人々の興味の対象は、過去の経験から、現在の事実へと移行している。このことは何を意味しているのか。一つには、科学技術が発達し、現在の事実を知ることができるようになった、ということがある。江戸時代には瓦版というのがあったそうですが、印刷技術が進歩して、新聞が生まれる。ラジオが誕生し、テレビが、そしてネットが誕生する。このような技術進歩の流れを見ると、人間が、より早く、より正確な事実を知ろうとしてきたことが分かります。
ところで人間は、バーチャルな世界を求めているのか、それとも上に記したように現実世界を見ようとしているのか。実際、テレビのコマーシャルにおいては、人間が宙に浮かんだり、宇宙人が登場したりと、現実には起こりえない状況が描かれている。ネットにおいても、動物の耳を持つ美しい少女の絵があったりする。最近では、バーチャルリアリティなるものが、話題になっている。人間は、明らかにバーチャルを求めている。長い間、私はそう思ってきました。しかし、本当にそうでしょうか。
上に記したいくつかの事例は、どれも人間が記号を楽しんでいる、記号で遊んでいるものと解釈できないでしょうか。このブログの言葉で言えば、記号の強度を高め、人々の関心を引き付けようとしているに過ぎないのではないか。
長いスパンで見た場合、まず、物語など「過去の作り話」があって、それが歴史的な記録と研究の成果として「過去の事実」に変容する。更にテクノロジーの進歩があって、「現在の事実」へと進展してきたのではないだろうか。このような仮説を立ててみると、思い当たることがあります。
まず、音楽。最近、こんな話を聞きました。CDの売れ行きは落ちているが、ライブ会場に足を運ぶ人は増えている。前段のCDの売り上げ減少については、容易に理解できます。音楽は多様化し、大ヒット曲などというものは生まれにくくなっている。更に、過去のCDであれば、YouTubeで聞くことができる。CDの売り上げが増えるはずがない。問題は、後段です。人々は、何故、わざわざライブ会場まで足を運ぶのか。一つには、記号密度や記号強度の問題がある。最近のミュージシャンはよく踊るので、ライブ会場まで行けば視覚的にそれを楽しむことができる。どんな服を着て、どんなお化粧をして歌っているのか。それらを知ることができる。しかし、そうであればミュージック・ビデオでも良いのではないか。してみると、理由は他にもありそうだ。すなわち、ライブ会場へ行けばミュージシャンと“現在”という時間を共有できる。そして、そこにはミュージシャンが歌い、演奏しているという現実がある。やはり、「現在事実」に価値を見いだし、人々はライブ会場に向かっているに違いない。
古い話で恐縮ですが、ビートルズとストーンズでは、路線が違っていた。ビートルズも当初はライブバンドでしたが、次第に多重録音などのテクノロジーを多用し、芸術的なアルバムを作成するようになった。効果音などを含めて考えると、それらの全てをライブで再現することは困難となり、ライブ活動から離れた。他方ストーンズは、ビートルズ程のヒット曲は持たないものの、あくまでもライブに重点を置いて活動してきた。70才代も半ばに達した現在も、彼らはツアーに出ている。どちらの路線が正しい、と言うつもりはありません。それぞれに、やりたいことが違ったということだと思います。ただ、エンターテインメントの本質ということから言えば、ストーンズの路線が理にかなっていたということになります。
次に、絵画。中世のヨーロッパには、宮廷や金持ちをお得意様とする画家が存在した。彼らの主な仕事は、王女様や奥様の肖像画を描くことだった。そこには暗黙のルールがあって、それは、実際のモデルよりも美しく描くということだった。やがて、この仕事は無くなった。写真という技術が誕生したからである。
絵画の歴史も、「過去の作り話」としての宗教画というものがある。キリストが生まれるシーンや、マリア様が天使から受胎を告知されるシーンである。その後、「過去の事実」として、戦争や革命など、歴史的な場面を描くものが登場する。やがて、写実的に自然や人物などの現実を描くものが登場したのではないか。
時代によっても異なるとは思いますが、人間は、時間と空間から成り立つこの世界とは何か、そのことを考え続けたきたのだと思います。過去の時間については、歴史学や文化人類学などが、徐々に明らかにしている。空間については、例えば地球は丸くて太陽を中心に回っているとか、ビッグバンによって宇宙が誕生したとか、そういう所まで分かってきた。では、疑問が解消したかと言えば、そうではない。現代人には、次の問いが課せられたのではないか。
私たちが生きているこの世界で、今、何が起こっているのか?
この問いに応えるのは、難しい。言うまでもなく、その答えは刻々と変化するからです。昨日の正解が、今日も正解であるとは限らない。むしろ、問い続けても、答えは永久に見つからない。だから、現代人は正解を探して、情報を求め続けている。
この章、続く