圧倒的に優位だし、加えて米国が率いるNATOは、ウクライナを本気で救うつもりはないのである。

 

では、私がウクライナの中立化を支持するに至った思考のプロセスについて、少し述べてみたい。

 

まず、悪いのは誰なのか、と考えてみる。ロシアが悪い。単純に考えれば、そうなるだろう。しかし、ロシア国民の中にも反戦を訴えて逮捕される人々が後を絶たない。従って、全てのロシア国民が悪いということにはならない。そこで、狂気の独裁者プーチンが悪い、と考えてみる。しかし、プーチンにも言い分はあるし、プーチンを支える権力者たちもいる訳だ。ロシアの権力者には、まずシロビキと呼ばれる軍属や情報機関の連中がいる。そう言えば、プーチン自身もKGBの出身である。次に、オリガルヒと呼ばれる新興財閥も力を持っている。但し、オリガルヒの中にも親プーチンと反プーチンがいる。事情は、かなり複雑なのである。

 

では、誰が正しいのか。米国が率いるNATOだろうか? 少し歴史を振り返ってみると、東側の軍事同盟として、ワルシャワ条約機構があった。しかし、これはソ連の解体と共に解散したのである。その時点で、NATOも解散するか、もっと文化的な団体へと変貌を遂げるべきだったのではないか。しかし、NATOは今日まで、軍事同盟として存続している。困ったロシアは、自分たちもNATOに加盟させて欲しいと頼んだことがあったそうだ。理由は分からないが、ロシアのNATO加盟は実現しなかった。そして、NATOの加盟国は増え続け、東の方向へ、つまりロシアに近接する国々へと拡大を続けたのである。遂にはウクライナまでもがNATOへの加盟を希望するに至り、ロシアが暴発したという見方もできる。

 

自由と民主主義を標榜する西側諸国と言えば、聞こえはいい。しかし、私は日本に原発を投下し、ベトナム枯葉剤を撒き、ありもしない大量破壊兵器を理由にイラクを攻撃した国など、とても信用する気にはなれない。

 

そもそも人間は、AとBの2項対立関係を措定し、どちらかが正しく、他方が間違っていると考えやすい。しかしこれは、明らかに間違いである。例えば、暴力団同士の抗争を考えてみると良い。AもBも悪いのである。また、理論的には、どちらも正しいというケースもあり得る。更に考えると、どちらが正しいのか分からない、というケースだって存在する。妊娠中絶、同性婚マリファナの使用、尊厳死など、世界各国で賛否が分かれているが、正義がどちらにあるのか、それは誰にも証明することができないのだ。

 

整理してみよう。AとBの2項対立があった場合、どちらが正しいのか、その答えには次の5つのパターンがある。

 

パターン1: A・・・〇  B・・・×

パターン2: A・・・×  B・・・〇

パターン3: A・・・×  B・・・×

パターン4: A・・・〇  B・・・〇

パターン5: どちらが正しいのか、分からない

 

更に厳密に考えると、Aが正しいのは分かるが、Bについては分からないというケースだって存在する。例えば、今回のロシアとウクライナの関係で言えば、私は、ロシアは誤っていると確信しているが、勉強不足なのでウクライナについては判断しかねているのである。そのようなケースまで含めると、私の計算によれば、パターンは13存在することになる。(訂正: 3×3=9 9通りが正解ですね。お詫びして訂正します。)

 

次に、誰が正しいのか、という設問自体の正当性についても考える必要があろう。本件で言えば、ロシアは正しいのか、という設問自体が妥当なのか否かという問題である。明らかにロシアのウクライナ侵略は、間違っている。しかし、今日までのロシアの行為の全てが誤っているかと言えば、そんなことはないだろう。どんな悪人だって、何か1つ位は良いことを行なっているものである。そうしてみると、ロシアという行為主体を検討の対象とすること自体に、あまり意味のないことが分かる。検討すべきは行為の主体、人格ではなく、行われた行為の方なのである。「罪を憎んで、人を憎まず」という諺があるが、その通りだと思う。罪とは行為のことであって、人とは行為主体や人格のことである。

 

そもそも、戦争とは何か。その答えは無数にあるだろう。無数にある中の1つの答えとして、それは「とても理解することが困難な出来事である」という点を指摘しておきたい。例えば、野球の試合であれば、1回の表から始まって、9回の裏で終わる。これは時間軸に対応する限界設定である。また、野球の試合は多くの場合、野球場の中で行われる。こちらは空間に対応する限界設定である。このように、時間と空間に限界を設定した場合、そこで展開される出来事は、とても理解しやすくなる。他方、これらの限界が設定されない出来事は、理解することが極めて困難なのだ。そして、戦争にこの限界は設定されていない。例えば、時間軸で言えば、ロシアとウクライナにはとても永い歴史があって、その全てを理解することは不可能である。また、関係国まで含めると、空間的な広がりも広範なのであって、それは日本や米国までをも巻き込んでいる。情報戦が繰り広げられ、国際的ハッカー集団のアノニマスまでもが参加している。

 

このように、理解することが不可能であるか、若しくは極めて困難なのが、現代の戦争なのだ。では、そのような戦争に対して、どう向き合うべきだろうか。私は、「中立」の立場を採るというのが、緩衝国(小さな国)に許された1つの知恵だと思う。ウクライナの問題にしても、根本的な対立構造は、NATO対ロシアにあるのであって、ウクライナはその狭間で苦しんでいる。そして、NATOにもロシアにも、過ちを犯した歴史がある。どちらか一方につけば、他方を敵に回す。従って、中立という立場を採るのが、ウクライナにとっては、最も安全な選択肢なのではないか。揺れ動きつつあるが、スイス、フィンランドスウェーデンが中立の立場を維持している。今後とも、そうあるのが得策だろう。

 

正義を貫いて戦い続けるのか、それとも現実的な損害を回避するために停戦交渉に臨むのか。私は後者の方が、正解だと思う。首都決戦の前に、停戦交渉が成立することを切に願う。

 

なお、本稿を記す際し参考にさせていただいたYouTube動画のリンクを貼っておきます。鮫島タイムス!

 

ウクライナの教訓〜日本列島が軍拡競争で米中対立の主戦場に?非核三原則を見直して核兵器の国内配備して大丈夫か? - YouTube